「透析拒否 - 団鬼六」自伝エッセイ-死んでたまるか から

 

「透析拒否 - 団鬼六」自伝エッセイ-死んでたまるか から

団鬼六、透析拒否」の見出しで、夕刊フジの一面に私の顔がデカデカと派手に載せられたときは、自分でも驚きました。
また、その新聞記事を見た私の仲間たちからお悔やみともお見舞いともつかぬ電話が殺到し、面喰らっているのですが、単に病院嫌いの私が、こちらから病院と縁を切っただけの話で、何も大仰に新聞で騒ぎ立てることはないのです。
今年の春あたりから腎機能の指数である血清クレアチン値が急激に上昇し、限度ギリギリの八(ミリグラム/dl)を超えて九近くになり、係の医師から至急、人工透析にかかりましょう、と透析を宣告され、私がそれを断固拒否したというだけの話。
つまり私は医師からは人工透析以外、命は助けられませんよ、と、いわれたのです。
腎機能の指数、クレアチン値は一・〇程度以下が正常値であるのに、それが八を超えているということは私の腎機能は完全に停止している状態にあり、現在、こうして平気で生きているのが不思議だと医師はいうのでした。
腎不全の末期的病状としての尿毒症にかかると医学界では救命方法のない病態と決めつけられてきましたが、
「透析療法が出現したおかげで、患者の生活は一変した」
と、医師たちは口を揃えて私に説明するのです。

それを断固拒否する私の理由は大体、次のようなものでした。
人工透析というたら、週三回病院に通って一回四時間もかけて身体から血を抜きとって入れ替えするんでしょう。透析を始めたら、一生続けないかんそうで、何や、人造人間に改造されるみたいで僕、そんなの嫌です」
そんなの嫌です、といっても私の担当医師は、あなた、透析しなけりゃ死にます、とこわい顔つきになって私にいいました。
私にはこの担当医師が急に吸血鬼の本性を現したような恐怖を感じました。
僕はもともと快楽人間なんですからそんな制約のついた生き方はとてもできない、といって自分の方から病院に縁切りを申し出て、病院からスタコラ逃げ出したのです。
僕は今年でもう七十五歳、ここまできて透析にまですがって延命策を計りたくない、というのが私の偽らざる心情でした。
医師と縁を切って新宿の酒場などで自棄になって飲みながら、透析を奨める医師なんか吸血鬼ドラキュラだと病院の悪口をいったのがマスコミに嗅ぎつけられただけの話で、透析拒否が鬼六流美学などと大きく扱われ、週刊誌や新聞というものはなんて大袈裟なんだろうと私としても甚だ迷惑でした。

 

もともと私に腎不全の兆候が現れ出したのは二年ばかり前になります。去年まではさすがに気になって一週間ばかり都内の病院に検査入院したことがありました。
病院だから当然、酒、煙草は一切禁止、食事制限で連日、塩気のまるでない、まずいものばかり喰わされましたが、三日目にケツをまくり、病院を抜け出して銀座のクラブへ遊びに行きました。
ひいきにしていたホステスを集めて病院内の味気なさを語り、ア~コリャコリャ、とやっていると、向こう側のボックスに陣取った客がしきりに私の方をジロジロ見つめているのが気になりました。
何だ、こいつ、とこっちも睨み返して、ハッと気づいたんですが、私が入院中の病院で私を担当している医師でした。私はうれたえてすぐにホステスに頼んで医師連中の席にボトルを一本差し入れ、
「妙な所でお逢いしましたね」
と、照れ笑いしながら挨拶に出向くと、
「入院中の患者とこういう席でお逢いしたのはこれが初めてです」
と、医師も仕方なさそうに苦笑いしていました。
それ以上、長くクラブで遊ぶわけにもいかないので、まもなく切り上げて病院へ逃げ帰ったのですが、それから要注意人物として病院側の私に対する監視の眼が厳しくなりました。

検査入院の結果、クレアチン値が低くなるどころか逆に高くなって病院を出るはめになりました。その一週間の入院生活を自分で見ても感じることなんですが、生来、快楽主義にできている私には、型にはまった生活はどうも無理なようです。
快楽主義というのは裏を返せば楽天主義であるわけで、もう腎臓病であろうが腎不全であろうが、自分の意思で治す気がないのなら、運命に任すより仕方がないと思うようになりました。
それで担当の医師から「透析しなけりゃ命が持たない」といわれたときだって、そんな制約を受けたような生き方だけはしたくない、と、医師に突っ張ったようないい方しかできないのです。
尿毒素が体内に廻ると頭がおかしくなり、呼吸困難に陥って無様な死に方になると医師はおどすんですが、私は、「我に自由を、然らずんば死を」などといっとひるみませんでした。

