(巻三十五)一言を抑え切れずに隙間風(栗山美津子)

(巻三十五)一言を抑え切れずに隙間風(栗山美津子)

12月8日木曜日

朝、蒲団を上げてその辺りに立つと畳が暖かい。まだ熱を放っているのだなあ。

細君が美容室へ出かけたので朝家事はなし。久しぶりに音声を出してしてAVを観賞した。

昨日読んだ「「食欲」と「愛欲」 - 小泉武夫」の結びに、

《人生は限られていて、必ず死をもって了[おわ]るのである。その死をさらに先に延ばして長生きをしたくても、心の栄養剤としての「欲」が萎えてしまったら、それこそ「死」の方からどんどん近づいて来るものである。食欲でも愛欲でめ、生理を伴なった「欲」をいかに残された人生に上手に生かすことができるかが、これからの生と死の間の距離の長短を決めるような気がする。》

とあったが、近づいてきているのかも知れない。生理を伴った欲が三欲か。五欲となると財欲と名欲が加わると書いてある。食欲・色欲の強い上に、睡眠欲の代わりに財欲の三欲を備えたアニマル・スピリット丸出しのご仁がいるが、あれはあれで羨ましい。基本的に自己肯定で、ず~と不惑のようだ。

三欲が若さの秘訣です立夏(益田清)

即席麺とパック赤飯で色欲と同じようなか細い食欲を充たす昼飯が済んだところに細君が無事帰宅した。師走の髪結いは混んでいてやっと予約か取れたと言っていたが、師走こそが美容室の稼ぎ時だそうだ。

血圧検診で3時からクリニックに出かけた。町医者の鑑のような先生に診ていただいた。先月受けた区の健診結果も併せて説明して戴いたが、数値的には腎臓も含めて異状なしだそうだ。看護婦さんが血圧を実測したが130-80と出て、こちらも問題なし。何が鑑かと言って、その患者との会話力である。診察まで30分強診察室の側で待ったが、診察室からの会話を漏れ伺うことになる。患者は専ら女性高齢者だが皆さん個性豊かだ。体は老いて病んでいるが頭は切れ切れの婆さんは自分の病気についての資料収集が半端ではないようで医師への質問をメモにして手に握って診察室に入って行く。もちろん呆け婆さんもいる。そんな患者を相手にしているが、話を“ハイ、これでおしまい”的な打ち切りにしないところが凄い‼かと言ってダラダラと時間を空費するわけでもない。お見事と言うしかない。もう一つお見事なのは、私の場合もだが、患者を不必要に不安がらせないところだ。

クリニックを終わり、院外薬局で処方箋を渡した。健診の結果は健康とのことなので、薬局の待ち時間に“さと村”で一杯いたした。

写真は薬局から帰る夕暮れの新道である。

願い事-涅槃寂滅です。数値がよいのはありがたい。生かされているうちは健康でいたい。

「「食欲」と「愛欲」 - 小泉武夫」を読んだので食欲から以下を読み返した。

『もの食う話』というアンソロジーには他にも佳作が編集されていた。

「もの食う女 - 武田泰淳」文春文庫 もの食う話 から

よく考えてみると、私はこの二年ばかり、革命にも参加せず、国家や家族のために働きもせず、ただたんに少数の女たちと飲食を共にするために、金を儲け、夜をむかえ、朝を待っていたような気がします。つきつめれば、そのほかにこれといった立派な仕事何一つせずに歳月は移り行きました。私は慈善家でも、趣味家でもありませんが、女たちとつきあうには、自然、コオヒイも飲み、料理も食べねばならず、そのために多少の時間と神経を費ったものですが、社会民衆の福利増進に何ら益なき存在であると自覚した今となっては、そのような愚かな、時間と神経の消費の歴史が、結局は心もとない私という個体の輪郭を、自分で探りあてる唯一のてがかりなのかもしれません。

