(巻二十一)明日ありといえど自由にならぬ明日眠ればそこに着くだけの場所(長尾幹也)

イメージ 1

イメージ 2

3月18日月曜日

がいよいよ本格的にthe地方都市へ移動を開始した。今日から週末まであっちいて仕事の引き継ぎなども受けるのだろう。
それにしてもなんと云うのはバカであることか。すがりつくようにして手伝いをさせて貰っている。

“ときわ”まで行く途中で点検したが、
さくら通りの桜はまだ綻ぶ気配を見せていない。


「「怒りの葡萄」とアメリカ的楽天主義 - 福永武彦ちくま文庫文豪文士が愛した映画たち から

を終わり、

「黙っている猫 - 大佛次郎」徳間文庫 猫のいる日々 から

をコチコチ読書中でありましたが、此も読み終えました。文豪に猫好きは多いようですが、内田百けんの猫の猫可愛がりと大佛次郎の猫讚美とは随分ちがうようだ。内田百けんの“ネコロマンチシズム”は途中までコチコチして馬鹿馬鹿しくなったが、大佛次郎の猫好きはエジプトに近いのかたな。


内田と云えば、内田祐也さんが亡くなったと報じられた。

“ その男は、大物たちに気圧(けお)されてうしろへうしろへと後ずさり気味のスターでないシンガーや若手たちを、次々にうながして「遠慮せずにも前へ出ろ」と、舞台の前面へ押し出していた。その様子は、一階や二階から平面的にステージをながめたのではとらえられない。三階からすり鉢の底を見おろしているからこそ、前列にいるスターたちのうしろで、そんなうごきをしている内田裕也を見ることができたのだ。
私は、内田裕也の中にある見えにくい気配りや気遣いをそっとのぞいた気分にひたった。だが、私はこの発見を当人に伝えるのをやめようと思った。そいいう部分を評価されることが、”ロッカー”内田裕也にとって好みでないのが目に見えているからだった。いずれにしても、私は最後の「ウエスタン・カーニバル」において、三階の最後尾という特権的な席からさまざまなけしきを堪能させてもらった。”

「最後のウエスタン・カーニバル - 村松友視毎日新聞社刊 男と女 から

つい、この前の土曜日にご紹介したのですが......