1/2「鴨長明と方丈の庵 - 中野孝次」文春文庫 清貧の思想 から

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1/2「鴨長明と方丈の庵 - 中野孝次」文春文庫 清貧の思想 から

三界は只心ひとつなり

人の心がゆたかであるか貧しいか、大邸宅を営んで富貴であることでもなく、権勢を誇ることでもなく、もっぱらその人の心持の高雅であるか卑陋[ひろう]であるかによるというこの考え方は、そもそもやはり仏教に由来するのだろう。わたしはその方面は素人でまったくの見当で言うのだが、どうもそんなふうに思われてならない。
自然のまま放っておけば、原始形態では、物を持たぬその日暮しの貧乏人よりも、屋敷を持ち大勢の使用人を持った長者のほうが尊ばれ、人の殺生与奪の権を握った権力者が崇められるだろう。所有は多ければ多いほどよしとするのは、ごく当り前の成行きである。その自然な(この場合は原始的な)感情に対して、それ以外に人間には大事な価値があると最初に教えたのが、日本では仏教だったと思われる。
現世の価値 - 他人より多くの富や権力を持つ者が崇められる - に対して、目には見えないもう一つの価値の世界があるのだ、それはブッダの教える心の救済にかかわる世界である。人が真に幸福になるかならぬかは、現世での成功や失敗によってではなく、心という誰もが与えられていながら日ごろは欲望に覆われているために曇らされている、その世界にかかわることだと、形而上的な体系を教えたのが日本では仏教であった。
仏教は現在では見るかげもないほど堕落してしまって、葬式坊主といわれるくらい、僧侶は魂の救済能力を失った存在になってしまっているが、かつてはこれがなによりも尊ばれる人びとであった時代があった。かれらは魂の救済者だった。現世の中に彼岸の価値体系をもたらし、人の心に世界を教える使徒であった。
十世紀、源信という僧が著した『往生要集』にすでに、

足ることを知らば貧といへども富と名づくべし、財ありとも欲多ければこれを貧と名づく。

という文言が見える。これは彼の説いた内のほんのカケラのカケラのような言葉だが、このような考え方があるということは、当時この教えに接した人びとには目の醒めるような新鮮な発見だったろうと思う。この一言によってかれらの貧富観は革命的な衝撃を受けたにちがいないのである。
ここで日本仏教史の話をしてもしかたないし、わたしにはその資格も能力もないが、中世初めに出現した日本仏教の教祖 - 法然親鸞道元日蓮など - の影響力の大きさは、ヨーロッパ社会におけるキリスト教のそれに匹敵すると言っても過言ではあるまい。
要するに当時の人びとはかれらによって、欲望の支配する現世の価値のほかに、もっと人間にとって大きな、魂の救済にかかわる一大世界があることに目を開かれた。教義は各派それぞれに違ったが、日本人が形而上的な世界の価値を知ったのは仏教によってだった。これはまさしく精神世界の革命といっていい出来事で、中世から近世にかけての人びとは最も熱烈に、犠牲となることも怖れず、仏教を信じたのだった。
神仏と日本ではいうが、このようなある絶対的な見えぬ存在を信じ、それに対する垂直の関係を第一としたことが、大変なことだったとわたしは信じる。現代は仏教がそういう役割を完全に失い、形骸化し、それとともにふつうの生活者もこういう目に見えぬ存在を畏れる心を失った。絶対的な存在がなくなれば、法律とか評判とか、世俗の横の関係ばかりになって、内にみずから律するものを持たなくなる。
この「心」というものが信じられていた時代の、一人の知識人の生き方をよく示している古典に『方丈記』というのがある。これは鴨長明(久寿二?~建保四/一一五五?~一二一六)という歌人が、当時の戦乱の窮乏の世の中で隠者となって世を捨てて生きた記録だが、悟道というにはほど遠いけれども、いかにも人間の本音がよくあらわれているため、のちのちまで日本人に愛読されつ来た。
長明は元久元(一二〇四)年、五十歳のときに出家遁世した。つまり人生五十年といわれていた時代に彼はぎりぎりの最後まで現世に執着しぬいて、それから世を捨てた。捨てたというより世からはじき出された格好で、めんめんたる未練とうらみをもって出家した。そして山中の方丈に住んだときの記録が『方丈記』だけれども、彼がどうして方丈の暮しをよしとしたかを知るためにもその一部を引いてみよう。

- 省略 -

長明氏はこんなふうに、この世で一番大事なのは心が安らかであるかどうかである。もしたえず安らかならぬ心の状態なら宮殿・楼閣に住んだとて空しく、もし草庵にいても心安らかならそのほうがずっといい、と言っているのだ。語調にまだ世間への未練といった気味合いが残るとしても、方丈の住居を彼が本当に愛し満足していたのは事実だろう。
鴨長明という人は、彼もまた出家遁世したわけだが、その境界[きょうがい]はさきほど言ったように真の悟道とは言いがたかったように思われる。たとえば『徒然草』を読んでいると、そこに一人のおそろしいほどよく目の見える醒めた人物がいるのを感じるが、『方丈記』を読んでそういう感じは受けない。そこにいるのは悟道とはほど遠い、世間と人間への関心を最後まで捨て切れないでいる煩悩の人である。最後まで世の中への未練、恨み、貪婪[どんらん]な好奇心、執着を捨てきれず、捨てきれない自分に忠実に生きた人で、『方丈記』の面白さひその人間臭さによる。