3/4「泰西人の見たる葛飾北斎 - 永井荷風」岩波文庫 江戸芸術論 から

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3/4「泰西人の見たる葛飾北斎 - 永井荷風岩波文庫 江戸芸術論 から



仏蘭西人テイザン著す所の日本美術論は北斎の生涯及画風を総論して甚正鵠を得たるものなり。左に抄訳して泰西人の北斎観を代表せしめんと欲す。
テイザン曰く北斎の特徴と欠点とは要するに日本人通有な特徴と欠点なり。即[すなわち]事物に対して常にその善良なる方面のみを見んとする事なり。余りに了解しやすき諧謔[かいぎやく]及び辛辣に過ぐる諷刺とを喜ぶ事なり。運命論者の如く殆んど未来に対して何らの考慮憂苦をも有さざることなり。祭礼と芝居とを狂愛することなり。貧なればよく質素に甘ずといへども僅少の利を得れば直に浪費する癖ある事なり。常に中庸を尚[とうと]び極端には[難漢字]する事を恐るる道徳観を持する事なり。事物の根本的性質を究[きわ]めんとするに先じその外形より判断を下して自ら皮相的心理状態に満足せんとする事なり。かるが故に万事全く理想的傾向を有せざる事なり。日々平常の生活難に追はれて絶えず現実の感情より脱離する事なきも、しかもまたその中[うち]自[おのず]から日本人生来の風流心を発露せしむ事なり。これを以て観れば北斎の思想は根本よりして平民的また写実的たりといふべきなり。浮世絵派の画人は北斎の以前においても皆写実を基[もとい]となしたるは勿論の事なり。然れども自[おのずか]ら一種の法式典型を組織せずんば止まざる所ありしが北斎の写実に至つては更に一歩を進めたり。北斎が観察力の真に驚くべきものあり。彼は多年感触の世界の研究とその描写とに従事したるの結果、宇宙百般の事物は彼の眼には何らの苦悩悔恨をも蔵せざるが如くに反映したり。看[み]ずや北斎は獄門にかけたる罪囚の梟首[きようしゆ]に対して、その乱れたる長き頭髪は苦悩の汗に濡れ、喰縛りたる唇より真白き歯の露出せるさまを見ても、なほかつ平然としてこれを写生せるが如き、あるひはまた彼が一派一流の狭き画法に拘泥するの遑[いとま]なかりしが如き、これ皆その観察力の鋭敏なると写生の熱狂さかん[難漢字]なるによるものに非らずして何ぞや。されば北斎は自[みずか]ら正確なる写生をなし得たりと信ずる時は意気揚々として、その著『略画早指南[りやくがはやおしえ]』の序にも言へるが如く、わが描く所の人物禽獣は皆紙上より飛躍せんてすと。かくて北斎は写実家の常として宛[さなが]ら仏国印象派の傾向と同じく美の表現よりも性格の表現に重きを置かんとするに似たり。彼は題材の高尚なると卑俗なるとを弁ぜざりき。これ日本の上流社会が北斎の技倆[ぎりよう]を了解する事能[あた]はざりし最大の原因たらざるべからず。
さて北斎はその写実主義を実行するに当り如何なる方法に依りたるや。今これを人物画について見れば人物の動作を現はすに四肢の綿密なる解剖によらずしてひたすら疎大なる描線の力を以てせんとしたり。また山水画においては樹木台しゃ[難漢字]の部分的検索、並にその完成をまたず、専ら風景全体の眺望を描かんとしたり。これ綜合的なる法式の下[もと]に甚[はなはだ]尋常一様の手段を取りたるに過ぎずといふべし。裸体の研究如何と見るに、北斎は人物の体格及活動の姿勢とを簡略に節約すべき線の筆力によりて能く筋肉の緊張を描き得たりといへども、解剖の知識に至つてはいまだ十分なりといひがたし。これ泰西画家のなすが如く陰影によつてモデルを看る事の便宜を知らざりしがためなり。此[かく]の如き欠点あるにかかはらず人物の挙動、顔面の表情、または人体のあるひは突進しあるひは後退する状を描くに当りて、北斎の手腕のいかに非凡なるかは、『漫画』第二巻の仮面の図、第八巻の盲人の顔等において甚顕著なり。なほ一層の好例は第三巻中の相撲ま第八巻中の無礼講、及狂画葛飾振[かつしかぶり]なるべし。狂画葛飾振の図中には痩細りし脚、肉落ちたる腕、そば[難漢字]立ちたる肩を有せる枯痩[こそう]の人物と、形崩るるばかり肥満し過ぎたる多血質の人物との解剖を見るべく、またかの筍掘りが力一杯に筍を引抜くと共に両足を空様[そらさま]にして仰向[あおむき]に転倒せる図の如きはまこと[難漢字]に溌剌たる活力発展の状を窺ふに足る。北斎は人の笑ふ時怒る時また力役[りきえき]する時、いかにその筋肉の動くかを知り能くこれを描き得たる画家なり。
北斎が咄嗟の動揺を描くに妙を得たるはなほ『漫画』十二巻中風の図についてこれを見るべし。図中の旅僧は風に吹上げられし経文を取押へんとして狼狽すれば、膝のあたりまで裾吹巻られたる女の懐中よりは鼻紙片々として木葉に交り日傘諸共空中に舞飛べり。一人の男は背後より風に襲はれて体の中心を失はんとし、腕を上げて手をひろげて驚けば、その傍には丁稚らしき小男重箱に掛けたる風呂敷を顔一面に吹冠[ふきかぶ]せられて立ちすくみたり云々。
英国人ホルムスは『漫画』第七中奔波[ほんぱ]の図につきて論じて曰く、レンブラント、ルウベンスまたタアナアの描ける暴風の図は人をして恐怖の情を催さしむといへども暴風のもたら[難漢字]し来る湿気の感を起さしむる事稀なり。コンスタアブルは湿気の状を描き得たれども暴風の狂猛を捉ふる事能ず、然るに北斎にあつては風勢のいかに水を泡立たせ樹木を傾倒しまた人馬を驚かすかを知れり。