「AIは死なない(令和元年6月) - 藤原正彦」巻頭随筆百年の百選 から

「AIは死なない(令和元年6月) - 藤原正彦」巻頭随筆百年の百選 から

将棋が得意だった私は、大学一年生の秋に学内将棋大会で準優勝した。自信を持った私は腕試しに千駄ヶ谷将棋会館を訪れた。係に二段と告げたら小学校四年生くらいの男の子との対局を指示された。「ムッ」とした。坊っちゃん刈りは慣れた手つきで箱から駒を五枚取り出すと、「それでは振らせていただきます」と言った。先手を決めるということで対等の勝負ということだ。ますます「ムッ」とした。駒を並べた後、坊っちゃん刈りが深々と頭を下げた。とことん「ムッ」とした。一気に潰そうとしたら反撃され木端微塵  にやられた。プロの卵だった。
子供にひねられる程度の才能、と大好きだった将棋に見切りをつけた。好きな碁とマージャンも断ち数学への邁進を決意した。ついでに女も断った。最後のものについては頓珍漢な女房が「モテなかっただけでしょ」と言う。
頭脳ゲームから離れていた一九九五年、ケンブリッジ大学での同僚からメールが届いた。「正彦の教えていたクイーンズ・コレッジにデミス・ハザビスという十九歳の学生がいる。十三歳でチェスのマスターになった神童で、十七歳の時にはテーマパークというゲームソフトを開発して億万長者となった。現在数学と碁における私の弟子だが、近々東京に行くから会ってくれないか」。
Tシャツにジーンズの小柄なハザビスは、いたずらっ子のような風貌でお茶大の研究室に現れた。「ゲームソフトで才能を発揮したのになぜ大学で数学やコンピュータ科学を」「学問を深めて大きな仕事をしたい」「大きな仕事」「実は世界最強プロを負かす囲碁ソフトを作りたい」。
将棋ソフトなら、研究の進まない時のウサ晴らしに、世界最強というふれこみのものを時折コテンパンにやっつけていたから、弱さを知っていた。将棋でもそのレベルだから桁違いに複雑な囲碁では絶望的、と思ったが教師の役割は学生を励ますことだ。「きわめて難しい。でも野心的で面白い。将棋の谷川名人は、ほとんどの局面で一手しか頭に浮かばない、と言った。別の対談では米長名人がこうまで言ったよ。百手のうち九十五手は五秒以内に浮かんだ一手で、二手浮かぶ者は名人になれない、とね。五秒以内ということは論理的思考のはずがないから感覚的なものに違いない」。ハザビスは目を輝かせて聞いていた。私は「脳の機能を研究してみては。数学では類推が最重要のことを考えると、類推の仕組みの研究とかね」と、いい加減なことを付け加えた。 

ハザビスはケンブリッジを最優等で卒業し、数年間AI企業で働いてから、脳を学びにロンドン大学の大学院に入学した。画期的論文を書いた後、数年間の学究生活にピリオドを打ちAI関連の会社を作った。そしつ二〇一六年、彼が深層学習(AIに人間の脳のように自己学習や類推をさせること)の手法により作ったアルファ碁というソフトは、世界最強プロを破った。
チェス、将棋、囲碁のすべてでAIが人類を超えたことや深層学習の威力などを見て、野村総研わグーグルやオックスフォード大の研究者などは、今後十年から二十年で現在の仕事の大半がAIにとって代わられる、とセンセーショナルな報告を出した。
人間とAIの最大の違いは肉体か機械かだ。人体は三十七兆という膨大な数の細胞からなり、それらは複雑な機序で統制され、死んだり生まれたり(代謝)をくり返しながら生命が維持されている。そしつ無数のバリエーションをもつ体験を重ね、惻隠、孤独、懐かしさ、別れの悲しみ、寂寥、憂愁、もののあわれなど深い情緒を有するに至る。
大事なことはこれらの情緒がすべて、人間が有限な時間の後に朽ち果てる、という絶対的宿命に起因しついることだ。人間に死がないのなら、失恋も失意も別れの悲しみもほぼなくなる。女に一万回ふられれば一万一回目のアタックをすればよいし、東大に一万回落ちたらもう一度受ければよい。美意識だって深い所で死に結びついている。死がなければすべての深い情緒は希薄になるか消滅する。
死のないAIは文学や芸術を創作できない。俳句や短歌なら一時間にそれらしきものを一万個も作ることができようが、その中から人の胸を打つものを選び出すのは至難だ。詩人のポール・ヴァレリーはかつて「詩作に不可欠なのはいくつものアイデアを出すこと、そしてその中から最高のものを選び出すことだ。どちらがより大切かと言うと後者だ」と言った。AIはその能力に欠ける。
数学や自然科学においては美意識が最も大切だから、AIに計算や分析や証明はできたとしても発見はできまい。三角形の内角の和が一八〇度という小学生の知る性質すら永遠に発見できまい。人間は死により、AIに対して絶対的優位に立っているのだ。
高度な創造ばかりか、ウェイトレスのような単純労働にも不向きだ。彼女達は店内の細々としたことすべてに臨機応変の対処をし、客のイチャモンをいなし、子供に椅子やおもちゃを持って来たり、おじさんジョークにも愛想笑いをする。時には沖縄で通いつめた食堂のルナちゃんのように、私の異常な魅力に気づき惚れたりもする。たとえウェイトレスの真似事をこなすAIロボットができても、誰がそんな店に行くだろうか。
AIが恐るべき能力を発揮する分野は多いが、人間を凌駕する分野は限られている。若山牧水の「白鳥は哀しからずや 空の青 海のあをにも染まずただよふ」に涙さえ流せないからである。