「鳶 - 岡本綺堂」旺文社文庫 綺堂むかし語り から

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「鳶 - 岡本綺堂旺文社文庫 綺堂むかし語り から

去年の十月頃の新聞を見た人々は記憶しているであろう。日本橋蛎殻町のある商家の物干へ一羽の大きい鳶が舞い降りたのを店員大勢が捕獲して、警察署へ届け出たというのである。ある新聞には、その鳶の写真まで掲げてあった。
そのとき私が感じたのは、鳶という鳥がそれほど世間から珍しがられるようになったことである。今から三、四十年前であったら、鳶なぞがそこらに舞っていても、降りていても、誰も見返る者もあるまい。云わば鴉[からす]や雀も同様で、それを捕獲して警察署へ届け出る者もあるまい。鳶は現在保護鳥の一種になっているから、それで届け出たのかも知れないが、昔なら恐らくそれを捕獲しょうと考える者もあるまい。それほどに鳶は普通平凡の鳥類と見なされていたのである。
私は山の手の麹町に生長したせいか、子供の時から鳶なぞは毎日のように見ている。天気晴朗の日には一羽や二羽はかならず大空に舞っていた。トロトロトロと云うような鳴き声も常に聞き慣れていた。鳶が鳴くから天気が好くなるだろうなぞと云った。
鳶に油揚[あぶらげ]を拐われるというのは嘘ではない。子供が豆腐屋へ使いに行って笊[ざる]や味噌こしに油揚を入れて帰ると、その途中で鳶に拐って行かれる事はしばしばあった。油揚ばかりでなく、魚屋が人家の前に盤台[はんだい]をおろして魚をこしらえている処へ、鳶が突然にサッと舞いくだって来て、その盤台の魚や魚の腸なぞを引っ掴んで、あれという間に虚空遥かに飛び去ることも珍しくなかった。鷲が子供を拐って行くのも恐らく斯うであろうかと、私たちも小さい魂をおびやかされたが、それも幾たびか見慣れると、やあ又拐われたなぞと面白がって眺めるようになった。往来で白昼掻っ払いを働く奴を東京では「昼とんび」と云った。
小石川に富坂町というのがある。富坂はトビ坂から転じたので、昔はここらの森にたくさんの鳶が棲んでいた為であるという。してみると、江戸時代には更にたくさんの鳶が飛んでいたに相違ない。鳶ばかりでなく、鶴も飛んでいたのである。明治以後、鶴を見たことはないが、鳶は前に云う通り、毎日のように東京の空を飛び廻っていたのである。
鳶も鷲と同様に、いわゆる鷙鳥[しちよう]とか猛禽とか云うものにかぞえられ、前に云ったような悪いたずらをも働くのであるが、鷲のように人間から憎まれ恐れられていないのは、平生から人家の近く棲んでいるのと、鷲ほどの兇暴を敢ていない為であろう。子供の飛ばす凧は鳶から思い付いたもので、日本ではトンビ凧といい、漢字では紙鳶と書く。英語でも凧をカイトという。すなわち鳶と同じことである。それを見ても、遠い昔から人間と鳶とは余ほどの親しみを持っていたらしいが、文明の進むに連れて、人間と鳶との縁がだんだんに遠くなった。
日露戦争前と記憶している。麹町の英国大使館の旗竿に一羽の大きい鳶が止まっているのを見付けて、英国人の館員や留学生が嬉しがって眺めていた。留学生の一人が私に云った。
「鳶は男らしくて好い鳥です。しかし、ロンドン附近ではもうみられません。」
まだ其の頃の東京には鳶のすがたが相当に見られたので、英国人がそんなに鳶を珍しがったり、嬉しがったりするのかと、私は心ひそかに可笑しく思った位であったが、その鳶もいつか保護鳥になった。東京人もロンドン人と同じように、鳶を珍しがる時代に来たのである。もちろん鳶に限ったことではなく、大都会に近いところでは、鳥類、虫類、魚類が年々亡びて行く。それは余儀なき自然の運命であるから、特に鳶に対して感傷的に詠嘆を洩らすにも及ばないが、初春の空にかのトンビ凧を飛ばしたり、大きな口をあいて「トンビ、トロロ」と歌った少年時代を追懐すると、鳶の衰滅に対して一種の悲哀を感ぜずにはいられない。
むかしは矢羽根に雉又は山鳥の羽を用いたが、それらは多く得られないので、下等の矢には鳶の羽を用いた。その鳶の羽すらも払底になった頃には、矢はすたれて鉄砲となった。そこにも需要と供給の変遷が見られる。
私はこのごろ上目黒に住んでいるが、ここらにはまだ鳶が棲んでいて、晴れた日には大きな翼をひろげて悠々と舞っている。雨のふる日でもトロトロと鳴いている。私は旧友に逢ったような懐かしい心持ちで、その鳶が輪を作って飛ぶ影をみあげている。鳶はわが巣を人に見せないという俗説があるが、私の家あたりへ飛んで来る鳶は近所の西郷山に巣を作っているらしい。その西郷山もおいおいに拓かれて分譲地となりつつあるから、やがてはこちらにも鳶は棲家を失うことになるかも知れない。いかに保護されても、鳶は次第に大東京から追いやらるるの外はあるまい。
私はよく知らないが、金鵄[きんし]勲章の鵄は鳶のたぐいであると云う。然らば、たとい鳶がいずこの果てへ追いやられても、あるいはその種族が絶滅に瀕しても、その雄姿は燦として永久に輝いているのである。鳶よ、憂うる勿れ、悲しむ勿れと云いたくもなる。
きょうも暮春の晴れた空に、二羽の鳶が舞っている。折から一台の飛行機が飛んで来たが、かれらはそれに驚かされたような気色を見せないで、やはり悠々として大きい翼を空中に浮かべていた。
(昭和11年・5)