「諧謔 - 筒井康隆」講談社文庫 創作の極意と掟 から

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諧謔 - 筒井康隆講談社文庫 創作の極意と掟 から

人を笑わせる面白い戯文、ユーモアやギャグによる文章、その他洒落、流行語や隠語など、読者の笑いを得ようとする文章をここではひと括りにして諧謔[かいぎゃく]と呼ぶことにする。小説の中に出てくる諧謔にはさまざまなものがあるのだが、これらにも高級なもの、低級なもの、爆笑を呼ぶもの、苦笑させるもの、しらけさせるもの、よくわからないもの、中には読者を怒らせてしまうものさえある。一般的に言って諧謔には高度なセンスが必要であり、笑いと無縁な作家が無理に諧謔を弄するとえてして失敗し作品全体の価値を下落させてしまうことにもなるので注意が必要だ。
夏目漱石吾輩は猫である」の語り手は猫である。この猫はしばしば諧謔をとばす。猫ではあるものの語り手なのだからそこには作者の第二の人格が含まれているものと思ってよい。しかるにこの小説の主人公は語り手である猫以外にもう一人いて、それは苦沙弥先生だ。この珍野苦沙弥、漱石自身がモデルだと言われているから、語り手と主人公が共に作者の第二の人格という、たいていは語り手と主人公が同じという、私小説的でありながらも極めて珍しい構造を持っていると言えよう。さらに猫が諧謔をとばす対象は人間であり、それも主に苦沙弥先生だから、ここでは作者の第二の人格が自分の第二の人格を観察し嗤[わら]っていることになる。諧謔をとばすのは猫だけでなく苦沙弥先生もとばすし、珍野家にやってくる高等遊民迷亭、寒月その他の人物も諧謔をとばす。それらがいずれも知性と高度なセンスに裏打ちされているから、まさに笑いの文学の最高峰と言っていいだろう。何度も読み返して少しも退屈しないのはそれ故である。
漱石の笑いは主として比喩による上品なユーモアであり、爆笑するようなギャグには乏しい。それでもこの時代にこれだけの作品が書けたのは英文学の知識によるイギリス風ユーモアを自家薬籠中にものにしていたからだろう。日本では黄表紙本以来笑いの文学は長らく卑しめられてきたから、他には子供向けの佐々木邦や北町一郎によるユーモア小説くらいしかなかったので、小学校高学年になってからは「猫」一辺倒だった。
実は「猫」に夢中になる以前、小学校に入る前からもう一冊、夢中になっていた本がある。弓館[ゆだて]芳夫という人の「西遊記」だ。これはギャグや言葉遊びの洪水だった。弓館芳夫という人は東京日日新聞の記者をしていた随筆家で弓館小鰐[しょうがく]というペンネームだったが、この本は軽装の戦時体制版だったためか本名で書いている。「猫」は今ならネットでも読めるが「西遊記」の方は絶版であり本そのものがあまり残っていないので、その面白さを少し紹介しておく。いささか下品でもあり、今なら「親父ギャグ」と言われるようなものもあるだろうが、とにかく昭和十五、六当時の小生にとってはすばらしく新鮮だったのである。
ただし当時流行のことばも出てくるからよくわからないギャグもある。悟空が死を怖れて不老長寿の術を学ぶため仙人を捜しに行こうとするところでは「当今ならドイツの名医スタイナッハ氏でも捜そうという目算」などがいうのがある。「混世魔王との一戦以来、国際間の風雲険悪たるを覚った孫悟空、ミリタリズムを奉ずるようになって、日々手下の猿どもに軍事教練」などと流行の英語を教えたり、太仙老君が悟空に鋼鉄の玉を投げつけるところでは「その制球力[コントロール]のいいことマッシュウソン、ジョンソン糞喰らえ」、黒風大王を懲らしめるために丸薬に化けてその腹中に入った悟空は「かっぽれ、ステテコ、フラフラダンス、あらゆる芸術を発揮」し、「盲腸直腸の方まで舞下って、滅茶苦茶に踊」り、大王を七転八倒させる。霊古菩薩が毒瓦斯を吐く黄風魔王に定風丹を投げつければ「アッアッと息が詰まって、まるで唖者が疝気でも起こしたよう」という差別的な比喩が出る。三蔵法師が悟空に助けられて「サンクユウ、サンクユウ、ベリ、マッチ」というなど、ふざけてはいるがこの本から多くの英語を教わったことは確かだ。観音さまは助力を乞いにきた悟空に「よく厄介を持込む奴じゃ」と言いながら木カイという弟子に命じて助けるよう仰せつけるのだが「ヤッカイモッカイという語呂は、げだしこの時から始まった」と洒落のめしている。このくだりは最近まで記憶していて、後年「魚?観音記」を書いた時には、悟空と観音様の情事を見ようとして天空の神仏が集ってくる中、仏陀までが下駄履きで覗きにきたため皆が「ブッダマゲタ」という駄洒落を書いている。自分のセンスにあった諧謔は記憶しておくべきだし、忘れることもない。ついでながら言うと今までに読んだどんな本の諧謔も記憶していないとか、そんなものをいちいち憶えているのは子供っぽいとか思うような作家は、もともとのセンスが諧謔に向いていないのだから、自分でやろうなどと思わぬ方が賢明だろう。
