「猫と庄造と二人のをんな(抜書) - 谷崎潤一郎」中公文庫

 

「猫と庄造と二人のをんな(抜書) - 谷崎潤一郎」中公文庫

 

雪子の名を使つた品子のあの手紙が手紙が届いた朝、最初に彼女が感じたのは、こんないたづらをして私達の間へ水を挿さうとするなんて、何と云ふ嫌な人だらう、誰がその手に乗つてやるもんか、と云ふことだった。品子の腹は、かう云ふ風に書いてやつたら、結局福子はリリーのゐることが心配になつて、此方へ寄越すかも知れない、さうなつたら、それ見たことか、人を笑つたお前さんも猫に焼餅を焼くぢやないか、やつぱりお前さんだってさう御亭主に大事にされてゐないのだねえと、手を叩いて嘲つてやらう、そこまで巧く行かないとしても、此の手紙をキッカケに家庭に風波が起るとしたら、それだけでも面白いと、さう思つてゐるに違ひないので、その鼻を明かしてやるには、いよいよ夫婦が仲良く暮すやうにして、こんな手紙などてんで問題にならなかったと云ふ所を見せてやり、二人が同じやうにリリーを可愛がつて、ともに手放す気がないことをもつとハツキリ知らしてやる、-もうそれに越したことはないのであつた。
だが、生憎なことに此の手紙の来た時期が悪かつた。と云ふのは、ちやうど此の二三日小鯵の二杯酢の一件が福子の胸につかへてゐて、一遍亭主を取つちめてやらうと考へてゐた矢先だつたのである。一体、彼女は庄造が思つてゐるほど猫好きではないのだが、庄造の気持を迎へるためと、品子への面当てと、両方の必要から自然猫好きになつてしまひ、自分もさう思へば人にも思はせてゐたのであつて、それは彼女がまだ此の家へ乗り込まない時分、蔭で姑のおりんなどとグルになつて専ら品子の追ひ出し策にかかつてゐる間のことだつた。そんな次第で、此処へ来てからも、リリーを可愛がつてやつて、精々猫好きで通してゐたのだが、だんだん彼女はその一匹の小さな獣の存在を、呪はしく思ふやうになつた。何でも此の猫は西洋種だと云ふことだつたが、以前、此処へお客で遊びに来て膝の上などへ乗せてやると、手触りの工合が柔かで、毛なみと云ひ、顔だちと云ひ、姿と云ひ、ちよつと此の辺には見当らない綺麗な雌猫であつたから、その時はほんたうに愛らしいと思ひ、こんなものを邪魔にするとは品子さんと云ふ人も変つてゐる、やつぱり亭主に嫌はれると、猫にまで僻[ひが]みを持つのか知らんと、面当てでなくさう感じたものだったけれど、今度自分が後釜へ直つてみると、自分は品子と同じ扱ひを受ける訳でもなく、大切にされてゐることは分かつてゐながら、どうも品子を笑へない気持になつて来るのが不思議であつた。それと云ふのは、庄造の猫好きが普通の猫好きの類ではなくて、度を越えているせゐなのである。実際、可愛がるのもいいけれど、一匹の魚を(而[しか]も女房の見てゐる前で!)口移しにすて、引張り合つたりするなどは、あまりに遠慮がなさすぎる。夜は姑が気を利かして、自分だけ先に食事を済まして二階へ上つてくれるのだから、福子にしてみればゆつくり水入らずを楽しみたいのに、そこへ猫奴が這入つて来て亭主を横取りしてしまふ。好いあんばいに今夜は姿が見えないなと思ふと、チヤブ台の脚の開く音、皿小鉢のカチヤンと云ふ音を聞いたら直ぐ何処かから帰つて来る。たまに帰らないことがあると、怪[け]しからないのは庄造で、「リリー」「リリー」と大きな声で呼ぶ。帰つて来る迄は何度でも、二階へ上がつたり、裏口へ廻つたり、往来へ出たりして呼び立てる。今に帰るだらうから一杯飲んでいらつしやいと、彼女がお銚子を取り上げても、モヂモヂしてゐて落ち着いてくれない。さう云ふ場合、彼の頭はリリーのことで一杯になつてゐて、女房がどう思ふかなどと、ちよつとも考へてみないらしい。それにもう一つ愉快でないのは、寝る時にも割り込んで来ることである。庄造は今迄猫を三匹飼つたが、蚊帳をくぐることを知つてゐるのはリリーだけだ。全くリリーは悧巧だと云ふ。成る程、見てゐると、ぴつたりと頭を畳に擦り付けて、するすると裾をくぐり抜けて這入る。そして大概は庄造の布団の側で眠るけれども、寒くなれば布団の上へ乗るやうになり、しまひには枕の方から、蚊帳をくぐるのと同じ要領で夜具の隙間へもぐり込んで来ると云ふ。そんな風だから、この猫だけは夫婦の秘密を見られてしまつてゐるのである。

