(巻十四)贋作を掛けて端午の祝いかな(増田河郎子)

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4月30日日曜日

移住先の広さは今の三分のニになるので、色々な物を廃棄しなくてはならない。手をつけてみると使いもしないものがこれほどもあったかと嫌になる。先ず、使わなくなった電気製品とビデオテープやカセットテープ、古いパソコンは四台、チェス盤に将棋盤、ゴルフグラブの2、3本。困ったのは、細君が勤めていたころに会社の紙人形創作サークルで作った10体以上のちょっと気味の悪い人形たちである。紙人形なので燃えるゴミとして出してしまえば簡単なのだが、あの薄気味悪さであるから、なにか祟りがありそうだ。自分で手を下すのはやめにして、廃棄物処理業者にお任せする廃品に分別することにした。
人形の祟りより怖いのがご先祖様のお怒りである。墓はおろか、仏壇にだって手を合わせたことはない。廃棄物処理業者も仏壇までは処理するが位牌はだめだというから、居を移すとなれば位牌くらいは連れていかなければなるまい。

仏壇に置かれた友のガラケーがバイブで知らすメールの着信(小島敦)

仏壇の前に昭和10年から15年ころの父の日記帳が四冊積んであった。六大学野球の結果などとともに“誰にいくら貸した”という金貸の記録が細かく記されいた。溶接工であったが締まり屋でコツコツ貯めては月末になるといくら郵便局に預けたなどが書いてある全く風流でも文学的でもないがお気持ちが伝わる日記帳である。