「七十歳の引っ越し - 秋山駿」ベスト・エッセイ2002 落葉の坂道 から

 

 

「七十歳の引っ越し - 秋山駿」ベス


ト・エッセイ2002 落葉の坂道 から

引っ越しをして、やがて半年を過ぎるが、まだいっこうに日常が落着かない。居は移し易く生は変え難し、というが、これは嘘であろう。七十歳の引っ越しは、けっこう大事だった。
私は、西東京市にある、当時モデル団地と呼ばれた、都市基盤整備公団の賃貸団地に、四十年住んでいた。
当時物知り顔の人が、その家賃は、七十年間の土地代から算出したものだ、とか言うので、ふうん、七十年!それじゃ終の住処になるではないか、と考えて、それなりの生活を展開した。大家さんには気の毒だが、政府関係の大家さんならそれほど文句は言うまい、この部屋で死んでやろう、と。
ところが、団地の建て替えである。引っ越さざるを得なくなった。なるほど、団地建て替えの話は耳にしていたが、まさかその波が、自分の部屋を襲ってくるとは思わなかった。かつて文芸批評家の江藤淳が、私のことを、あれは極楽とんぼだと笑ったが、確かに私にはそういう面があるらしい。
都市公団も親切なもので、いろいろ引っ越し先を世話してくれる。それで、近所の、新築成ったばかりの賃貸団地に入居した。家賃も突然に高額にならぬよう配慮されていた。
入居してみて、ひどく驚いた。それまで四十年暮していた団地とは、ぜんぜん違う。以前の団地が、コンクリートの箱みたいなものだとすれば、こんどの部屋は、よく考えられた立派な住居である。前は三階だったが、こんどは十四階なので、見晴らしがいいからおいでよ、と誘った知り合いが一様に、へえ、賃貸団地もこんなに感じの良いものだったのか、と感心している。これでは、まるで都市公団の宣伝隊(笑)といったところだ。
前は2DK、こんどは3LDKなので、居住空間が二倍になった。だから日常生活は快適になったわけだが、そこからいろいろ喜劇が生じた。
入居後しばらくしてのある日、家内が、あ、歯どうしたの?と叫ぶ。この二年来私は、前歯の上下が抜けているので、好きなラーメンを食べるのに骨を折っていた。それを見付けたのである。発見して、驚いたらしい。
つまり、家内と私は、その五、六年前から、向かい合わせで食事をしたことがなかった。肩を並べて食事をした。要するに、向かい合わせの空間が、私の住居からは消滅していた。

私は愚かなことに、本が、文芸批評という仕事にこれほど沢山に必要だ、とは考えてこなかった。本は、アメーバのように増殖した。家具を一つ一つ呑み尽し、ふと気が付くと、後に残るのは机と椅子と万年床ばかり、周囲にあるのは、ただ本の山か川。殺風景であった。
本の重量はピアノの重量と同じだ、といわれたので、床の補強と本棚の設営をしかるべき会社に頼んだが、その届をすると、公団の人から、なぜそんなことをするのか、したければ分譲に行けばいいではないか、と言われた。私はたちまち作家吉目木晴彦の、新旧あるいは賃貸分譲といった、団地間相互の差別を描いた小説を思い出し、ははあ、やはり賃貸はバカにされるのだな、感じた。
そういえば、いまから三十年前、団地小説などという呼称がはやった頃、団地を舞台に作品をよく描いた後藤明生に、賃貸か分譲か、はっきり書いてくれないと困る、とか文句をいったりしたことも、思い出した。
入居三ヶ月しての夏、ベランダの天井からしきりに水滴が漏れた。あわてて管理事務所に届けると、建築会社が二年無償で補修することになっているから、管理事務所は関知しない。個人が(私が)相手に申し入れてくれ、という。はい、それでは相手の会社はどこですか?と問うと、それは分からない、という。それでは、その個人はどうすればいいの?と訊くが、らちが明かない。
私は、「団地」というものに、大きな意味を見出していたので、ちょっと残念だった。
私は、戦後日本文学史の一九六〇年以降を担当したとき、団地の出現と、団地的生活様式による核家族化が、文学の背後の基軸を移動させた、変化させた、と考えた。
それ以前の文学は、人生や家を描こうとするとき、その基軸は、志賀直哉が代表例であるように、父親と息子の対立、というところにあった。これは男性軸で、対立という構図だから、理解し易い。
ところが、核家族になってからは、その基軸が、母から娘への女性軸に移った、と私は思う。こちらの女性軸は、母と娘の生れてから死ぬまでの絡み合いのようなもので、対立という直線的なものではなく、曲線的というかメビウスの輪のようなもので、複雑豊富で理解しにくい。
しかし、この女性軸が、これからの文学を深化させてゆくものであろう。
引っ越し話私に、棲む、ということは何かを教えてくれた。前の本と埃だらけの小さな部屋。あれは、私の創った繭であった。本の並べ方から、二重三重の谷底にあって十年に一度も取り出さない本に至るまで、まるで蜘蛛の巣のように、その一つ一つに見えない糸を張っていた。その糸に物が衝突すると、私の思考が生ずる。いってみれば、そのすべてが私の生の細胞のようなものであった。引っ越しは、その巣を切断した。さて、どうする?
新居のこの十四階の部屋からは、晴れた朝、富士山がよく見える。非常に新鮮である。こんどはあの山に見えない糸が届くかどうか試してみよう。居を移すとは生を変えることであった。