2/2 「食慾について - 大岡昇平」文春文庫 もの食う話 から

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2/2 「食慾について - 大岡昇平」文春文庫 もの食う話 から

そのうちわが友の天才的な食慾について改めて感歎する機会があった。
或る夜比島人の俘虜が逃走したことがある。監視の兵士は直ちに追ったが顛倒し、及ばずと知って発砲した。弾は当らず、俘虜は逃げ去ったが、班内で就眠中この銃声を聞いた我々は、無論敵襲と信じた。
我々は急いで帯剣をつけ銃を取って床に伏せた。銃声はそれきりしなかったが、未熟な兵士たる我々はどうしていいかわからず、ただ伏せていた。
私の隣で寝ていた池田の行動を私は漠然と意識していた。彼も私と同様まず近くの、様々な持物と一緒に帯剣を懸けてある壁に走ったのである。しかし伏せながらふと見ると、彼はいつまでもそこにはりついたように立ったままである 。それは見 様によっては、仰天して戸惑いしたとも見られる頗(そこぶ)る哀れな姿であった。
「池田、伏せろ」と私は低声で注意した。
「うう」と彼は答えたが、その声は何か口に含んだ様な変な声であった。彼はやがてその場に伏せたが、その時私は彼がまだ銃を持っていないのを認めた。彼はじりじり私も方へ、つまり銃架の方へ匍(は)って来た。
やがて慌しく廊下を駈ける音がし、下士官の何か怒鳴る声が聞えた。事態は判明した。「整列」と衛兵が叫んだ。
それから我々は無論俘虜の探索にかかったのであるが、その間の事情はこの話とは関係がないから省く。話は翌朝無益な捜索から帰って、一同仮眠の許可を得て班内に横になった時、私が昨夜の彼の奇妙な行動と「うう」と答 えた変な声を思い出したところから再び始まる。
私は昨夜彼の立っていたところを見た。そこには棚をつけ釘で打って、装具被服等をおいたり懸けたりする壁であるが、私はそこに彼の奉公袋が懸っているのを見た。
我々の駐屯していた町には砂糖工場があった。砂糖は最初兵士に自由販売されて、食糧の足しともなり、物々交換によって給料と物価との不均衡を補ってくれたが、この頃は統制を受けて漸く入手困難となっていた。彼はそれを手に入れるのにいかに熱心であり、且大事に保存したかはいうまでもない。
輸送船上の例を知っていた私は、銃声を聞いて彼の感じた最初の衝動が、この砂糖をなめてしまうことであったのを察するのに、手間はかからなかった。私は笑いながら彼に問いただし、私の推測の正しいのを確かめた。
異常な食慾によって、彼が生死につき我々と違った平静な観念を持っているとすれば、これは羨むべきであった。彼のように普段の関心を持たない私は、いずれこの地に上って来る強力な敵と、自分の死の予感を瞬時も去ることが出来なかった。
しかし彼は死において不運であった。といっても我々の大部分より二十日早く死んだというだけの不運であるが。
米軍が上陸し山へ入ってから、彼は第一回の潜伏斥候に選ばれて風邪を得て帰り、五日で死んだ。山中でも食糧が最後まで豊富であったのが彼のためにせめてもの慰めある。
発熱した彼は流石に食慾なく、ただ無暗と湯を飲みたがった。そして谷間で飯盒炊爨している我々のところまで水筒を下げて降りて来た(水筒を火の傍らにおいて湯を沸かすのである)。三十九度以上の熱があり、既に肺炎を起こしていた彼が、自分の水筒ばかりではなく、僚友の分全部を下げて来た。とにかくこれは死の数日前までも、欠乏がない限り、他人のことを気にかける優しい心であった。彼が肩からかけた数本の水筒を、蛸の足の様に地面に広げて、火の傍らにうずくまった姿が思い出される。

以上食慾と平静の関係に関する私の解釈には、証拠が足りないという人があるかも知れない。では一つ例証を挙げよう。
木下という我々の小隊長は、大正の志願兵上りの少尉である。彼は市川の方の或る町の袋物屋の主人で、見るからにひよわく、ひどいすが目を黒眼鏡で隠していた。今度初めての召集であるのはいうまでもない。
彼は中隊中の兵士の軽蔑の的であった。態度言辞が我々初年兵の眼にも滑稽であるばかりでなく、食いしんぼうだったからである。周知の様に将校には当番兵がついていて、兵とは違った豊富な料理を供える。しかしこの料理の三分の一は残すのが将校の心懸けである。それが当番兵の役得となり、彼の奉仕と阿諛(あゆ)に対する最も喜ばれる報償となる。
ところが木下少尉は単にその料理を全部食べるばかりではなく、何かの加減で残った場合も夜食のために仕舞いこんだ。当番兵がいかに落胆し、その主人の個人的習癖について、どんな悪口をいって廻ったかは容易に想像されよう。
しかし山へ入って事態が絶望的になっても、私のこのだらしのない将校の態度が、平穏な駐屯中と全然変わらないのに木附いた。彼より遥かに軍人であった下士官達が、蔽い難い焦燥と不機嫌を示す中で、彼は平気であった。
彼の午後の仕事は巡視と称して方々に疎開分散している分隊小屋を廻って歩くことであった。どの分隊にも附近の住民から集めて来た青いバナナがある。彼の目的を知る我々は彼が来ると必ずそれを焼いて薦めた。意地の悪い当番兵は一日彼の廻った跡を調べて、彼が四つの分隊で各々十本のバナナを食べたことを確かめた。
中隊長は「木下少尉は食べてさえいればいいんだよ」といって笑っていた。
やがて各分隊マラリヤ患者が増えて、彼にバナナを振舞う余裕がなくなった。しかし彼は依然として毎日分隊を廻り続けた。病兵を慰める彼の言葉を私は今は覚えていないが、しかしその音声に真実な同情の響きがあったのを憶えている。そこには何等形式的なものも、軍人風の空虚な激励もなかった。一般社会におけると同じ礼儀と思いやりがあった。山の中ではこの調子が却って異常であった。
私は彼に対して考え方を変えねばならぬと思った。滑稽のヴェールは、その下にある人間の真実の蔽う最も厚いヴェールである。
米軍の討伐隊が附近海岸に上った日、彼は下士官一兵二と共に、将校斥候に出たまま帰らなかった。私は彼が拳銃を乱射しながら頗(すこぶ)る軍人らしく死んだのを疑わない。素人は戦場において職業軍人より軍人らしいことがよくある。愛国の観念が軍隊のシニスムで毒されていないからである。
この弱い将校においても、池田の場合と同じく、食物に対する異常な関心が、暗い未来を考える余裕を与えず、あの平静な態度を与えたと考えざるを得ない。
しかし充ち足りた満腹の瞬間、彼等を訪れたかも知れない「こんな快楽もそのうち味わえなくなるかも知れない」という懸念がどれほど強いものであったか、或いは空腹の焦燥の長い時間、彼等がどんな暗い観念に悩まされたかは保証の限りではない。この点私には資料が欠けている。
例えば銃声と共に砂糖袋に飛びついた池田の行為は、彼が前もって万一の場合を考えていたことを予想せしめる。私は彼等が食慾のために他より幸福であったと推測するのは、私が彼等が幸福であってくれればいいと思うからである。