私は最近では、二人の女 性とつきあっていました。二人とも貧乏な働く婦人でした。弓子とよぶ女は新聞社に勤め、房子という女は喫茶店ではたらいていました。弓子は結婚の経験もあり、大柄な、ひどく男をひきつける顔だちで、男とのつきあいも多く、私はすっかり彼女にほれこんでいました。私は暑い夏のさかりに、わざわざ有楽町の新聞街へ出かけ、物ほしそうな顔つきで、受付の女の人に電話をかけてもらっては、あわただしく彼女に会っていました。ところが弓子は仕事が多忙な上に、飲食を共にすべき男たちが多く、又多少気まぐれな、何をやり出すか見当のつかない方であるため、私は度々苦しい想いをさせられます。「只今外出です」「人日はお休みです」「今さっき帰りました」と受付に言われたり、約束の時間を二度

も破られたりすると、私はたまらなく心が重くなり、腹もたち、淋しくもなりました。いい年をして女につきまとっている、しかもあらゆる鋭い神経と充実した精力が、ビジネスと享楽の機構の上を、キラキラと金属的にかがやきながら、とびまわり、のたくっている東京の中央区を、まるで時代ばなれした男がそうやって歩き回っている。そう想うと私はなおのこと暗く気分が沈みました。愛されているようでもあり、まるで馬鹿にされているようでもあり、弓子のあたえるこの種の不安の日々が、私を、房子に近づけました。

房子は、神田のかなり品の好い喫茶店で、昼の十二時頃から、夜の十時ごろまで立ち働いているので、自由に気楽に会いに行けます。新聞社の玄関の無情なまでに頑丈な壁や柱や石段と 、そこに出入する元気の良い男女の足どりに圧倒され、おびやかすようなガード下の騒音や、あまりにも巧な交通巡査の手つきや、闇あきないの青年たちの眼くばせの波を逃れて、しずかな、くすんだ木組で守られた、その古本屋街の喫茶店に入るとまずホッとしました。自分が一人前の存在にたちかえったようで、腰が椅子におちつきます。

房子は、日本風に言えば洗い髪、西洋では中世の絵画に見られるように長い髪をダラリとしていました。小柄な身体で、グラスをはこんで来て前こごみになると額と頬が半分、黒髪にかくれました。色白でフックラした顔は弓子にどこか似ていますが、少しぼんやりしたようにして少女のようにおとなしくしていました。いつも素足で、それに赤と黒といれまじったような

色のスカートがいつまでもとりかえられることがありません。ブラウスも、このスカートの色をうすくしたようなのが一枚、黒い支那服のもの一枚しかありません。とてもひどい貧乏なのです。傘がないので、雨のはげしい日は家並の軒づたいに走って店へ出るのです。だから時々、髪や服がまだ湿っていて、身体全体が疲れて見えることがあります。古道具屋で買ったというサンダル式の靴もこわれていて、片方は黒い紐で足首に巻きつけてあります。いつか、私がそれに気づかずにいた頃、私の家へ訪ねて来ても、上がろうとしないことがありました。多分、黒い紐をほどいたり、巻いたりして手まどるのが恥ずかしかったからでしょう。

この房子のとこに居ると、弓子のおかげでいら立った神経がおさまりま した。それに房子は私を好いていました。おとなしい、金に不自由な客が多く、酒はだしてもサービスの必要はなし、いかにも「働いている」という感じで彼女は無言で働きまわっています。向うから話しかけることもない。それで私は彼女の気持ちがわかりました。

