(巻二十五)安楽死出来ぬ桜が地吹雪す(金子徹)

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(巻二十五)安楽死出来ぬ桜が地吹雪す(金子徹)

3月28日土曜日

Eさんの命日です。合掌。

週の初めにマリさんから今年は命日の偲ぶ会を延期するとの連絡を頂いた。集まって酒を酌むのは自粛したが、命日だ。

Eさんは出勤途中で倒れ、救急車の中では逝かれた。

四十代半ばであったから早世てある。どんな残念無念があったかあたしにはわからないけれど、Eさんが最後に救急隊員に遺した言葉は

「すいません、クラッとしちゃって」

だったそうである。お人柄が最後まで出た言葉です。

Eさんは最後まで死ぬとは思っていなかったのでしょう。

あたしはそのことはよかったと思っています。

花を見る目配りにさへお人柄(高澤良一)

東京では六十名を超えたと云う。流行り病の肺炎で死ぬのは苦しいらしいが、あたしは基礎疾患もあるから長くないかもしれない。もしも病院の床に転がって逝くことになっても仕方がないか。

安楽死出来ぬ桜が地吹雪す(金子徹)

死ぬ前に何か旨いものを食っておこうと振ってみたが、自分で作る料理が一番とのことで相手にされずでした。

結局、最期の午餐には納豆と生卵と海苔をつけてもらうことで折り合いました。

食べたいときにこれらのご馳走が食べられるということは素晴らしく幸せなことなのだ!

身の丈で生きて知足や去年今年(井上静夫)

散歩はいたさず終日籠っておりました。遁世生活も4ヶ月が過ぎたが、いわゆる諦観が少しは出来てきたのだろうか?あまり苛々しなくなってきたように思う。あとは上手に果てるだけだ。

過ごし方知らぬ未熟の花の昼(未詳)

(読書)

葛飾土産(其の二) - 永井荷風岩波文庫 荷風随筆集(上) から

《 小春の日和をよろこび法華経寺へお参りした人たちが柳橋を目あてに、右手に近く見える村の方へと帰って行くのであろう。

流の幅は大分ひろく、田舟[たぶね]の朽ちたまま浮かんでいるのも二、三艘に及んでいる。一際[ひときわ]こんもりと生茂った林の間から寺の大きな屋根と納骨堂らしい二層の塔が聳えている。水のながれはやがて西東に走る一条の道路に出てここに再び橋がかけられている。道の両側には生垣をめぐらし倉庫をかまえた農家が立並び、堤には桟橋が掛けられ、小舟が幾艘も繋がれている。

遥に水の行衛を眺めると、来路と同じく水田がひろがっているが、目を遮るものは空のはずれを行く雲より外には何物もない。卑湿の地もほどなく尽きて泥海になるらしいことが、幹を斜にした樹木の姿や、吹きつける風の肌ざわりで推察せられる。 

たどりたどって尋ねて来た真間川の果ももう遠くはあるまい。

鶏の歩いている村の道を、二、三人物食いながら来かかる子供を見て、わたくしは土地の名と海の遠さとを尋ねた。

海まではまだなかなかあるそうである。そしてここは原木[ばらき]といい、あのお寺は妙行寺と呼ばれることを教えられた。

寺の太鼓が鳴り出した。初冬の日はもう斜である。

わたくしは遂に海を見ず、その日は腑甲斐なく踵[きびす]をかえした。

昭和廿二年十二月》

原木中山あたりを描いているのでしょうか?昭和五十年代でもまだ少しは田圃が残っていたなあ。

葛飾や残る水田の濁り鮒(大竹節二)

「スターター 太刀川恵 -  村松友視」文春文庫 帝国ホテルの不思議 から

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「スターター 太刀川恵 -  村松友視」文春文庫 帝国ホテルの不思議 から