 

私の「透析拒否」の新聞記事を見た病院の院長から、私はすぐに呼び出しをくらいました。腎臓の専門医が何人か集まって私の透析拒否の心得違いをゆっくり時間をかけて諭そうという狙いがあったようです。
現在の医学では、末期的腎不全患者には人工透析以外に救う方法はないと医師はくり返し説明すると、腎臓病患者の私に現在の自覚症状についてたずねてきました。
「朝から身体がだるく、疲労が蓄積した感じで眼がかすみ、思考がぼやけて何をするのも面倒くさい感じ-」
と、ありのままを医師に伝えると、彼らは当然のことのようにうなずき合い、
「それに対し、あくまでも透析を拒否する貴殿は、その処置をご自分ではいかにされているんですか」と、私にたずねてきましたから、腎臓病には西瓜がいいと女房に聞いてこの夏から西瓜を喰い続けている、というと医師たちは笑い出すのです。
末期的腎不全患者に西瓜など屁のつっぱりにもならないどころか危険、と医師のいわんとすることはわかっていましたから、
「それともう一つ、フランスにいる友人の奨めで、ルルドの洞窟の水をくんで送ってもらっついる」
というと、医師連中はさらにあきれたような顔つきになりました。
ルルドの水をねえ」
院長は哀れむべく眼差しを私に向けました。
ルルドというのは南フランスのピレネー山脈山麓にある町で、昔、ここに聖女マリアが出現し、マリアのお告げによって洞窟の中を掘ると泉が出現し、この泉の水を飲んだ病人の病気が奇跡的に治ることとなり、毎年五百万人以上の巡礼者がここを訪れて泉の水をいただくといわれています。
弘法大師にいわれた地面を掘ったら温泉が湧いたという話は日本にもよくある話ですが、フランスからこのルルドの水を送ってもらっついる、というだけでも笑っていた医師たちは、そのルルドの水でウイスキーを薄め、つまり、水割りを作って毎晩飲んでいると私から聞かされたときはさすがに怒ったらしく、ものをいわなくなりました。
もう、処置なし、と病院側も私に対してはサジを投げたのでしょう。それからはうるさく私に指示はしなくなりました。

何も私は面白がって医者に反発しているんじゃないのです。
酒も駄目、煙草も駄目、辛いもの甘いものも駄目、の生活に到底ついていけないだけの話で、そんな禁欲生活で百歳まで生きる馬鹿もいる、というのが私には理解できない事でした。

 

私は子供の頃から平凡主義、快楽主義であったらしく、世の中は快楽さえ追求していけばそれでいいと思っていました。
平凡なる現象を追って盲目的な力に屈従していけばいいと思っていました。
また、快楽というものは人間にとって一種の激情であって、激情のない人生なんて考えられません。
一日おきに四時間の透析を行うなんてそこまでして生き続けたいとは思いません。
そして死ぬまで酒と煙草、それに女はやめない。というのが快楽主義者である私の主義なんです。

兼好法師は、「四十に足らぬほどにて死なんこそ、めやすかるべけれ」といいました。それから見ると私は三十年も多く人生を生きてきたことになります。
しかし、私の精神年齢というのは四十歳、いや、もっと下の三十歳、いや、まだ精神年齢が二十代から抜け切れていないのではないかと思うことすらあります。
というのは考え方がその頃と全く変わっていないということ、要するに思考力が幼稚なのかも知れません。
気持ちが若いということは自慢できないことではないのですが、自分の方は年齢のことなど一向にかまわないつもりでも年齢の方が私をかまい出して困ります。
それに最近、頻繁に中学、高校、大学時代の同窓会が開かれるようになり、あれは年をとってくると昔の仲間の元気な顔が見られるという一種の老人病になった幹事の音頭によるものですが、どうもあの同窓会というのは好きになれないのです。
かつては溌剌としていた友人たちの老醜無残に成り果てた顔を見たくはないのです。
自分の方だって相当老醜化しているのですが、それは考えたくない。
私の大学の同期に俳優の高島忠夫がいるのですが、同窓会に行って老け込んだ仲間の顔を見ると、
「俺もああなっているのかと思ってぞっとする」
といってました。
しかし、かつて美男スターであった彼にも相当老醜の翳[かげ]りが忍び寄っています。
私の身体はガタがきているのは確かなんですが、気持ちだけはどういうわけか年をとれないんです。
それは私が若い頃から楽天家で快楽中心主義の人間だった故かも知れません。
快楽主義で世を過ごして来た人間は気持ちだけは老け込まないのです。