1/3「解禁する - 開高健」角川文庫 白いページ2 から

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1/3「解禁する - 開高健」角川文庫 白いページ2 から

ここ三年ほど外国へいかなかったので最新の実情を自分の眼で見ていないわけだが、欧米へでかけ、ことに北欧を見て帰ってきた知人たちの話を聞くと、どうやらポルノはすっかり下火になってしまったらしい。政府はいっさいの言論・表現の自由を認める立場から従来どおりにポルノ出版もセックス・ショップもおおらかに許可しているのだけれど、客が寄りつかなくなったために業者自身が方針を変えたというのである。いままでようにおおっぴらに店頭で売ることをやめて、妙に秘密めかした、解禁以前のような、こそこそした雰囲気に転換しはじめたというのである。論より証拠といってさしだされるポルノ・ブックを繰ってみると、明瞭に変化が読みとれる。いままでような、解剖学的リアリズムというか、医学的リアリズムというか、そういう全面開放をやめて、むしろわが国でいうチラリズムに変っているのである。肝腎のところをかくしたり、ボカしたり、映画になるとハイ・キー・トーンでトバしたり、というぐあいになってきた。政府が何もいっていないのにポルノ屋が自分で自粛をはじめ、“芸術”がかった方向へ転身をはじめたらしい気配である。
かれこれ十年近くになるだろうか。フリーセックス運動の叫びといっしょに北欧ポルノがはじまったとき、私はヨーロッパへいくたびにきっとデンマークスウェーデンかに立寄って、ポルノ・ショップへいき、あれこれと買いあさったものだった。登場する男や女、ことに女たちが、どんなポーズをとってもいきいきと微笑し、溌剌とし、晴朗で、不幸、貧窮、抑圧の陰湿な匂いが一刷[ひとはき]もなく、眼も眉も - いうまでもなく♀も - ひらけるままにひらいている。その明澄さ、のびのびとした歓びの表情に私は私は眼を瞠[みは]ったものである。北欧ポルノも一挙に全面開放になったわけではなくて、一年一年と段階を追ってエスカレーション - 下部構造をめざしてのそれだからデスカレーションというべきか - たとえばある年はパンティまで、そのつぎの年はパンティをとって茂みまで、そのつぎの年は♂が♀の戸口をたたくところまで、そのつぎの年ははいよいよ全面解放、ズバリ陥没....といったぐあいで、毎年、どこまでいきましたかなと思って頁を繰るのが、じつに愉しみであった。全面開放になってからはポーズの開発と組みあわせの工夫に全力があげられ、男と女、男と男、女と女、男ひとり、女ひとり、白人と白人、白人と黒人、黒人と黒人、黄人と白人、何組も入りみだれての乱交、思いつくかぎりの光景を見ることができ、いくらか飽きがきかかってはいたものの、それなりに、おもしろかった。
けれど、そのうちに人間だけではつまらなくなったらしくて、ワンワンちゃんやブウブウちゃんが登場するようになり、ハレンチということばが辞書から消えたのだが、こちらはすっかり鼻についとしまい、食傷気味もいいところで、むしろ何やら索漠とさえなるのをおぼえるにいたった。コペンハーゲンのポルノ・ショップへいくと、店内いっぱい、床から天井までギッシリ、何十種、何十冊と数知れないポルノ・ブックが壁を埋めている。たいてい表紙は女がグラン・テカール(大股開き)をやっている写真であるが、♀ばかりが何十も大口をあけているところを見ると、まことに陰惨、荒廖[こうりょう]としたものをおぼえさせられて、僻易した。血は昂揚しないで、むしろ凄[さび]しく沈降していった。熱くなるよりは、むしろ萎[しな]びてしまった。こんなことでへこたれてはいけないと思ったり、おれもそろそろ年だろうかと思ったり、日本人だからたろうかと思ったりもして、何とか自身をはげまそうとするのだが、見れば見るだけ減退をおぼえ、どうにもならなかった