帝国ホテルには八基のエレベーターがあるが、宿泊客はチェックインのあとそのエレベーターに乗り自分の部屋に向かってスタートする.....そんな意味合いで、エレベータースタッフは“エレベーターをスタートさせる人”という意味でスターターと呼ばれるようだ。「スターター」を辞書で引くと「競技や列車などの出発合図をする人」「出発係」といった意が出ていて、ドアマンに招き入れられ、ベルマンに荷物をゆだね、フロントでチェックインをした客が、エレベーターに乗っていざ自分の部屋へ向かおうという気分にふさわしい呼称である。
そのエレベーターの前に立ってお客を迎えるさいのスターターの姿勢を、太刀川恵さんが実演してくれた。背筋をのばし、白い手袋をした両手を、おなかの前で左手を上にして組む。足は、真っすぐではなくハの字のような感じで少し斜めにして立つ。そして、お客が来ない場合は、ずっとこの姿勢のまま立っているのだという。まさに、スタンバイの体勢である。
エレベーターに乗るお客があらわれると、「いらっしゃいませ」と声をかけ、エレベーターが来るとその扉を押さえ「上に参ります」と肘を九十度に曲げ指をのばし、手のひらを顔側に向けて指し示す。また下りの場合は、手の指をそろえ斜め下を指し示す。そして、ドアが閉まると同時に、お辞儀をして送るのだが、お辞儀のときは足をそろえる。スターターはこの動作をくり返すことになるというが、英国の宮殿の衛兵のイメージが、ちらりと私の頭をかすめた。両者はまったく別の役割であり、スターターは番人ではなくエレベーターに乗る人の手助けをするのだが、ひとつの場所とセットになった風景として、私の中で唐突にむすびついてしまったのだった。
外国のホテルでは、あまりこのような役は見かけることがなく、ベルマンがフロントから客室までのサポートをしてくれるように思うが、エレベータースタッフは日本特有の領域なのだろうか。その疑問を向けてみると、
「日本でも、いまはいないのではないでしょうか」
という答えが返ってきた。外国のホテルにはなく、旅館から取り入れたシステムでもないスターターを、エレベーター前に配置したのは、きわめて日本人らしいもてなしであるのかもしれない。お客との接触はごく短い時間であり、荷物はベルマンが持っているのだから、主な仕事はエレベーターへの誘導ということになる。
エレベーター内の壁が鏡になっているのだが、そこにはつねに生花の一輪挿しがある。そのしつらえや生花の交換、一日に三回の水やりをするのも、スターターの仕事だ。とかく無味乾燥になりがちなエレベーターの中の一輪の生花は、お客の心を和ませ、いやすにちがいない。もちろん、その生花を一顧だにしない人も多いだろう。造花か否かを触ってためし、「あら、本当の花を使っているのね」と感心する人もある。そんな微妙なサービスに対して、たまに「いつもきれいな花があるわね」と言われることもあるといい、そんなとき、スターターとお客のあいだにかすかなる心の交流が生ずるはずだ。
平日はともかく、土曜日や日曜日にはエレベーター前が混雑する。スターターとしては、一刻も早くお客をエレベーターに乗せてあげたい気持があり、ふつうは
一グループは一エレベーターということにしているが、土、日となるとやや多めに乗ってもらうことになる。そんなときは、閉まりかけのエレベーターの隙間に手を入れ、内側のセンサーを押してドアを開きお客が入るのを待つのだが、閉まるドアに指をはさまれることもあるという。また、閉じかけのエレベーターを走ってまで追いかけることはさけ、かたちとして見苦しくない程度のフォローにとどめるのが基本だという。
何しろ、一日何千人という人が出入りするのだから、定員二十名である八基のエレベーターがすべて満員ということもしばしばだという。逆に、エレベーターを必要とする人が誰もあらわれぬときは、左手を上にしておなかの前で両手を組み、躯を斜めにして足をハの字にするかたちを固めているわけで、いずれにしても見た目の優雅さのわりに、実は体力勝負ということになるようだ。
宿泊客を案内するさいにエレベーターのボタンを押すのはベルマンの仕事だが、車椅子を使用している人、荷物で手がふさがった人、高齢者の場合は、スターターがボタンを押す。また、混雑時であっても、言葉で指示するというのではなく、平等に順序よくご案内できるよう、お客に協力してもらう気持が大前提。顧客の場合などは、宿泊部屋の階数をおぼえているので、事前に階数ボタンを押す。そのとき、お客と一緒にエレベーターへ入って押すことはせず、早めにボタンを押して外で待つかたちにする。
VIP客の場合は、八基のうちの数基を専用エレベーターとし、スターターが一緒に乗って自動ではなく手動でその階まで行く。そんなときは、そのエレベーターは一般のお客に対してはクローズしているというが、スターターにとっては緊張する時間だ。何しろ、各国の首相、大統領、王室関係、日本の皇室関係、首相などの人々とともに密室の中で、躯をうしろに向けてはいるものの、至近距離に立っているのだ。新人のときなどは、その緊張によって上下のボタンをまちがえたこともあった、と太刀川さんは言っていた。

