*滂沱(ぼうだ)=涙がとめどなく流れ落ちるさま

間が抜けてする事なしなから煙草をくわえると「肺癌の元。だからダメ」と火をつけさせてくれない。煙の出ない煙草をくわえ、後手に両腕を畳につき、そっくり返って画面に目を遣る。目を遣るだけだから見るともなしに見るの感じ。
劇は進行している。少女と丸髷の年増が現われた。江戸を離れ母を尋ねて三千里、やっと逢えた母に「おっかさん」と叫ぶ娘。年増は手を差し延べようとしない。年増の心の内は「実は母だよと名乗りたいのは山々だが、下手に名乗れば悪いあいつにこの子も殺される」と思う。「あたしあ、お前なんかのおっかさんじゃないよ」と横を向く。その拍子に帯の間から半分に折れた櫛がぽろり。「あ、あたいがその半分を持ってるよ。やっぱり」と娘。「でも違うったらさ」と年増が逸らす目に涙。
見るともなしに見ていた筈の僕は泣いた。
滂沱(ぼうだ)と涙。止めようがない。

池部良さんの 「新種の涙 - 池部 良」文春文庫 文藝春秋編巻頭随筆から
の一節です。池部良氏は俳優のなかでは随筆の名手として名高い方ですが、初めて読みました。コチコチしておりますので後日ご紹介いたします。