(巻三十五)早ばやと重ね布団や露の宿(瀬川みよ子)

(巻三十五)早ばやと重ね布団や露の宿(瀬川みよ子)

1月2日月曜日

色夢でもなく、どちらかと云えば軽い夢だったのようで5時半までよく眠れた。

朝家事は掃除機がけ、洗濯、毛布干し。昼は雑煮を頂く。餅の焼き方や箸の使い方など小うるさいので、“うるさい‼”と申した。独り飯の方がいい。

一息入れてから散歩。昨日と同じコースの図書館、稲荷、蓮光寺、都住3を歩いた。散歩の途中から雲が覆い、風が吹き始めた。猫たちはみんな居たがみんな腹を空かしていたようだ。コンちゃんはゴロゴロと寝ころがり愛想を振りまくし、サンちゃんは階段を駆け降りてきたし、クロちゃんは三袋目を欲しがった。猫という奴は掌を平気で返すが、私も猫だ。

新しいパジャマを卸し、心地好く眠る。

願い事-涅槃寂滅です。

蓮光寺さまの今年一発目の掲示を一撮いたしたが、今朝書き留めた警句も同じようなことを言っていた。

“It's better to have a short life that is full of what you like doing, than a long life in a miserable way.” Alan Watts

軽薄短小ではないが、我が人生“浅狭短濁“でよい。楽に終われることだけが願いだ。

海までのあと数キロを冬の川(拙句)

駅伝をやっている。柏にいた頃は隣町の我孫子にあった中央学院大学が出場すると少し気にしていたが、今年は出場できなかったようだ。駅伝随筆そのものは在庫にないが、近いところではこれか?と読み返してみた。

「走る風景 - 宇佐美彰朗」岩波書店 エッセイの贈りもの4 から

ランナーの過ぎゆきたればそれぞれに

いつもの孤独へもどりゆけり(岩元秀人)

「走る風景 - 宇佐美彰朗」岩波書店 エッセイの贈りもの4 から

一、二月は耐久性・持久性を競う競技会が集中する。陸上ではマラソンや駅伝の大会、雪上では距離スキーの催しが目立つ。雪国で育った私は高校時代に距離スキーの選手だった。このシーズンになると、ただただ二本のスキー跡[レール]を交互にスキーを滑らすことに専念し、コースのきびしいアップ・ダウンに難渋した経験を懐しく思い出す。

世界的に有名な福岡国際マラソン選手権大会が、昨年十二月の大会からコースが都市型に変更されるに至ったのは記憶に新しい。これまでのあのコースの中の景勝の一つであった中盤の折り返し地点、「海の中道」の一〇キロほどが、スタートから福岡市街を迂回する一〇キロに取って替えられたのである。これはこの大会のコースが、たんに都市型レースを志向しただけではない。旧コースが海に臨んだ景勝地であったことは、同時にランナーが海からの強い季節風の影響を受け好記録の阻害要因ともなるのである。これを避けるために主催者によって実際的・専門的な対策として考えられたことでもあった。

昨今、世界的に国際大会開催の条件に大きな変化が起こっており、記録の出やすい大会には大きなスポンサーがつき、冠大会や賞金つきレースなども出現した。そこに有名な選手が招待されれば、イベントとして有利に大会運営が行われるといった今世紀末の世界的傾向がある。あのコースの変更は、そういう文脈のなかで考えられるべきものであろう。

かつてのマラソン・コースは人気のない交通量の少ない地域が選ばれ、設定されることが多かった。今日の都市型コースは、文字通り都市住民の生活空間・住宅地域をもってコースとしたのである。こうした現象は、実際は走る選手たちにどういう影響をもたらし、景観はその眼にどう映るのであろうか。

私の経験からしても自然な環境の中を走るときは、体調やコースの状況にもよるが、心理的にはだんだん単調さに退屈を覚え、おのずとスピードも鈍り気味になる場合も確かにあった。例えば、前方の看板が目に入り、その色合いや文字を認めた時、それからさまざまな連想が頭の中で展開することもあるが、走りに集中している時には、コースそのものはなにか立体感は欠けていて、感覚的にいえば両側に映画のスクリーンが単調に流れているかのようである。言ってみればトンネルの壁に景色が映され、移ってゆくようである。目は前方のみ見据えて、足元の道路の舗装のつなぎ目は次つぎと後へ移動してゆく、それのみをもって自分の走りのスピード感やリズム感としたりするのである。

この点、都市型コースでのレースであるならば、こうした平坦さや退屈感がいくぶんか紛れることは確かである。私の場合、それは、アメリカ建国二〇〇年を記念して、一九七六年に創設された、ニューヨーク市でのシティマラソンの経験が最も印象に深い。第一回、第二回大会に続けて招待されてここを走った。ニューヨークの五つのブロック全地域を走り廻るコースで、いくつもの橋を渡り、工場地帯から住宅街はもちろんのこと、あのマンハッタン高層ビル街を走り抜ける時などは、よくもこんな大都会のどまんなかをコースに選んだものだ、と圧倒的な立体感を感じたものである。

ただ、いずれにしても疲れが極まってくると、目に映るあたりの風景は灰色に退色するし、電信柱はゆがみ、レールが曲って見えたりするのは同じである。

風景といえば自然の中をゆく駅伝競走のとき、伴走するチームの監督車は、わがチームの走者が一生懸命走って好調なときはよい(多少の指示ミスも許されるのである)。反対に走者が不調なときは、ついついその指示がきつくなるが、一向に選手の反応は鈍い。監督車は、一層、興奮状態となり、さらに声高にジープの高い位置から見える目標物を説明し、指示が与えられる。

> 走者の視界とジープの上からのそれとは相当の違いがある。これを逆に利用して調子のいまひとつ乗れない選手を元気づけることもできる。箱根駅伝の山中など、カーブが多く前方が見定めにくい。これを良いことに「お前には見えないが、相手がジープから見える距離に追いついたぞ!調子いいぞ」といった具合である。実際に距離が相当あっても、こうした方便を使って指示を与える。

だがこうした景観の違いが実際の記録面にどの程度影響したかを推し計ることは大変に難しい。まして、マラソンの記録が二時間に限りなく近づいているいま、こうしたメンタルな要素の考察より、絶対的パワーで走り切ることが追求されるのは当然であろう。

そこでここでは、交通機関に例えるならば、かつての懐かしい蒸気機関車のごとく、二時間一〇分程で私が走っていたころののどかな時代のマラソン風景を紹介して本文の責を果たしたい。

> 前述したが、立体感の点で現在のシティマラソンのコースに劣る分だけ、走る人間の諸感覚が大活躍したようである。つまり、視覚では、前方の先導役の白バイのナンバープレートの数字を足し算、引き算してゼロにする計算を頭の中で続ける。一刻「算数の時間」である。聴覚になると、沿道の観衆の声援から耳が無意識に聞き慣れた声を拾い出し、走り過ぎてだれかを判定したりもするのである。嗅覚についてもこんな連想の経験がある。あるレース前半、人家の軒下を通過した一瞬、味噌汁の香りが鼻を突いた。当時、自炊生活中であった私は、その味噌汁の具はいったい何かと考えながらしばらく走り続けた。