「秋の終わりの銀座の空 - 石田衣良」文春文庫 04年版ベスト・エッセイ集 から

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「秋の終わりの銀座の空 - 石田衣良」文春文庫 04年版ベスト・エッセイ集 から

ぼくは東京下町(といっても正確には川むこう)の生まれなので、ちいさなころから繁華街といえば銀座だった。服を買うなら、銀座のデパート。ちょっと澄ました食事なら、銀座のレストランや天麩羅屋。映画を観にいくのは、日比谷の映画街という調子である。
下町の商家の子どもなら、みなそのあたりは同じだったと思う。電気製品を買いにいくのは秋葉原、本を探すのは神保町といっしょである。コンビニやディスカウントショップがブルドーザーのように街を均してしまうまえは、東京の街には決まり事がちゃんとあったのだ。休みの日に家のまえでタクシーをとめ、母と妹と三人で銀座の不二家まで不二家パフェをよくたべにでかけたものである。あの青くて舌がしびれるほど甘いシロップ。どうしてひとりであれをたいらげられたのか今では不思議だが、懐かしい思い出だ。
東京で生まれたことに感謝するのは、こういうときである。ぼくは東京というのは、何百という街が寄せ集まってできた、巨大な集合体だと思っている。まとまりなど、ぜんぜんないのだ。なにかひとことで呼べるように名前が必要だから、みな仮にこの不思議な混沌を「東京」と呼んでいるにすぎない。
東京では駅ひとつ移動するだけで、街の様子は別の地方にでもきてしまったように変貌する。例えば神田と東京、目白と池袋、鴬谷と上野。山手線のなかに限っても、無数のおもしろい組みあわせをつくることができるだろう。東京に住んでいる人なら、わかってもらえると思うが、どれも電車で二分ほどのとなり街だ。それでいて街の表情はまったくといっていいほど違う。ほとんど独立国に似て、暮らしも文化も、ついでにいえば下世話さも経済力も劇的に変化するのだ。
東京の楽しさは、この無数の格差にあるとぼくは思っている。ジャケットでも着こなすように、その日の気分で街を気ままに選んで外出する。なんだか寂れた気分なら、錦糸町大井町巣鴨なんかにいってみる。元気のない商店街を散歩して、薄くほこりをかぶったようなレトロな品をお土産に買ってくる。未来のイメージを眺めたくなったら、六本木や汐留や西新宿の再開発地にいって、おのぼりさんになってみる。こちらの場合は海外ブランドのデザイン小物でも選ぼうか。
ぼくはそんなふうに東京の街のひとつひとつを、自分のものにしていくのが好きなのである。そうしてものになった街を舞台に、小説をひとつ仕立てたりするのが、無闇に楽しいのだ。デビュー作となった『池袋ウエストゲートパーク』の池袋はフリーの広告制作者だったころよく遊んだ街だし、町屋に住んでいたころは『波のうえの魔術師』であの街を舞台に老相場師と青年のコンビを活躍させた。
この夏直木賞をもらうことになった『4TEEN』は、月島に住む十四歳の少年四人が主人公である。安易といわれたら確かにそうなのだが、実際に小説を書き始めたころ、月島に住んでいたのだからしかたない。荷風散人だって白状しているではないか。
「小説をつくる時、わたくしのもっとも興を催すのは、作中人物の生活及び事件が展開する場所の選択と、その描写とである。」
実際に自分で小説を書くようになって、この言葉には思わずひざをたたいてしまった。誰もがよく知っていると思いこんだ東京のありふれた街を、誰も書いたことのない方法で鮮やかに書く。多くの人がもっているその街のイメージを裏切るように、別な顔を詳細にていねいに書く。それはぼくが小説をつくるうえでのおおきな楽しみのひとつだ。
受賞作は月島が舞台だから、隅田川を渡ってすぐの銀座は当然何度か登場する。少年たちは自転車で風のゆうにやってきては、デパートの屋上で遊び、地下の試食コーナーをはしごし、そこが日本一の繁華街であることなどまったく意識せずに気ままに振舞っている。それは不二家パフェを食べたり、日本初のマクドナルドでホットチョコレートをのんだ子どものころの感覚に近いものだ。
銀座はいつだってぶらぶらと散歩するだけで、十分楽しい街だった。おこづかいがわずかで、なにも買うことはできなくとも、センスよく飾られたディスプレイを眺めているだけで幸せな気分になれる街だった。あのころからもう三十年以上がたっている。今では仕事もそこそこ順調に運び、収入だって増えた。デフレ下の東京は自由につかえる遊び金を多少もっている人間には、なかなか楽しい街である。
といって夜の銀座とはあまり縁のない小説家には、いきつけの店で買いものをするのがただうれしいのだ。伊東屋ですでに何本ももっている万年筆を買う。ついでに詰め替え用のインクも緑、紫、ボルドー、グレイと各色をそろえていく。旭屋や教文館で、子どものころは手がでなかった単行本やペーパーバックを買う。HMVでクラシックやジャズの新譜をまとめて買う。通りに面したブランドショップでは、数十万という値札にため息をついて、革のジャケットはあきらめ、代わりにレザーのベルトや名刺いれを買う。
考えてみれば、どれもささやかな昼の銀座の楽しみである。そうした買いものをさげて、四丁目の交差点の角にある三愛ビルのうえにある喫茶店にいく。ぼくはあそこから見る銀座の街が好きなのだ。むかいに和光の時計台が見える。みなさんは文字盤のしたにある大理石の柱がどんな模様なのかよく見たことがあるだろうか。三越のストライプの壁面のうえを空高く秋の雲が流れていく。晴海通りをきらきらと乾いた日ざしを跳ね散らしながら無数の自動車が、音もなく滑っていく。銀座通りを歩く人は、みなどこかつんとして、ちょっとだけ普段より姿勢がいいように見える。女性たちは今日も精いっぱいのおしゃれをしてこの街にやってくるのだ。ここは日本一のステージでもあるので、誰もが観客であり、演者である。この澄ました感じが、ぼくは好きなのだ。紅茶のにおいのなかで、ゆっくりとその日の戦利品を確かめてみる。また今日もムダなものを買ってしまった。だが、人生からムダな買いものと街歩きをなくしてしまったら、どれほど生きることは退屈になるだろうか。ぼくは納得して、窓の外に目をやる。
秋の終わりの銀座の空は、底まで見える湖のようだ。またつぎにこの街にこられるのは、締切をふたつ越えた、三週間後のことだろう。