(ここまで)

(巻二十五)足許を見る商ひや花めうが(中原道夫)

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(巻二十五)足許を見る商ひや花めうが(中原道夫)

3月27日金曜日

少なくとも近所の生協では値段の吊り上げはない。

吸気扇の修理に電工さんが来てくれました。

ユニットごと取り換えて15分の作業で終わりました。自宅であれば数万円の出費になったでしょう。家賃は安くはないが、保守や環境・清掃などについて家賃と管理費以外に負担がないのがありがたい。

団地老いて昭和の桜いま盛り(中島修之)

当番も、近所付き合いもなく、面倒はないが借家だから持ち家に比べれば不安定で終いの棲み家とは言えない。社会や経済の激変で居場所を失うことがあるかもしれないが、何事も棺に入るまではわからないのだから心配しても仕方がない。いや、棺に入れてもらえるかさえ不確かになってきたようだ。

菊添えてそつと手帳を棺の底(宮万紀子)

(読書)

「寿命は定まっている - 水野肇」中公文庫 夫と妻のための死生学 から

《 さいわいにいい遺伝因子を持って生まれた人以外は、八十五歳までに死ぬのである。しかし、八十歳まで生きることができれば、結構なことだという考え方もあるだろう。ただ長く生きているだけが能ではあるまい。毎日、何もすることがなくて、ただ生きているという生活を送るのは、一種の苦痛なのではないだろうか。もっとも、脳が老化して、それを感じないようになっているとしたら、それは“尊厳生”ではないだろう。》

暇潰しは作れるかもしれないが、虚しさは誤魔化せないだろう。ボケるか死ぬかしかないが、自分で自分をそこへ持っては行けない。

生かされて生きてしまつたこの四年

桜の花は今年又咲く(川崎康弘)

イタリアは七十で線引きしたんですか?罹病してそうなったら仕方がない。もはや「不要不急」の人間だし、どうしても生きていたいという執着もない。

線引きしてもいいですが、苦しみの期間は短くお願いいたします。

できれば猫によるアニマル・セラピーなんぞを受けながら逝きたいと願っておりましたが、無理ですね。

「即断しないで独断する - 藤本義一」中公文庫 男の遠吠え から

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「即断しないで独断する - 藤本義一」中公文庫 男の遠吠え から

