1/2「飛ぶ魚、潜る人 - 北杜夫」中公文庫 どくとるマンボウ航海記 から

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1/2「飛ぶ魚、潜る人 - 北杜夫」中公文庫 どくとるマンボウ航海記 から

船ではいろいろと特殊用語を使うが、多くは英語で、船長[キャプテン]、機関長[チーフ・エンジニヤ]、一等航海士[ファースト・オフィサー]、二等通信士[セカンド・オペレーター]、甲板長[ボースン]のごとく呼ぶ。これが略されたりなまったりして、主席航海士[チーフ・オフィサー]をチョフサー、水先案内人[パイロット]をパイラ、更に司厨長[シチヨージ]、操機長[ナンバン]などと言うが、船によって多少の癖はあるらしく、この船では船長、局長、機関長などは日本語で呼ばれていた。照洋丸の乗組員は水産庁の調査官三名を入れて四十七名で、操業をするためこの程度の大きさの船にしてはかなり多人数である。
当直[ウォッチ](これは完全にワッチと発音する)は四時間ずつ二回、一日八時間勤務だが、出入港の際などはむろん甲板員は全員配置につく。四時から八時の勤務をモーニング当直、八時十二時をトノサマ当直(これが一番楽だ)、十二時四時をドロボー当直と呼ぶ。
このようなことを私は少しずつ覚えてきた。サード・オフィサーの当直は八時十二時で、そのほかは閑さえあればベッドにもぐりこむ。このくらいよく寝る男を私は知らぬ。よくも目が退化してしまわぬと思われるほどである。もっとも船員にとっては寝るのは大切な才能の一つで、逆立ちをしながらでも眠れるようでないと勤まらぬ。彼のところに頻々と遊びにくる背は低いがでっぷりずんぐりした男がいた。サード・オフィサーの同期生で普段は漁船に乗っている男で、喜劇俳優コステロが中国浪人に扮したごとき風貌をしている。「マスター、いるか」とはいってきて、とたんにウフフフと笑いだす。笑い上戸なのである。「マスター、これ、買うか」これはシンガポールの物売りの真似だ。彼はオルゴールつきのライターを持っていて、真剣な顔つきでそれを鳴らしてみせる。しかしそれは長くつづかない。忽ち彼はずんぐりした体躯をゆすぶって笑いだす。内臓がとびだしそうだ。チーフ・オフィサーもはいってきて、感心してそのライターをひねくりまわす。
「なるほど、こりゃいいなあ」と彼はほとんどため息をつかんばかりに呟く。「俺もこういうの持っているが、俺のは曲がタヌキバヤシだからなあ」
サロンの食事時にもいろいろな話が出る。
「あのときは気味がわるかったですよ」と誰かが言う。この船がニコバル諸島の或る島の沖に停泊していたとき、夜ヒュウヒュウという正体のわからぬ妖しき音がしたそうである。鳥なのか土人の合図なのか未だに判らないという。前の航海のとき、サメに長靴の上から噛みつかれた男の話がでる。甲板の上に釣りあげたサメの口にうっかり足を踏みいれてしまい、三針縫ったとかいうことだった。
船橋[ブリッジ]に行くと当直の甲板員が、一〇〇トンほどの練習船に乗っていてトラック島の近くの珊瑚礁座礁したときの話をしている。
「ここらには暗礁があるからって見張りを厳重にしてたのですがね。ザアーッとスコールがきて、アッと思ったときはもう回避できなかったですよ」
小笠原にいた漁船を無電で呼び、ロープで曳いてもらったが何回やってもロープが切れてしまった。ついに船長はブリッジに残念なりと大書して、船を放棄した。
これが陸上で聞く話なら、それこそヌエが鳴こうが人食土人がタイコを叩こうが船長がいくら残念がろうがサメが生血をすすろうが、知ったことがないのだが、初航海でいくらも日が経たないうちに聞くどんな話でも、ずっと微妙に変形し、幼い頃に読んだ冒険物語のかもしだす幻想のようにふしぎな生々しさを伴なってくるものだ。
私はAから借りたフィリップスのラジオを持参したが、これには短波はなく、インド洋にでも出てしまうと何もはいらなくなる。沖縄辺までは日本の放送がはいる。昼間は雑音だけだが夜になるとはっきりと受信できる。次に同じ日本語で沖縄放送がはいるが、商業放送らしく何ドルをお払いになれば、などと言っている。中共、台湾のものらしき中国語がはいり、やがてマニラ放送のジャズなんかが聞えるようになる。
次第次第に暑くなってくる。日本を出たときは冬支度だったのを数日おきにシャツを脱いでゆかねばならない。このぶんで行くと終いには皮でもはぐより仕方なさそうだ。もっとも南支那海からボルネオ海にはいる頃になると船室にクーラーを通しだしたので室内は涼しかった。それから時計の針を進行につれて三十分ずつ遅らしてゆくから、なんだか時間を得するようだ。一方、それだけ港に着くのが遅れるような気もしてくる。
ときどき他の船と行きかう。デンマークの四千トンほどの白いスマートな客船と行きあったが、ヴァイキングの伝統そのままに、これら北欧諸国の船はどこの港にも進出している。夜間に他の船とやりとりする灯火信号が印象的だ。平行したむこうの船の影からピカリとくると、すぐさまアッパー・ブリッジの探照灯(ない船はマスト上の灯火)で応答する。モールス符号を光でやるわけだ。What ship?に始まってGood nightに終るのだが、その間、船名、行先などを知らせあう。平穏な夜の航海の当直で退屈しているときにはよい慰みになるらしく、アメリカの船などは「恋人がいるか?」などと訊いてくることがあるそうだ。一度、ソ連船と行きあったが、国名船名を名乗っただけで、あとは何を言ってやっても応答せず、船そのものまでぶすりと表情を閉ざしているかのようだった。また或る夜はアメリカ艦隊が出現して停戦信号を発したそうである。もっともべつにこの船を拿捕するためではなく、単に航海上の危険を除くためである。
昼間、三井の橋立丸という貨客船とすれちがったときには、旗の信号を見た。するするとあげて割に素早くおろし、むしろあっけないものである。最後の文句はアリガトウの由、これらの旗は幾つもの文句に組まれてはじめから用意してある。
航路から離れたところで二カ月ぶりに会うのならともかく、他の船と行きあっても想像していたほど懐かしいものではない。困ったことに、私はそばを船が通るとすぐ魚雷でもぶっ放したくなる。それから小島でもあるとすぐに占領してしまいたくなる。べつに日本のものにするわけではなく、新しい国を設立するためである。ところがケシカラヌことに、どんな小島でもみんなどこかの国が盗ってしまっていて、おまけに人間まで住んでいる。