(巻十三)青梅や昔どこにも子がをりし(甲斐洋子)

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12月20日火曜日

今日は午後お休みを戴き故郷柴又を訪れてことにした。

我輩は生まれてから二十二歳までその地にいた。小学生の頃の葛飾にはまだ田圃残っていた。葛飾に強い愛着がある訳ではないが、まあ故郷と言えば故郷になる土地である。

葛飾や残る水田の濁り鮒(大竹節二)

柴又帝釈天の庚申と言う縁日にはよく遊びに行ったし、初詣も帝釈様であった。

帝釈天参道に買ふ草の餅(中山喜代)

柴又は昭和の一時期、山田洋二監督渥美清主演の映画“フーテンの寅”の舞台として一端の観光地となった。今でも寅さんにしがみついてなんとか持ちこたえようとしていて、寅さんの銅像もあれば、歌碑もある。師走の平日の午後の参道にはちらほらて訪れる人がいた。

寅さんが冬の「季語」とは知らなんだ薄着の似合う涼しい男が(石島正勝)

渥美清さんの俳号を“風天”で、多くの句がある。

はえたたき握つた馬鹿のひとりごと(渥美清)

帝釈天として知られる題経寺を抜けて、江戸川の土手に上り、河川敷の野球場を眺めた。

生涯を土手より臨む西日かな(鳴戸奈菜)

二十五歳くらいまではいくつかの町工場チームに属して葛飾区野球連盟の軟式大会第三部で活躍したあの頃を思い出した。草野球全盛の頃はまさに雑草だらけであったグラウンドは今随分ときれいに整備されていた。

菜の花や渡しに近き草野球(三好達治)

柴又駅に戻りながら、一杯できそうな店を探してみたが、門前町と言っても細やかなもので甘味処が二三軒あるのみで呑める処は見つからず、柴又駅から金町行きの京成電車に乗って故郷をあとにした。

本日の一句:

図らずも畳のうえで逝った寅(潤)