最近、たてつづけに女流作家の作品を読んだ。
動機は、曽野綾子さんとか富岡多恵子さんと会う機会があったので、女流作家は、現実の事象をどのように分析なさるのであろうか、男とどういう点で違うのだろうかと思って読みはじめたのである。
正直いって、とてもコワ[難漢字]い気がしたのだ。平林たい子さんの短編とか円地文子さんの作品、真杉静枝さんの作品、どれもこれもとてもコワい。おどろおどろの物語である。その底に怨念みたいなものが、ずしーんとあって、上田秋成の怪奇作品などよりもコワかったのだ。
人間を見る目と自分を見る目が、冷徹なのだ。男にないものがある。このコワさは、とても男のもつことの出来ないものだと感じたのだ。
男が女を描く時、これほどずばりと斬ることが出来るだろうかと考えてみたが、出来ない。が、女が女をを描いても、女が男を描いても、また自分自身の闘病記でも、とても厳しいのだ。
そして、共通していえることは、はなはだ断定的な表現が多いのである。
-だ。-であった。-なのだ。
といったのが多い。
-だろう。
というのが少ない。
女流作家の人たちの作品を一度に読む前はそんなに感じなかったけれども、これが一番大きな違いだとわかって、意外な感じがした。
もともと物事の断定は男が主導権を握っているものだと思っていたのだが、これが見事に逆転されてしまったのだ。
たとえば、
-また重苦しい夜明けがくるのだろう。
と男の作家なら書くところだが、
-また重苦しい夜明けがくるのだ。
といったふうになっているのである。
なるほど、これが女流作家なのだなと思ったものだ。
女流作家という呼び方があって、男流作家という呼称がない理由が掴めたような気がした。
が、女流作家の人たちの作品が断定的であるというのと歯切れがいいというのとではちょっと違うようだ。むしろ歯切れの悪さを感じたりするのだ。そして、女流作家のランク付けをすれば、上手な人の作品は断定的であっても独断的ではないということである。はっきりした物を見る目を持っていらっしゃるということであり、下手な人のは独断という癖があると知ったのだった。ひとりよがりである。
たとえば、
-彼は私を好いているのだ。
といった表現である。これが下手な人の文章の中に散らばっている。ちなみに、わが家に送られてくる同人誌の女流作家(?)の作品を読んでみると、奇妙な表現がいくつかあった。
「あんたに、あたしの苦労なんか、逆立ちしたってわからないのよ。永遠にわからないのよ。わかってもらっちゃ困るんだから」
と女が男に叫んでいて、これが夫婦の日常会話なんだから愕[おどろ]かざるを得ないのだ。こんなことを妻からいわれて生活していく夫は、惨[みじ]めというものをとっくに通り越しているとしかいいようがないのである。
しかし、この上手と下手の作品群を往き来しているあいだに、主婦にもこの上手と下手が実在していると思えてきたのだ。
断定するのがプロの主婦であり、独断するのがアマの主婦だとわかってきた。主婦にもプロフェッショナルとアマチュアが、思考とか言語、行動の中に含まれていることを知ったわけである。
現在、結婚詐欺師の小説を書いているので、被害者の証言を集めているが、結婚詐欺に遭う女性のほとんどは、断定以前の独断で墓穴を掘っているのがわかるのである。
この独断は、
「あたしだけは騙されないわ」
という気持がまずはたらき、
「あたしはあまり好きじゃないのに、彼があたしに首ったけよ.....」
という気持ですすみ、
「結局、彼の強引な情に押されてしまったのよ」
という気持で同棲をつづけ、あげくの果ては大騒ぎというケースか、大変に消極的であって断定を下し得ないうちに騙されてしまうケースである。
女性は即断する人が少ないのに、どうして独断してしまうのだろうか。そして、独断と知っていても、それに突きすすんでいくのはどんな心理なのだろうか。
女の独断は女を不幸にするのに、なぜ、女は、独断をもって生きていこうとするのだろうか。

(巻二十五)六月の手応えうすき髪洗ふ(久野兆子)

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(巻二十五)六月の手応えうすき髪洗ふ(久野兆子)

3月26日木曜日

外出自粛が伝えられたらしい。我が家は一応の備蓄があるので買い足す物はないが、醤油と油と料理酒を仕入れに朝一で生協へ出かけた。

客はいつもの平日の朝よりはやや多目と見た。米とインスタント麺が売れ筋で、紙類はそれほど逼迫していないようだ。肉とか野菜とか、いわゆるペリッシャブル(お前は百合子か!)は買いだめできないから激減はしていないようだ。

味噌しようゆ切らさぬほどの年用意(園部佳成)

午後、散歩のついでに生協を覗いてみたが、米と紙類は売り切れで、インスタント麺は焼そばが残っていた。

焼そばはインスタント麺の中では旨い方だと思うのですが、なぜだろう?

