「週刊誌ー池波正太郎」新潮文庫“男の作法”から

人間は動物だからねえ。それを忘れちゃうから、どうも方々で間違いが起きてくるんだな。頭脳が比較的発達しているから高等動物になっているけど、肉体の諸器官というものは四つ足のときと変わらないんだよ。それを高等な生きものだと思い込んでしまって、そうした社会をつくろうとしていくと、非常に間違いが起きてくるんだよ。
だから、人間は昔からの知恵で、男と女の躰についてとか、性欲についてとかいうことを、うまく古代から律してきたものを、一概に法律で葬り去ってしまうということの影響の大きさは測り知れないものがある。売春防止法がまかり通っちゃった挙句、現実の社会はどうなったかというんだよ。
週刊誌にはヌード写真が氾濫し、セックスの記事がこれでもか、これでもかといわんばかりでしょう。若い男でも、女でも、そういうものを見る、読めるという状態で、それで肝心なところを止めてしまえば、その捌け口がどういうところへ飛び出しちゃうかということは一目瞭然だろう。
そうなれば当然、中学あるいは高校の時代から動物と同じになって、猫だの犬だのと同じになり、おたがいに飛びついて子どもをつくってしまったり、ということになるわけですよ。あるいは中絶するとかね。大変なんだよ、これ。十六か七でそういうことを何度もやると......そりゃあ若い間はいいけど、三十、四十になっていったとき肉体が傷つけられて、どういう結果を生むかという、悲惨な例がないとはいえないんだよ。
夏休みが終ったころ、婦人科の医者が女子中・高校生で、大繁盛になるという、こういう世の中というのは女のはじらいをなくすと同時に、男の責任感をなくしちゃうわけだよ。これが一番怖いんだよ。
男も女もいわゆる恥知らずになっちゃっているから、そういう男女が結婚して、亭主のいない隙に浮気をしたり、あるいは亭主に保険をかけておいて絞め殺したりということになってくるわけよ。すべてセックスのはじめのあれに全部影響されてくるといえなくもない。そこのところをよくよく考えないとね。
それからねえ、若いときは性の欲望というのが盛んでしょう。だけど、性欲が盛んである一方、性欲を抑える力も盛んなんだよ。ただ抑えといて何もしないというんじゃしょうがないんだよね。ぼくは変な話だけど、海軍へ行くまでは随分吉原で遊んだけれども、軍隊へ行ってた三年間は一度も女遊びをしたことないよ。軍隊だからみんな予防具を渡して、行ってこいということなんだけど、全然行かなかったね。
だから、その旺盛なエネルギーというものをほかへふり向けていって、若いうちでなければできないことをやらなきゃいけないわけ。セックスのみならず、ほかにギャンブルとか、モーターバイクとかいろんなものをやりたいでしょう。だからこそ、若いうちに何かするべきことをしとかなきゃいけないわけなんだよ。
だとえばドストエフスキーでもトルストイでも若いうちでないと読めないんだ、あの膨大な文学はね。もう四十になったら根気がなくなって読めないだよ。若いうちはいろんなことができるんだから、ディスコで踊り狂って、女の子を公園に引っぱり込むとか、そんなことばかりしないで、その余剰時間とエネルギーをほかのものにふり向けていかないとね。
将来の自分を高めていくための何かほかのものにふり向けてやっている人と、放縦に踊り狂ってセックスしたりしている人との差は、必ず数年のうちに出てきちゃう。社会人になったときにね。一方は落伍して行くし、一方はどんどん上がって行くわけですよ。