「弔辞 宿澤広朗へ - 奥正之」文春新書 弔辞 劇的な人生を送る言葉 から

 

「弔辞 宿澤広朗へ - 奥正之」文春新書 弔辞 劇的な人生を送る言葉 から

大きく不規則バウンドした楕円球

しゅくざわひろあき ラグビー日本代表監督として平成元年、スコットランドに歴史的勝利を収めるなど日本ラグビー史に残る偉業を達成する一方、三井住友銀行のバンカーとしても活躍し、ラガーマンと銀行マンの二足の草鞋[わらじ]を履き通した。平成十八年六月十七日、登山中に心筋梗塞を起こし、五十五年の生涯を閉じる。早大ラグビー部のスクラムハーフ時代から宿澤を知っていたという奥正之頭取とは、強い信頼で結ばれていた。

謹んで、故宿澤広朗専務の御霊にお別れの言葉を申し上げます。
宿澤さん、先週、私の部屋で、あなたが新たに担当された本部の基本戦略について、二人で熱っぽく議論したばかりでしたね。それから、わずか数日後の六月十七日土曜日に、あなたの突然の訃報に接し、私は言葉を失いました。
ご遺体の到着とともに、ご自宅に駆けつけましたが、「おい宿澤、立ち上がれよ!」と声をかければ、あなたは今にも少しはにかみながらニヤリと笑って起き上ってくるのではないかと思うほど、穏やかな様子で目を閉じておられました。本当に未だに信じられない思いであります。
余りにも突然で余りにも早過ぎる旅立ちは、あなたや洋子夫人をはじめ、ご遺族の皆様にとりましてさぞかし無念でありましょう。また、三井住友銀行にとりましてもあなたを失ったことは、計り知れない大きな損失であり、痛恨の極みであります。
振り返りますと、あなたは、昭和四十八年に、早稲田大学政経学部を卒業され、直ちに住友銀行に入行されました。
早稲田大学では、伝統のラグビー部で一年生のときからスクラムハーフのレギュラーとして活躍され、当時より、「ラグビー界に宿澤あり」と、その名は広く轟いておりました。
入行後、新橋支店に配属されたのち、昭和五十三年に国際金融業務の本場、ロンドンに赴任され、当時主流であったカントリーリスク貸金業務に従事されたのち、その鋭い才覚を見込まれて、外国為替のディーラーに転身されました。
仕事の傍ら、時間を作っては、本場英国のラグビー場へ足繁く通っておられたと聞きますが、これも将来の日本のラグビー界の指導者になることを意識しておられたからだと思っています。
その後昭和六十年五月に帰国され、資金為替部において、その年の九月のプラザ合意により急激な円高が進む中、とにかく負けないディーリングスタイルを作り上げ、為替ディーラーとしての頭角をあらわしてこられました。
その間平成元年には、銀行の仕事と両立させるというあなたの強い意思の下で、ラグビー日本代表監督に就任され、今でも語り継がれる対スコットランド戦、そして一九九一年のワールドカップでの戦いを見事に指揮されました。そのあなたのまばゆいばかりの活躍は、同じ銀行に勤める私たちにとりまして大きな誇りでありました。

ジャパンの監督の大任を果たされた翌年、平成四年には、初任支店長として大塚駅前支店を任され、営業の第一線で沢山の「宿澤ファン」のお客様を作ってくれました。
そして平成七年に、再び古巣の市場営業部門に戻ってからは、国内のバブル経済の崩壊で、市場金利の先行きの方向感が失われる中、あなたは、部門の統括部長として的確な判断とチームスピリットを発揮し、収益面でも銀行の屋台骨を支える多大な貢献を果たしてくれました。あなたは、地位が上がり、責任の範囲が広がるたびに大きく成長してこられましたました。特に、三井住友銀行として発足した年の平成十三年の「九・一一」ニューヨークテロ事件の時には、夜を徹して、陣頭指揮にあたり、此処一番の危機管理に強い所を見せてくれました。と同時に「ピンチをチャンス」に一瞬にして変えてしまう冷徹さと俊敏さも示し、ラガーマンならではの守りと攻めの切り替えの判断力のすごさには正直私たちは舌を巻きました。
平成十二年に執行役員に昇格されましたが、その時あなたは、「全ての基本は、情報にある。徹底して活きた情報を収集し、分析する。戦略を立てるときは大胆に、戦術を立てるときは緻密に。勝つことにこだわることにより、チームに自信を植え付けるのがリーダーの仕事」と言っていましたね。まさにあなたはその言葉通り、市場営業のリーダーとしての責務を実践してくれました。
そして、平成十五年に常務執行役員に昇格後は、平成十六年から二年間に亘って、大阪本店営業本部長として関西地区の大企業取引を、次いで経営会議メンバーとなり、法人部門責任役員として、西日本の中堅・中小企業取引を担当して頂きました。
あなたは、豊富な実践経験をフルに活かし、またその人間的魅力で、数多くのお客さまと三井住友銀行の間に太い絆を築き、私の気持ちにしっかりと応えてくれました。
本年四月には、取締役専務執行役員に昇進され、東京に戻って頂き、新たに立ち上げた「コーポレート・アドバイザリー本部」の本部長という大任をお願いいたしました。これは、法人のお客様の経営課題に対し解決方法を助言するプロフェッショナル部隊で、当行が新たな前進と展開を続けてゆく際の中核をなす大変重要なプロジェクトであります。
この構想を練っている時から、常にあなたの名前が私の頭にありました。そんな最中、あなたに偶々[たまたま]大阪で会った際、あなたから「頭取、新しいプロジェクト、あれを私にやらせて下さい。必ず期待に応えてみせます」と申し出てくれ、これこそ以心伝心だと胸が熱くなったのを覚えています。その前向きでチャレンジングな姿勢、そして清々しい笑顔は本当に頼もしく力強い限りでありました。

永い間、あなたは「銀行マン」として、また「ラガー」として大変重い「二足のわらじ」を見事に履きこなしてこられました。外から見ると、あなたは精神的にも肉体的にも大変頑強な人物と思われていたでしょう。それだけにあなたは、個人的には、人知れぬ重圧を感じておらられたのかもしれません。
ラグビーボールはその楕円型であるがゆえにドラマが生まれるといわれています。しかし幸運とその裏返しの不運は、敵味方関係なくほぼ平等にあると、あなたは言っていました。
しかし「宿澤広朗という楕円球」は、今、大きく不規則バウンドして消えてしまい、そこで、ノーサイドの笛が吹かれてしまいました。
この天が吹いた残酷なホイッスルについて、私は語る言葉を持ち合わせません。
いつまでも名残りは尽きませんが、いよいよ、永久[とわ]の別れを申し上げなければならないときが参りました。
今日[こんにち]、銀行界は、お客様のために変化を先取りした対応と変革が求められています。その中であなたが「期待にお応えします」といってくれた新しいプロジェクトは、今後、あなたの下に集まった精鋭たちが、遺志を継ぎ、必ず成功させてくれるものと信じております。
私どもは、役職員一同力を合わせて、当行がより良い銀行、より強い銀行、そしてより信頼される銀行に進化、成長を続け、「世界に通じるトップクラスのプレイヤー」になることで、これまでのあなたへのご功績に酬いたいと思います。
さらに、あなたのご遺族はあなたの御遺志を大切に守り、これからの人生を立派に歩んでいかれることでしょう。私どもも及ばずながら、あなたに代りお守り申し上げていく所存であります。宿澤さん、どうか安らかにお眠り下さい。
(平成十八年六月二十二日東京・築地本願寺にて)