私が弓子に会えないでムシャクシャして、久しぶりでその喫茶店へ出かけ、隅の席に腰をおろすと、彼女はすぐお辞儀をしてから注文をききます。それから勘定台の向う側のボーイに「わたしにもドオナツ一つ下さいな」とたのみます。ガラス容器の中に、チョコレートなどと一緒に並べてあるドオナツをボーイが一つつまみ出してくれる。すると彼女は私の方へ横顔を向けたまま、指先でつまんだ上等のドオナツに歯をあてるのです。よく揚った 、砂糖の粉のついた形の正しいドオナツを味わっている。その歯ざわりや舌の汁などがこちらに感じられるほど、おいしそうに彼女はドオナツを食べます。まるでその瞬間、その喫茶店の中には、イヤこの世の中には彼女とドオナツしかなくなってしまったように。私が来たという安心、そのお祝い、それから食べたい食べたいと想いつめていた欲望のほとばしりなどで、彼女は無理して、月給からさしひかれる店の品物を食べてしまうのです。それには恋愛感情と食欲の奇妙な交錯があるのです。

「食べることが一番うれしいわ。おいしいものを食べるのがわたし一番好きよ」

はじめてのあいびきの際、彼女は私にそう言いました。代々木の駅でまちあわせ、神宮外苑まで歩き、池のそばの芝生にねころぶとすぐ彼女はそれを告白しました。その日、彼女の白靴はまだこわれていず、支那風の黒いブラウスを着ていました。(後でわかったのですが、彼女は画家のモデルになり、これを着て油絵にかかれて、そして完成の後それをもらったのです。)彼女の告白は、もちろん、しちめんどうくさい話をやめて早く御馳走して下さい、という要求のあらわれです。「食欲が旺盛なのはいいな」私はこんな簡単な要求をみたすことで女が喜ばせ得るのかと、単純痛快な気持がしました。複雑な男女関係であえいでいる弓子は決してこんな要求はしなかったからです。彼女はいつも、「食欲がないのよ」と訴えていました。寿司を食べるとジンマシンをおこし、支那料理のあとで冷水をのむと腹痛になりました。房子の方は身体も小さく、肉づきがとくによくもなく、赤ん坊のような弱々しいところがあるのに、実に嬉しそうにして食べました。私はビールを飲みながら、房子がたちまち三皿の寿司をたいらべるのを眺めていました。それはムシャムシャという感じではなく、いつのまにかスーッと消えてしまった風でした。太宰治の『グッドバイ』に出てくるカラス声の美女も精力的に食べて主人公を困らせましたが、房子の場合、少しもイヤな感じは起させません。酒も飲みました。そして酔いません。「わたし、酔っぱらうと物を投げるくせがあるのよ」と自慢そうに言うのですが、ウソではなさそうでした。「Tさん、食欲ないの」「あるよ」「いろんなもの食べて楽しくない?」「....別に楽しいということはない」「これ食べていい?」「うん、僕は飲むと食べたくないんだ」

新宿の日曜、しかも快晴でした。酔うと気が大きくなる私は貧乏な処女に何か買ってやりたくなりました。洋傘!洋傘屋の紫とも青とも赤ともつかぬ、蛾の羽か玉虫の背のような色彩がパッと目を射ました。廉売らしく七百円均一でした。しかし彼女はそれに目もくれません。「紙製のでね。とてもいいのがあるのよ」二軒目の店でそれが見つかりました。それは千代紙によくある花模様のついた日傘でした。子供がさすように小さいのです。油が塗ってあるから晴雨兼用ということでした。「二百円でございます」「よかった。助かったよ」私はやすいので安心しました。彼女はおそらく、それが洋傘店で一番やすい品であることを、あらかじめ見て知っていたのでしょう。

雑踏にもまれて歩きながら、彼女は露店で菓子を買いました。豆ヘイ糖とハッカ菓子でした。うす青い三角形の砂糖菓子を、私も一つ歩きながらがら食べさせられました。口がだるくなり、表情がだらけるような庶民的な甘さです。映画を見て、アイスクリームを食べました。私は疲労を感じて帰りたくなりました。「私はまだ遊んでるわ」と彼女は主張しました。兄夫婦の家に同居している彼女は、家に帰れば、やかましく追いつかわれるため、家を敬遠していました。「それじゃ多摩川へでも行くか」私は駅の黒い板に白字でしるされた駅名の中で、多摩川らしい場所をさがしました。小田急の沿線にそれを見つけました。