西遊記」を続ける。金角魔王と銀角魔王は名を呼ばれて返事をした者をたちまち吸い込んでしまう金の瓢箪を持っているのだが、悟空はこれを偽の瓢箪にすり替える。魔王たちが現れた悟空に瓢箪の口を向けて名を呼ぶと、悟空は平気であらゆる返事をする。「ハイ」「ハッ」「イエス・サア」「ウイ・ムッシュウ」「ヤア」「ダア」このウイ・ムッシュウなどは小生が初めて知ったフランス語だ。文珠菩薩のくだりでは「よく仏像でキリン・ビールの商標みたいな獣に、乗っかっているのがこの文珠菩薩です」という説明で、なかなか勉強にもなる。三蔵が雨を降らせる術を乞われ、そんな術など知らない三蔵に、適当なお経を読めばなんとかすると悟空に言われてやるのが「ナムカラタンノー、トラヤアヤア」である。?角魔王を退治するため十六羅漢に加勢を求めたものの、たちまち武器の金丹砂を奪われてしまい、魔王の子分たちが喜んで囃し立てる。「羅漢さんが揃っても、なっちょらんじゃないか、ヨイアサノヨイアサノ」
「沈魚落雁羞花閉月」という美人の形容を知ったのもこの本だ。牛魔王の妾の玉面女という、女にかけては無関心の悟空でさえ「ぼうっと気が遠くなるようなトテシャン」なのである。のちに美人の形容として「沈魚落雁非常識」などと書いている。牛魔王孫悟空が巨大な姿の本性で戦うところは「まるで東京ステーションと丸ビルが、生き物になって喧嘩をおっぱじめたよう」という、この本が発行された昭和十四年の当時としてはモダンな形容。
西遊記」からの引用はこれくらいにしておくが、子供だった筆者がここから受けた影響たるや甚大なものがあった。文章とはこういうものでなければならないと思い込んだほどだったのである。エノケンなどの喜劇映画が大好きだった時代でもあり、後年ギャグ、ナンセンスの作品を多く書くことになった起源はこの頃にあったと言っていいだろう。その後「吾輩は猫である」に巡りあって文学に目醒め、さまざまな文学からその中の諧謔を知識として貯め込むことになる。現代文学に欠かせぬものとして「笑い」が認められている今となっては、まことにわが先見性が誇らしい。
諧謔は読者の笑いを呼び、さらに読み続けようとする意欲を起こさせ、時には作者の知性の表現ともなり、作品世界から一時的に読者を解放するような異化効果も生む。例えばシリアスな緊迫した場面で一瞬視点を変え、この真面目さが視点を変えればどれほど滑稽に見えるかを示して笑いを呼ぶなどの異化効果である。
だが諧謔にも掟というほどではないものの、避けた方がいいものや書き方を工夫すべきものもあるにはある。人を笑わせる話題として誰でもが思い浮かべるものにシモネタがあり、これは諧謔のセンス皆無な人でもいくつかのネタは持っているのだが、これを文章でやる時にはできるだけ上品に、遠まわしにやった方がいい。そのシモネタがどぎつく下品なものであればあるほどできるだけ上品に、できるだけ遠まわしにやった方が、なぜかより大きい笑いを呼ぶようだ。
諧謔を弄するのが語り手である場合と、登場人物である場合があるが、これはどちらでもよい。登場人物の場合はその人物らしい諧謔にすべきだろうが、語り手が憑衣してやる場合もある。登場人物の諧謔として小生の作品からひとつご披露すると、「あれは火事だということは、火を見るよりあきらかじゃ」というのがある。池澤夏樹の御墨付を貰ったギャグである。
流行語はあまり混じえぬ方がよい。「西遊記」のいくつかの諧謔でおわかりと思うが、すぐに古くなってしまい、後世の読者には陳腐で笑えぬ上に、何のことかわからないおそれもある。現代用語としての横文字は歴史・時代小説に使うと効果があったりもする。だがやたらに使うのではなく、その時代の言語や風俗や思想などを現代から照射するのが狙いであるべきだから、挿入する場所もまた選ぶべきであろう。さらに、当然のことだが、使い古されたギャグは避けるべきだろう。「親父ギャグ」という言い方は、そのギャグの意味や由来を知らぬ若者が反撥して使ったりもするから言われても気にしなくていいが、あまりにも誰もが知っているギャグであればこれはやはり陳腐ということになります。