(巻十七)聞き置くと云う言葉あり菊膾(中村てい女)

イメージ 1

イメージ 2

1月18日木曜日

阪神淡路地震から23年だそうだ。東北地震とちがい体験していない。それでも23年前は何をしていたっけと人生を振り返る。

バブルがはじけた頃でフィリピンねマニラにいた。23年と云えば今までの人生の三分の一を占めるが、ここまでの23年はそれほど前のこととは感じない。

紙魚走るバブル絶頂期の日誌(柴崎政義)

写真はキャンプ・クラメの麻薬捜査班アキノ警部と面々。もう一枚はBOCのヘレオス監視部長と秘書さんである。
23年が人生の四分の一になることは考えにくい。ここまでの23年を短く感じたと云うことは、その時まではそんなに長く感じないのではないか?

わがひと世かくの如きと諾へど未だ香残る白秋のとき(大橋敏子)

フィリピンと云えば、大岡昇平の随筆“食慾ついて”をコチコチしている。

或る夜比島人の俘虜が逃走したことがある。監視の兵士は直ちに追ったが顛倒し、及ばずと知って発砲した。弾は当らず、俘虜は逃げ去ったが、班内で就眠中この銃声を聞いた我々は、無論敵襲と信じた。
我々は急いで帯剣をつけ銃を取って床に伏せた。銃声はそれきりしなかったが、未熟な兵士たる我々はどうしていいかわからず、ただ伏せていた。
私の隣で寝ていた池田の行動を私は漠然と意識していた。彼も私と同様まず近くの、様々な持物と一緒に帯剣を懸けてある壁に走ったのである。しかし伏せながらふと見ると、彼はいつまでもそこにはりついたように立ったままである 。それは見 様によっては、仰天して戸惑いしたとも見られる頗(そこぶ)る哀れな姿であった。
「池田、伏せろ」と私は低声で注意した。
「うう」と彼は答えたが、その声は何か口に含んだ様な変な声であった。彼はやがてその場に伏せたが、その時私は彼がまだ銃を持っていないのを認めた。彼はじりじり私も方へ、つまり銃架の方へ匍(は)って来た。
やがて慌しく廊下を駈ける音がし、下士官の何か怒鳴る声が聞えた。事態は判明した。「整列」と衛兵が叫んだ。
それから我々は無論俘虜の探索にかかったのであるが、その間の事情はこの話とは関係がないから省く。話は翌朝無益な捜索から帰って、一同仮眠の許可を得て班内に横になった時、私が昨夜の彼の奇妙な行動と「うう」と答 えた変な声を思い出したところから再び始まる。
私は昨夜彼の立っていたところを見た。そこには棚をつけ釘で打って、装具被服等をおいたり懸けたりする壁であるが、私はそこに彼の奉公袋が懸っているのを見た。
我々の駐屯していた町には砂糖工場があった。砂糖は最初兵士に自由販売されて、食糧の足しともなり、物々交換によって給料と物価との不均衡を補ってくれたが、この頃は統制を受けて漸く入手困難となっていた。彼はそれを手に入れるのにいかに熱心であり、且大事に保存したかはいうまでもない。
輸送船上の例を知っていた私は、銃声を聞いて彼の感じた最初の衝動が、この砂糖をなめてしまうことであったのを察するのに、手間はかからなかった。私は笑いながら彼に問いただし、私の推測の正しいのを確かめた。
異常な食慾によって、彼が生死につき我々と違った平静な観念を持っているとすれば、これは羨むべきであった。彼のように普段の関心を持たない私は、いずれこの地に上って来る強力な敵と、自分の死の予感を瞬時も去ることが出来なかった。

結びの部分に感じ入りました。私にもそのような死のことを忘れさせる欲望はございません。旨い物旨い酒いい女に対する執着も弱い方だと思います。

飲食はいやしきがよし牡丹雪(岸田稚魚)