鉄橋をわたってから電車を降りました。ボート乗り 場は、増 水のため休業でした。のどが乾いたというのでラムネを飲みました。それから河沿いに上流に向って歩きました。水は灰色で、せせらぎの音もなく、けだるい真夏の、平べったい光景でした。「これさせばいい」彼女が日傘をひらくと、小さい影の輪が落ち、黄色と赤の明るさが、頭の上にポッとひろがりました。遠く、ひょろ長い松の林が見えます。河の本流に近づくため、土手を降りて砂地にでました。なま温い水が泡をうかべている汚い凹みがいくちもありました。彼女は立止り、白靴をぬいで両手に一つずつ下げました。

「彼女はスタスタ砂地を歩き、青黒くヌルヌルした石も平気でまたいで流れの中に入りました。ザボザボ水の中を、嬉しそうに歩き回ります。向う岸との間に渡船がありました。そして

> そちらではボートが浮かんでいました。渡船の中で私の傍によりそった彼女の手足を眺めました。手も足も指がひどく短く見えました。それは弓子のより醜いな、私は想いました。

「わたし歩くの平気よ」彼女は靴をはいてから、長い土手を松林の方に向いました。河岸なのに風が少しもありません。そして松林はとても遠すぎることがわかりました。河とは反対側の土手を降り、熊笹の上に座りました。用水堀や田の水口で、お百姓さんの白い姿が、小さく音もなく動いています。「讃美歌をうたってごらん」。キリスト教徒である彼女に私は命令しました。斜面に横になった私にならい、ガサゴソ熊笹の上をしばらくはい回ってから彼女も横になりました。「新教の?カトリックの?カトリックのは一つしか知らない。その一つも第一章だけ」「カトリックのがいい」。彼女は「主よ、ましまさば」を歌いました。両親が戦災でなくなり、兄だけしかいない、貧乏な娘。そういう感慨が私の胸に来ました。しかし彼女にはどこか楽天的な、無神経なところがあり、「主よ、ましまさば」の低い歌声が似合っていました。「新劇をやりたいの、わたし」彼女は自分の希望ものべました。あるフランスの作家の劇の名をあげ、その劇中人物の一人のような役をやりたいのだと語りました。それは新しい、私のまだ読んでいない劇の名でした。「顔は可愛いが、身体が小さすぎるからどうかな」と私は考えていました。「それに重みが足りないから」。すると彼女はあきらめたように「でも今のようじゃ、いそがしくて練習に行けないからダメだわ」と言い、空を仰ぎながら、「パンが食べたいな」とつぶやきました。頭上のくぬぎの樹の落す影がうすくなり、土手には風が立ちはじめました。

新宿にひきかえし、渦巻パンを買い、その袋をかかえて、とんかつ屋に入りました。赤い大豚の看板の出た本建築の家でした。二階の部屋に案内されると、「高いわよう。こういうとこ」と彼女は心配しました。窓の外にバラックのひ弱い屋根が見えます。夕焼空の下、どこか物干台で野卑な歌声がしていました。

トマトジュースのかかった厚みのカツレツと持参のパンで日本酒を二本飲みました。「おいしいわね」と彼女は興奮して繰かえしました。「接吻したいな。いい?」とたずねるとうなずきました。

「だって、何でもないもの。そんな こと」と、横ずわりにした足を少し引きよせていました。畳の上をにじりよって、真赤に酔った私は、彼女の肩をかかえました。私の目の下で彼女の瞳は、女中が閉めて行った障子の方に向けられていました。唇や肩とは無関係に、黒目だけがそちらに結びつけられていました。

映画館を出ると九時すぎていました。ホームでアイスキャンディを買いたいというので、残った札をわたしました。大型のキャンディに紙に包まれ、非常なかたさなので、私は少しなめて、線路に棄てました。電車に乗ってから彼女は自分のパスを見せました。「この切符Gさんにもらったのよ」パスには博物館の紙質のわるい白い切符が一枚はさんでありました。そのGという二十歳ほどの青年を私は見知っています。おとなしい人で、