焼そばのソースが濃くて花火なう(越智友亮)

子供電話相談室を聴いていたら、鈴蘭の毒性についての注意をしていた。確実性の点からはちょっと役には立たないなあ。

どんな花かと見てたが、小さな可憐なお花ですね。

はじめから毒茸と決め一瞥す(山田弘子)

厚労省が自殺予防月間のキャンペーンを顔本でもやっている。コメントが書き込まれているが、どれも陳腐なお役所への揶揄である。自殺と云うか、死ぬ権利を確立すべきという論があってよいのではないだろうか?

「死なない方がいいけれど、どうしてもと云うなら楽に死なせてあげますよ。だから、いつでも死ねます。それまでとにかく生きてみたらどうですか?」

あたしはそういう環境と仕組みがあって欲しいと願います。

大丈夫みんな死ねます鉦叩(高橋悦子)

この街の桜は今が見頃で、ハラハラと散りはじめています。

桜の名句の中では、

うつむきて歩けば桜盛りなり(野坂昭如)

がとても好きです。

「鳶 - 岡本綺堂」旺文社文庫 綺堂むかし語り から

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「鳶 - 岡本綺堂旺文社文庫 綺堂むかし語り から

去年の十月頃の新聞を見た人々は記憶しているであろう。日本橋蛎殻町のある商家の物干へ一羽の大きい鳶が舞い降りたのを店員大勢が捕獲して、警察署へ届け出たというのである。ある新聞には、その鳶の写真まで掲げてあった。
そのとき私が感じたのは、鳶という鳥がそれほど世間から珍しがられるようになったことである。今から三、四十年前であったら、鳶なぞがそこらに舞っていても、降りていても、誰も見返る者もあるまい。云わば鴉[からす]や雀も同様で、それを捕獲して警察署へ届け出る者もあるまい。鳶は現在保護鳥の一種になっているから、それで届け出たのかも知れないが、昔なら恐らくそれを捕獲しょうと考える者もあるまい。それほどに鳶は普通平凡の鳥類と見なされていたのである。
私は山の手の麹町に生長したせいか、子供の時から鳶なぞは毎日のように見ている。天気晴朗の日には一羽や二羽はかならず大空に舞っていた。トロトロトロと云うような鳴き声も常に聞き慣れていた。鳶が鳴くから天気が好くなるだろうなぞと云った。
鳶に油揚[あぶらげ]を拐われるというのは嘘ではない。子供が豆腐屋へ使いに行って笊[ざる]や味噌こしに油揚を入れて帰ると、その途中で鳶に拐って行かれる事はしばしばあった。油揚ばかりでなく、魚屋が人家の前に盤台[はんだい]をおろして魚をこしらえている処へ、鳶が突然にサッと舞いくだって来て、その盤台の魚や魚の腸なぞを引っ掴んで、あれという間に虚空遥かに飛び去ることも珍しくなかった。鷲が子供を拐って行くのも恐らく斯うであろうかと、私たちも小さい魂をおびやかされたが、それも幾たびか見慣れると、やあ又拐われたなぞと面白がって眺めるようになった。往来で白昼掻っ払いを働く奴を東京では「昼とんび」と云った。
小石川に富坂町というのがある。富坂はトビ坂から転じたので、昔はここらの森にたくさんの鳶が棲んでいた為であるという。してみると、江戸時代には更にたくさんの鳶が飛んでいたに相違ない。鳶ばかりでなく、鶴も飛んでいたのである。明治以後、鶴を見たことはないが、鳶は前に云う通り、毎日のように東京の空を飛び廻っていたのである。
鳶も鷲と同様に、いわゆる鷙鳥[しちよう]とか猛禽とか云うものにかぞえられ、前に云ったような悪いたずらをも働くのであるが、鷲のように人間から憎まれ恐れられていないのは、平生から人家の近く棲んでいるのと、鷲ほどの兇暴を敢ていない為であろう。子供の飛ばす凧は鳶から思い付いたもので、日本ではトンビ凧といい、漢字では紙鳶と書く。英語でも凧をカイトという。すなわち鳶と同じことである。それを見ても、遠い昔から人間と鳶とは余ほどの親しみを持っていたらしいが、文明の進むに連れて、人間と鳶との縁がだんだんに遠くなった。
日露戦争前と記憶している。麹町の英国大使館の旗竿に一羽の大きい鳶が止まっているのを見付けて、英国人の館員や留学生が嬉しがって眺めていた。留学生の一人が私に云った。
「鳶は男らしくて好い鳥です。しかし、ロンドン附近ではもうみられません。」
まだ其の頃の東京には鳶のすがたが相当に見られたので、英国人がそんなに鳶を珍しがったり、嬉しがったりするのかと、私は心ひそかに可笑しく思った位であったが、その鳶もいつか保護鳥になった。東京人もロンドン人と同じように、鳶を珍しがる時代に来たのである。もちろん鳶に限ったことではなく、大都会に近いところでは、鳥類、虫類、魚類が年々亡びて行く。それは余儀なき自然の運命であるから、特に鳶に対して感傷的に詠嘆を洩らすにも及ばないが、初春の空にかのトンビ凧を飛ばしたり、大きな口をあいて「トンビ、トロロ」と歌った少年時代を追懐すると、鳶の衰滅に対して一種の悲哀を感ぜずにはいられない。
むかしは矢羽根に雉又は山鳥の羽を用いたが、それらは多く得られないので、下等の矢には鳶の羽を用いた。その鳶の羽すらも払底になった頃には、矢はすたれて鉄砲となった。そこにも需要と供給の変遷が見られる。
私はこのごろ上目黒に住んでいるが、ここらにはまだ鳶が棲んでいて、晴れた日には大きな翼をひろげて悠々と舞っている。雨のふる日でもトロトロと鳴いている。私は旧友に逢ったような懐かしい心持ちで、その鳶が輪を作って飛ぶ影をみあげている。鳶はわが巣を人に見せないという俗説があるが、私の家あたりへ飛んで来る鳶は近所の西郷山に巣を作っているらしい。その西郷山もおいおいに拓かれて分譲地となりつつあるから、やがてはこちらにも鳶は棲家を失うことになるかも知れない。いかに保護されても、鳶は次第に大東京から追いやらるるの外はあるまい。
私はよく知らないが、金鵄[きんし]勲章の鵄は鳶のたぐいであると云う。然らば、たとい鳶がいずこの果てへ追いやられても、あるいはその種族が絶滅に瀕しても、その雄姿は燦として永久に輝いているのである。鳶よ、憂うる勿れ、悲しむ勿れと云いたくもなる。
きょうも暮春の晴れた空に、二羽の鳶が舞っている。折から一台の飛行機が飛んで来たが、かれらはそれに驚かされたような気色を見せないで、やはり悠々として大きい翼を空中に浮かべていた。
(昭和11年・5)

