(巻十九)あのおんな大の苦手と青大将(鳴門奈菜)

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8月29日水曜日

スバル座で上映中です。ずいぶんと長い邦題だなあと感心したのです。D-Dayは史上最大の作戦が邦題だったと思いますが、このポスターからはなかなか原題が見つからず、やっと裏面約款のような小さい字でSalon Churchill Limitedとあるのを見付けました。英語圏と云うか英国圏の方ならわかるのでしょうが、私にはなんのことかさっぱりわかりません。これの邦題は確かに難しいでしょう。映画の題名は歴史と文化、生活、風俗ですからBattle of Britainが空軍大戦略ではないわけです。反対に「秋刀魚の味」は何と英訳されたのかとネットしてみました。An Autumn Afternoonだそうです。秋刀魚の味は分かるまい。

ここ残し秋刀魚の食べ方知らぬ妻(高澤良一)

お役所とのアポイントを木、金、月といただいたのですが、いずれも午後2時になってしまいました。一番暑い時間に路上を歩かなくてはならず、相手のあることとはいえ、失敗でした。でも営業の方々は毎日ですね。すみません。

営業の出ていく巷に雪が降る (潤)

今日はコチコチ読書があまり進まずでしたが、筒井康隆氏の「蘊蓄」が終盤まで進みました。

「 情報小説と呼ばれている一群の作品があって、これは個個の小説のテーマにかかわる情報を盛り沢山に書き込んだものである。これが退屈なのは、その情報というのが取材してきたことのずべてを長ながと紹介するものであったり、ひどい時にはネットからのコピー&ペースト所謂コピペだけのものであったりするからだ。例えば推理小説で警察の機構つまり警視庁と警察庁の違いとか、階級制度であるとか、犯罪の手口とかを本筋に関係なくえんえんと紹介するといった類いの作品である。いかに緻密に調査してきたものであっても、こういうものは通常、蘊蓄とは言わない。単なる情報である。だから多くの情報小説は非文学的であり、文学作品よりは下位のものと見做されてしまう。
テーマに関係なくても、料理の作り方などをやや文学的に述べ立てているものも小説には多い。無論その中には真に蘊蓄と言えるものも含まれているから、書きかたにもよるが一概に否定はできない。料理で言うならば、池波正太郎の時代小説に登場する料理の数数だ。旧制小学校卒業後すぐに就職し、その頃から給料のほとんどを使い、気に入った店で食べたいものを食べてきた人であり、さらには江戸時代からの食材や料理方を知り尽して書いているのだから、他の作家にはまず真似できないのである。こういうものこそ小説に書かれて然るべき蘊蓄と言っていいだろう。つまり小説における蘊蓄と情報との違いは、作者がそれとどれだけ長期にわたり情熱をもってかかわりあってきたかどうかにかかっている。」

は導入部ですが蘊蓄の定義として頷けますが、“オタク”も当然蘊蓄する資格はあるということになる。
前半で蘊蓄めいたことを書きましたが浅はかでした。
簡単に蘊蓄を傾けるなどと言いますが極めた人でなければ蘊蓄は語れないということです。

物知の蘊蓄を聴く屏風かな(野中亮介)