それでも彼女は、今更猫好きの看板を外して嫌ひになり出すキッカケがないのと、「相手はたかが猫だから」と云ふ己惚[うねぼ]れに引き擦られて、腹の虫を押さへて来たのであつた。あの人はリリーを玩具[おもちや]にしてゐるだけなので、ほんとうは私が好きなのである。あの人に取つて天にも地にも懸け換へのないのは私なのだから、変な工合に気を廻したら、自分で自分を安つぽくする道理である。もつと心を大きく持つて、何の罪もない動物を憎むことなんか止めにしようと、さう云ふ風に気を向けかへて、亭主の趣味に歩調を合はせてゐたのだが、もともと怺[こら]へ性のない彼女にそんな我慢が長つづきする筈がなく、少しづつ不愉快さが増して来て顔に出かかつたところへ、降つて湧いたのが今度の二杯酢の一件だつた。亭主が猫を喜ばすために、女房の嫌ひなものを食膳に上せる。而も自分が好きなふりをして、女房の手前を繕[つくろ]つてまでも!-これは明らかに、猫と女房とを天秤にかけると猫の方が重い、と云ふことになる。彼女は見ないやうにしてゐた事実をまざまざと鼻先へ突き付けられて、最早や己惚れの存する余地がなかなつてしまつた。
ありていに云ふと、そこへ品子の手紙が舞ひ込んで来たことは、彼女の焼餅を一層煽つたやうでもあるが、一面には又、それを爆発の一歩手前で抑制すると云ふ働きをした。品子さへおとなしくしてゐたら、リリーの介在をもう一日も黙視出来なくなつた彼女は、早速亭主に談判して品子の方へ引き渡させる積りでゐたのに、あんないたづらをされてみると、素直に註文を聴いてやるのが忌[い]ま忌ましい。つまり亭主への反感と、品子への反感と、どちらの感情に動いたらよいか板挟みになつてしまつたのである。手紙が来たことを亭主に打ち明けて相談すれば、事実はそうでないにも拘はらず品子にケシカケられたやうな形になるのが心外であるから、それは内証にして置いて、どちらが余計憎らしいかと考えると、品子の遣[や]り方も腹が立つけれども、亭主の仕打ちも堪忍[かんにん]がならない。殊に此の方は毎日目の前で見てゐるのだから、どうにもムシャクシャする訳だし、それに、本当のことを云ふと、「用心しないと貴女も猫に見換へられる」と書いてあつたのが、案外ぐんと胸にこたへた。まさかそんな馬鹿げたことがとは思ふけれども、リリーを家庭から追ひ払つてしまひさへすれば、イヤな心配をしないでも済む。たださうすると品子に溜飲を下げさせることになるのが、いかにも残念でたまらないので、その方の意地が昂[こう]じて来ると、猫のことぐらゐ辛抱しても誰があの女の計略なんぞにと、云ふ風になる。-で、今日の夕方チヤブ台の前にすわる迄は、彼女はさう云ふグルグル廻りの状態に置かれてじれてゐたのだが、皿の上の鯵が減つて行くのを数へながらいつものいちやつきを眺めてゐると、ついかあツとして亭主の方へ鬱憤を破裂させてしまつたのである。