「悼 宮口精二 - 中村伸郎」ハヤカワ文庫 おれのことなら放つといて から

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「悼 宮口精二 - 中村伸郎」ハヤカワ文庫 おれのことなら放つといて から

昭和七年、友田恭助、田村秋子夫妻が創立した築地座 - その第一期研究生が私や龍岡晋で、その一年か二年あとの二期生の中に宮口精二がいた。私たちにとって、大切な演技の基礎をおしえられたのがこの築地座だったと私は終世感謝し好運だったと思っている。
宮口精二はその頃エレベーターボーイのアルバイトをしていて、父君は大正十二年の関東大震災で逝くなったと聞いたような気がする。彼もその大震災の火の手に追われて、隅田川のどこかの橋桁にぶら下って水につかり、難を逃れたと言った。
役者に向いている素質とか適性については、私など未だに判らずにいるが、なんとなく初めから器用に動きまわる、そんな素質はすくすくと育つが、その逆の素質は苦労する......私自身がその後者だが、宮口精二がまた私と同類なので、私には彼の苦労がいつもよく判るような気がした。しかしいろいろな役者がいた方が、バラエティがあって面白いのが芝居だから、ある意味では彼も私も、その不器用さを生かす適所に配役されたことがないでもなかった。
黒澤明さんの「七人の侍」の撮影中に彼に会ったら、
「俺に立ち廻りなんて出来るわけねえよ。でも切られて呉れる方がうめえから、俺はなるべくなんにもしねえようにしてるんだ。生まじっか、いい格好を見せようなんてしたら、ボロが出るだけだからね」
と言っていたが、そんな自分を知った開き直りが、逆に肚の座った剣豪に見えたのかもしれない。そしてその、いい格好をひけらかそうとしない肚芸だけの存在感が、宮口精二の芸風に貫かれていたと私は思っている。
隅田川の橋桁にぶら下って命拾いをした彼は下町育ちで、久保田万太郎の劇中にそのまま生きた。久保田先生、龍岡晋宮口精二、そして私の四人は、芝居の上だけでなく俳句の師弟でもあったが、四人とも蕎麦が好きでなにかと言うとよく蕎麦を食い、うまい蕎麦屋を見つけると報告し合ったりもした。
私以外の三人は下町ッ子で私は山ノ手育ち、私が蕎麦を噛んで食べるのがオカしいと、その度に笑われた。あとの三人の中でも宮口精二の蕎麦のざばきは一きわいなせで、蕎麦をつまんだ箸を二、三度上下させてたれを切り、いい音をたてて飲み込む......見ていていなせには違いないが、あれでは消化によくない、と思うのが山ノ手育ちなのである。なぜ下町ッ子は、蕎麦だけはあわてて、急いで食べるものと決めているのか私にはオカしかった。同じ下町ッ子でも久保田先生の食べ方は、宮口精二よりはもたもたして、むしろ不器っちょなのがほほえましかった。
久保田万太郎劇には二つの顔がある。気ッ風のいい芸者が、歯切れよく啖呵を切る先生の花柳ものは、喜多村緑郎さん、花柳章太郎さんの新派の独壇場だが、大正十五年に慶応の先輩小山内薫氏に認められて、築地小劇場の「大寺学校」で新劇作家として劇壇に登場した久保田万太郎
 - そしてその系列の作品は、新派より新劇の観客のものである。もちろん築地座、文学座でもその系統は上演されたが、その都度演出の久保田先生のカッチリとして動かせない本読みを聞かされ、それを口写しみたいに薫陶を受けた我々は、美しい日本語の語り口を伝授されたと思っている。そして大正、昭和初期の立居振舞いの匂いが、朧気でも躰に残っている役者が少なくなった今日、私は東宝演劇部所属の宮口精二をもう一度引ッ張り出して、新劇久保田万太郎劇を再現したいと思いついた。
彼こそ今のままでは勿体ない。新劇万太郎劇に生きる貴重な役者だと思ったからだ。そして私は、はっきり新劇と銘打ちたかったので、先生が在られたら肝をつぶされたかも知れない渋谷のジァン・ジァンの舞台を選んだ。私はジァン・ジァンの観客を信じている。イエネスコの「授業」に十年間声援を送ってくれたここの観客は、新劇久保田万太郎を高く評価してくれると......。ジァン・ジァンの高島進さんも快諾してくれたので、私は肝心の宮口精二口説きにかかった。
先ずどうしてもやりたかったのは「大寺学校」の終幕、あれは珠玉の一幕物である。あの大寺校長と光長先生の二人ッ切りの芝居......、時代の推移に坑し切れず、滅びゆく大寺代用小学校への未練が、酔うほどに、愚痴るほどに哀愁の漂うあの一と幕は、万太郎独自の新劇であるからだ。私はあれを宮口精二と磨きをかけた舞台にして見せたかった。次いで「月夜」「かどで」も考えていると打ち明けた。
永い付合いで何度も見せた彼の困った時の顔、おなかの痛いみたいな、せりふをど忘れした時みたいな顔で、目を伏せたまま......カッチリした芝居をする気力が、もう失くなったよ、と小さな声で言われては、私も目を外らす他はなかった。その頃から彼の体調は、かなり悪かったのかも知れない。私としては、心残り、という言葉が憎いくらいである。

(85・11 悲劇喜劇)