(巻二十五)ここちよき死と隣りあひ日向ぼこ(鷹羽狩行)

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(巻二十五)ここちよき死と隣りあひ日向ぼこ(鷹羽狩行)

 

3月25日水曜日

 

一昨日は八千五百、昨日は一万、今日も八千歩を歩いた。一万歩説もあれば五千歩説もあるから、健康寿命に何がベストなのかは解らない。無理強いはしないようにします。

 

死ぬまでの一千万歩桜かな(橋本七尾子)

 

酒を止[と]めてから深夜の目覚めはなくなったが、朝4時から5時に目が覚めてしまう。年寄れば眠る力が衰えるということは解っているのですが、とても素晴らしいものを失ってしまったなあ。死んだように眠って、そのまま逝かせてもらえないだろうか?

 

人間に寝る楽しみの夜長かな(青木月斗)

 

駅前クリニックに定期検診に行く。気になる数値は横這い。横這いでいいでしょう。まさに持ちこたえているわけです。

臓器の数値、血圧、体力、老後費用と何から何まで持ちこたえて延命を図っても、生きていることが嬉しくない。

でありますから、止[と]まるときは何もせずに止まらせたいのですが、それが出来るか?

 

ここちよき死と隣りあひ日向ぼこ(鷹羽狩行)

 

そのような心持ちになりたい。心地好い死ならばそろそろ受け入れたい。

 

死にたがる句ばかり読みて桜桃忌(駄楽)