女に博物館の切符を送るのはもっともだと思われました。又それを大切に持っているのも彼女らしく思われました。

彼女は私と同じ駅で降り、そこから会社線にのりかえます。終電車らしく、酒場かどこかにつとめているらしい派手な、新しい服装の女たちが多く、その明るい車内では彼女の身なりのみすぼらしさ、平凡さが目立ちました。彼女の家まで送って行く途中、暗い細長い路で、酔の発した私は猛烈に彼女を抱きすくめては接吻しましたが、彼女は笑顔でなすがままになっていました。そのあまりの従順さ、弓子にない従順さが、酔がさめてからも一種の驚きとしてのこりました。

それから一個月、かみそりの刃を渉るような弓子との関係で息がつまり、私は喫茶店へは足を向けませんでした。弓子とあえばかならず飲食を共にしましたが、調子は房子の場合と全く異なります。虚々実々、盃をふくむにも、フォークを握るにも、多角的な神経の酷使、八方にらみの形でした。北京育ちの弓子は、寿司を食べても魚類の名称に無関心で、また板に出されたあわびを「あれたこ?」ときき、ひらめをかれいと言い、あなごを「あの魚を裏返しにしたような奴」と注文します。口に何か入っていてもたえず考えにふけり、歩くとつかれ、接吻一つするにも不安動揺がつきまといました。しかし結局、私はこの都会のくずれた精霊のような女が好きなのでした。そのた

め悩み、喧嘩もしました。

そんな一日、雨の駅で房子に遇いました。ぬれしょぼれた髪が耳や頬にまつわりつき、足の指は水しぶきのため赤みをましています。日傘は六回ばかり雨にあたってから破れたとのことでした。「雨のひどいとき、あれをさしていたら、みんな笑ったわ。でもずいぶん役に立ったわ」それを買ってもらったことをまだ感謝していました。「Tさんが来ないから、みんな、わたしが棄てられたんだって言うのよ。だって一月半も来ないんだもの」と単純な不平ももらしました。彼女を店まで送り、昼飯を共にすることにして、神田の駅で降りました。取締厳重の日で店はあらかた閉っていました。駅前に新しく出来た奇麗なとんかつ屋がガラス戸をあけている。それを見ると「お客さんが、こことても高いと言ってたわ」と彼女が注意しました。

清潔なエプロンをかけた女給の運ぶ料理は、立派な容器に容れられ、重みのあるナイフ、フォークがそえられていました。彼女は満足し、ゆっくりと味わいました。私を見つめる目が、遠くの山でも眺めている感じになりました。

そのとんかつは私にも特別うまく感ぜられました。それから寿司を食べる段になると、彼女は「わたし知っているところがある」と、私の傘の下で身体をちぢめながら、裏通りの淋しい路へ案内しました。そこはガラス戸ばかり多い、狭い氷屋でした。「汚いでしょう、ここ」と彼女は気がねしました。はげ落ちた壁の下から薄い板が見え、横のガラス戸の外ではゴミ箱が雨にぬれていました。「氷イチゴ十円、氷レモン十円 。特別甘イ」と書かれた貼紙も色あせていました。壁にじかに長い板をうちつけ、それがテーブル代りにされている、いかにもわびしい場所でした。

「ここに貼ってある写真はみんな、物を食べているところよ」と彼女が説明しました。見ると壁の写真はみな外国の映画俳優が食事している光景でした。美しい洋服の男女が楽しげに顔向きあわせて朝の食卓につき、ミルクやパンや名前のわからぬ数々の料理を前にしているのもあり、女優一人が鶏の片足をあぐりと大口あけて食べている情景もありました。中には水着の体格よき青年男女が談笑しながら、ボート上で何かビンの飲物を手にしているのもあります。それらいかにも人生の幸福を象徴する如き多種多様の白人飲食の写真は、どれも日光で変色して、そ

