「盲目的なペット愛を見ると発狂しそうになる - 安西水丸」猫なんて!から

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「盲目的なペット愛を見ると発狂しそうになる - 安西水丸」猫なんて!から

ぼくが動物類をどうも得意としていないということは、ここでよく書いているのでおわかりのことと思う。
得意でないということは、あんまり好みでないということです。
猫も猿も、とにかくみんな駄目だけれど、一番駄目なのは犬だ。犬に関して言えば、駄目だの嫌いだのではなく怖いのだから仕方がない。
世の中でいちばん信用できない言葉としてあげられるのが、よく犬を飼っている家の奥さんのおっしゃる、
「ウチの犬はおとなしいから大丈夫よ」
これだ。これを言う奥さんはたいてい眼鏡をかけていて、笑うと九ミリ幅くらいの歯ぐきが見える。
それと同じように、世の中でとても怖い光景は、小学校低学年くらいの男の子が、ものすごくでっかい犬の手綱を引いて歩いている時だ。男の子でも女の子でも同じだが、これは怖い。もしもその犬がぼくに襲いかかってきたら、手綱を引いている子供にその犬をおさえられるだろうか。ああ怖い。こんなことを考えていると発狂しそうになる。
先日、京都からの帰り、新幹線の中で、椅子が四人掛けになっていたので回転させて直そうとしたら動かない。いろいろやったけど動かない。どうしたのかと調べてみたら、椅子の下の方に、何か箱みたいなのがあってそれで動かなかったのだ。
そしたら、少しはなれたところにいた女が二人(たぶん親子だと思う)やってきてその箱をドアの外に出してくれて、やっと椅子は二人掛けに直った。なんと箱の中には猫が入っていたのだ。まいったね、人の指定座席の下に猫の箱を置くんだからね。自分のところに置いてほしい。いろいろと理由があったのだろうが、まあとにかくペット好きの人にはおうおうにしてこういった人格が見られる。とにかくペット可愛さのために、盲目になってしまうのだ。愛は盲目。ペットは盲目。
最近の体験を書く。
先日、青山通りの某うなぎ屋でうな重を食べた。ここは都内では名の知れた店で、特別ごたくをならべなければいちおうおいしいと思って食べられるうなぎ屋である。
店に入って空いたテーブルについた。午後の一時をすぎていたけれど、テーブルにはそれぞれ客がついていた。しばしうなぎの焼きあがるのを待っていたら、中年の女性が一人入ってきた。その女性は、ぼくのテーブルで相席になった。
ここまでくると、もうぼくが何を言おうとしているのかわかるでしょう。
ぼくのうな重がきて、僕は大好きな山椒をかけて食べはじめた。空き腹にまずいものなし。結構おいしい。
そのうち前にいる中年の女性にも、うな重がやってきた。その女性は食べはじめたのだが、そのうち、うなぎの方を箸でぼろぼろと細かくくずしはじめた。何をしているのかと思った。そうしたら彼女はなんと、床に置いてあったバッグを膝の上にのせ、そのチャック(今はジッパーと言うのかな)を開けた。
猫だ。
バッグの中には猫が入っていたのだ。彼女はその猫に、細かくくだいたうなぎを食べさせはじめた。その女性はいつもそうするらしく、お店の人も何も言わない。あわよくば、まあ可愛い、なんて言いかねない顔をしている。
ペット好きな人には、おうおうにしてこういった人格が見られる。この人も笑うと九ミリくらいの歯ぐきが出た。
僕は発狂を必死にこらえた。