「歯ぎしり - 泡坂妻夫」文春文庫 巻頭随筆4 から

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「歯ぎしり - 泡坂妻夫」文春文庫 巻頭随筆4 から

本職の「紋章上絵師」と肩書のある名刺を差し出すと、大抵の人は首を傾げる。まず読めない。そこで、紋章上絵師は「もんしょううわえし」と読み、紋服の紋章を描き入れる職業だと説明する。古い紺屋(ついでながら紺屋は「こうや」といい、町の染物業者のこと)は私達のことを上絵屋さんと呼び習わしている。
それでは、紋章とは何であるか。家に代々姓が伝わっているように、家に定められている標章が紋章である。
紋章の起こりは古く、平安時代から衣服や牛車[ぎっしゃ]に用いられている。朝廷に仕える公家達の間には、「車争い」という牛車の駐車場争奪戦があったようで、このときなど、車を識別するための紋はなくてはならなかったという。戦国時代の紋は、当然、敵味方を区別する最も重要な目印であった。江戸時代に入ると、紋は規格、整備されて、現在ある形に定着した。武家の紋はそれぞれの権威をもつようになり、儀礼や公務になくてはならぬものとなった。
ただし、町人の間では紋に登録制などはなく、禁忌紋(権威者の紋。時代によって、桐、葵、菊などはみだりに使えなかった)以外はかなり自由に楽しみながら紋を使っていたようである。
以前、私は紋章上絵師組合のパンフレットに、次のような文を書いたことがあった。
「すぐれた文化の伝統を持つ国には、必ずよい音楽とおいしい酒があると言われます。音楽と酒の他に、美人と礼服も忘れてはならないでしょう。日本の礼服に紋服があります。この格調高い式服の美しさは、世界の人の認めるところです。紋服につけられている紋章は、外国では王候貴族しか使えません。日本では江戸時代から庶民の間でも盛んに用いられるようになりました。私達の先祖は、実に贅沢な美意識を持っていたわけです。一つの円を基本として作り出された紋章の数は、普通の紋帳に載っているものだけでも、四、五千種。その一つ一つがどれも美しい図形です。ときどきは、紋服や紋章について考えるのも、心が豊かになるでしょう」
最近、紋の美しさが見直され、ちょっとしたブームになっているという。そういえば、紋をデザインしたキイホルダーなどちょいちょい目に止まるし、紋章入りのネクタイ、ネクタイピン、カフスボタンなとが大きな広告で販売されている。
紋章上絵師は、その紋の歴史を受け襲[つ]いでいる伝統工芸師なのである。というより、江戸時代からの職人である。
- こう説明すると、大方の人は納得してくれ、有意義なお仕事ですなどとお世辞を言われたりする。若い人ならカッコいいなどと思うかも知れない。
だが、そう言われる当の上絵師の心境は甚だ複雑なのである。はっきり言うと、現在上絵師としての将来の見通しが、まるで立たなくなっているからだ。
最近、仕事の量が激減しているのがその一つの理由。戦前は元旦の年始廻りを始めとして、一年の各行事や式典に、成人男子が紋服を着用することが常識だったが、現在それが皆無となった。頼りは女性の留袖や喪服だが、その需要も、このところ下がる一方である。いくらワッペンやキイホルダーが売れても、上絵師には関係ない。上絵師の技術は、直接、衣服に紋を描き入れることだからだ。
理由の二つは、十数年前から、紋を印刷で入れる業者が現われ、そのために小さな業界が荒れてしまったこと。
考えてみれば、一反一反の生地に、紋をこつこつ描き入れるなどは、前近代的な仕事である。印刷紋があって、決しておかしくはないのだが、そのあり方が問題だ。
印刷紋の業界は、低工料のもとに、大量の仕事をあつめてしまった。印刷紋は、無論、手描紋に較べれば味わいに乏しく、上絵師が見れば顔をしかめたくなるような仕上りだが、速度と低工料だけを問題とする現在の社会は、それを言わせなかった。結局、印刷紋に対抗するには工料の引き下げよりなく、ここ数年、上絵師の手間は値下げがあって値上がりがない。
消費者の方も「紋って、まだ手で描くものなんですか」と言う人も多いのだから、印刷紋だと文句を言う人もいない。今のところ、上絵師の業界は、コピーと原画が同じ値で取引きされているという、大変に不自然な状態に置かれてしまった。
私が印刷紋に転じないのは、痩せ我慢みたいな誇りと意地である。現在、同業者で後継者を持つ者は一人もいない。絶滅寸前のトキには保護
の手が伸ばされているが、滅亡寸前の紋章上絵師には、誰も振り向いてもくれない。