「あなたは幸せ?:一緒に暮らした母の問い - 内田正治」タクシードライバーぐるぐる日記 から

 

「あなたは幸せ?:一緒に暮らした母の問い - 内田正治タクシードライバーぐるぐる日記 から

 

仕事が終わると、私はときどき夜中に歩いて帰宅した。会社のある北千住から、住まいのある葛飾立石までは歩くと40分ほどかかる。1日ずっと座っているので、歩くのは気分転換にもなり気持ちがいいし、健康のためでもある。
明け方に家に着き、風呂に入ってから仮眠。午前中いっぱい寝てすごし、午後に散歩に行くことが日課となっていた。
運転しながらお客を探し続け、乗せれば行き先に向けて走り出す。走行中もお客の要望に応えながら四方八方まわりのクルマに気をつかう。緊張の中で長時間ハンドルを握らなければならない。だから明けの日はハンドルを見るのも嫌だった。
休日には一万歩を歩いた。1章で述べたように、趣味と実益を兼ねて、仕事で気になったところへバスや電車で行っては、歩いて道を確認していた。
当時の私は立石の団地での母とふたりの生活だった。
ひとり息子はすでに独立し、勤め人として海外生活をしていた。父はケアホームに入居していた。
ときどき近くまでお客を送った折に家に立ち寄り、母と一緒に昼めしを食べた。家にひとりでいる母のそばにできるだけいてあげることが親孝行だと思っていた。私がタクシーに戻ると、5階のベランダからずっと見送ってくれていた。
タクシードライバーになって、5、6年がすぎたころのことだ。
早朝に帰宅し、仮眠をとったあと、遅めの昼食を母ととった。小春日和の日だった。
体を丸くして座布団に座った母は「私の人生で今が一番、幸せ」としんみりつぶやいた。
前述した倒産劇の一番の被害者は母だった。父の借金の保証人にさせられていた母は、裁判所の被告席にまで座らされた。その日、「どうしてこの席にいなければならないの」と泣いた母に、私はなんの言葉もかけられずにいた。
それ以降も、仕事も家も失った母の落ち込み方はひどく、引っ越し先の立石に移ってもどこにも出歩かず一日中、家の中ですごすようになっていた。憔悴しきった表情を見ると、何かしでかさないかと私も心配になった。
あの倒産劇から6年が経ち、新しく越した土地でも友人ができ、まだ体も元気、人生で初めてなんの心配もなく暮らせる幸せを味わっていたのだろう。
続けて「あなたは?」と尋ねられた。
そのころの私は明け方、会社のロッカールームでネクタイを結ぶとき、また長い一日が始まるのかと重いため息をついていた。自分の境遇を考え、即答ができなかった。
私は答えに詰まり、あいまいにうなづいた。