> この壁にへばりついていました。こんなことを考えついたここの主人のつつましい工夫、それを面白そうに無心に説明する彼女、それは豪華活発な外国の食事の精神にくらべ、いかにも片隅のジメジメした寂しさを感じさせました。

「のり巻だけですって、それでいい?」と彼女がたずねてから、永いこと待たされました。栄養の悪そうな痩せた、髪のうすい主人は、小さな皿に卵の寿司とのり巻を容れて運んで来ました。そしてすむとすぐ皿を取りに来て「今日は厳重ですからね」と、ささやくように弁明しました。

房子の喫茶店でカストリを飲み、二つ三つ用をすませて、九時頃またそこへ寄りました。丁度帰り仕度していた彼女とつれだって外へ出ました。豪雨のあとで、雨はきれいにあがっています。

私は泥酔に近い状態でした。駅に着くと、例のとんかつ屋はまだ明るいので、又店へ入りました。味もわからず食べておわりました。何だか肉が、昼の時より薄く、かつすじ張っているようでした。だが私の瞳に彼女の顔が、恍惚と酔った風にうつりました。房子はそこを出てから大福餅を買いました。

会社線はやはり終電車でした。送って行く闇の路で、私はこの前よりなお一層乱暴に彼女を愛撫しました。「怒る?」ときくと「女って、こんなことされて怒るかしら」と、彼女は私の自由にさせていました。細いゆるやかな坂道が、下ってまた上がっている、その暗い長い直線の路に、かなりの距離をおいて、外燈が三つ四つぼんやりともっています。彼女の家へ曲がる横丁の所で私は急に「オッパイに接吻したい!」と言いました。それがこんな場所で可能であるとか、彼女が許すとか、それら一切不明の天地混溟(こんめい)の有様でその言葉が、嘔吐でもするように口を突いて出てしまったのです。すると彼女は一瞬のためらいもなく、わきの下の支那風のとめボタンを二つはずしました。白い下着が目をかすめたかと思う間に、乳房が一つ眼前に在りました。うす黄色く、もりあがって、真中が紫色らしい。私は自分がどのようなかっこう、どのような感情を保っているのかも意識せずに、そのふくらんだ物体を口にあて、少し噛むようにモガモガと吸いました、そしてすぐ止めました。何か他の全くちがった行為をしたような気持、あっけない、おき去りにされた気持ちでした。彼女はやさしく笑って、「あなたを好きよ」と、振り向いて言うと、姿を消しました。私は大股に駅に向って歩きました。もちろん電車はないので、駅を通りすぎ、友人の家の方角に向って、のめるようにして歩きつづけました。胸苦しく、はずかしさと怒りに似たものが重く底にたまり、その感覚はますます強まりました。不明瞭な、何かきわめて重要な事実が啓示される直前のような不安が、泥酔の闇の中に花火の如くきらめきました。

「あれは何だろうか。彼女の示したあのすなおさは何だろうか。あれは愛か」と私は揺れる身体をわざと揺すらしながら考えました。「もしかしたら、あれは、御礼なのではないか。とんかつ二枚の御礼なのではないか。彼女はまるで食欲をみたす時そっくりの、嬉しそうな、又平気な表情をうかべていたではないか。食べること、食べたことの興奮が、乳房を出させるのか。ああ、それにしても自分は彼女の好意に対して、何とつまらぬ事しか考えつかぬことだろう。ああ、まるで俺は彼女の乳房を食べたような気がする。彼女の好意、彼女の心を、まるで平気で食べてしまったような気がする.....」

友人の家にころがり込んでからも重苦しさはつづきました。「食欲、食べる、食欲」と私はうつぶせになってうなり、それからすすり泣く真似をしました。泣くのが下手な以上、その真似をするのが残された唯一の手段のように考えたからでしょうか。

(「玄想」昭和23年10月号)