「銀玉鉄砲 - なぎら健壱」ちくま文庫 東京昭和30年下町小僧 から

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「銀玉鉄砲 - なぎら健壱ちくま文庫 東京昭和30年下町小僧 から

昭和36年、銀玉鉄砲が発売されると、それまでのごっこ遊びが、大きく変わった。
それまでの、たとえば探偵ごっこなどという遊びでの必需品の鉄砲は、ブリキで出来た『百連発ピストル』と呼ばれる、平玉の巻火薬鉄砲でしかなかった。
この百連発ピストルは、昭和26年平玉、巻玉の火薬の解禁と共に発売をされ、あっという間に、子供達の間でブームとなった。しかしパンッという破裂音はするものの、実際弾が出ないので、今一つ迫力に欠けたし、色々トラブルの原因にもなった。
相手に向かってパンッパンッと、引金を引くのだが、なんせ音だけなもので、当たったという実感がない。そこで「今当たったのに何で死なないんだよ」と、クレームが付く。言われた方も、簡単に死ぬのが嫌なもんで、「当たってないもん」というように、口を尖らせて反論をする。
その間遊びは中断を余儀なくされ、関係のない他の子供達は「どっちでも良いから早く決めろよ」と、しらけ顔で揉め事が治まるのを待たなければならなかった。
それが『マジックコルト』と呼ばれる、銀玉鉄砲の発売と共に解消された。パンッという破裂音は出ないものの、実際銃口から弾が発射した。子供達にとって安い値段で、しかも弾が本当に発射する鉄砲を手に出来るということは、画期的なことであった。
確かにそれまでにも、弾が出る鉄砲はあることはあったが、なにせ高価でちょっと小遣いを貯めて、というように容易に買える値段ではなかった。
それが五十円で、しかも駄菓子屋で買えた。土を固めて銀色に塗った銀玉と呼ばれる弾も、小さな箱に五十発入って五円と手頃だった。
今もこの銀玉鉄砲は売られているが、その頃の銀玉鉄砲は今のように性能良く作られてなく、飛距離一つ取っても、まだまだ改良の余地がある幼稚なものであった。
また最近は色々な種類の銀玉鉄砲が売られているが、当時はたった一種類で、今のように次から次と引金を引けば弾が出る、いわゆるオートマチックスタイルではなく、後ろに付いた棒状の物を引っ張って、一発ずつ撃つ形であった。
この棒状の物を引っ張ると、中のバネが圧縮され、その勢いで弾が出る。そのために引金を引いたとき、バネのビィ~ンという独特の音がした。
しばらくすると、この後ろの棒状の物が消えたが、ビィ~ンと音の方は相変わらずしていた。そのバネの音がなくなり、カチッという今のような音の銀玉鉄砲になったのは、かなり経ってからである。その頃になると今までのコルト型から脱皮して、ワルサーやルガー型など、色々な種類の銀玉鉄砲が現れた。そして今の軽機関銃型の、高級な銀玉鉄砲に形を変えて行くわけである。
僕はこの銀玉鉄砲遊びで、どうにも嫌でたまらないことがあった。それは撃ち合いの最中に、弾を拾って歩く奴がいるということである。敵味方に分かれて、見え隠れして撃っていると - 一応弾は当たっても痛くない銀玉ではあるが、それは遊びのルール上、本物の弾と同じなのである。その弾が飛び交う中、堂々と銀玉を拾って歩く。
W君がいつもそれで、誰かが注意しても、全く耳を貸さず黙々と拾い続ける。そんな意地汚い奴は、みんなで仲間外れにすれば良いのだが、そこは子供「じゃあ俺も」と誰か一人がつられて拾いだすと、一斉にみんなワ-ッと落ちている弾を捜しだす。
僕はその弾拾いに浪費する時間が勿体なくて仕方なかった。なにも撃ち合いの最中に拾わなくても、途中弾拾いの時間を設ければよいのに、と思われるだろうが、そんなことを抗議している暇はない。弾を全部人に取られてしまう。結局自分も一緒になって弾を拾う結果になる。
そして落ちていた弾が一掃されると、再び銃撃戦が開始されるのだが、W君はちょっとさんかすると、またもや弾を拾いにかかる。
同じことの繰り返しであった。

最近エアーソフトガンなる、6mmのプラスチック丸を弾とした、銀玉鉄砲の親玉みたいなピストルが、秘かに流行している。外見は実物そっくりで、値段も結構するが、その威力たるや銀玉鉄砲の比ではない。皮膚の柔らかいところへ当たると、血豆が出来たり、下手をすると血が出たりする。
僕もそのエアーソフトガンを、10挺以上持っているが、仲間とそれを撃ち合いしていると、本当に昔に返ったようで、子供と同じ気持ちになれる。
昔銀玉鉄砲で撃ち合いをした連中を集めて、このピストルで今一度、戦闘をしたい。ただしW君は呼んでやらない。