3/4「アフリカ沖にマグロを追う - 北杜夫」中公文庫 どくとるマンボウ航海記 から

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3/4「アフリカ沖にマグロを追う - 北杜夫」中公文庫 どくとるマンボウ航海記 から

カジキやサメにはときどきコバンイタダキが吸いついている。こいつの吸着力は実際大したもので、甲板にでも吸いつこうものなら大の男が引っぱってもビクともしない。コバンイタダキも相手には身分相応のものを選ぶらしく、スギヤマカジキという細っこいカジキを釣りあげたときには、八センチほどのかわいらしい奴がくっついていた。
稀には砲弾そっくりのカツオがかかり、大きなうす紅色の金魚のお化けみたいなマンダイがかかる。またマンボウというさらに奇態な銀白色の魚がかかる。こいつはよく海面に浮んで昼寝をしていて、少々突っついたくらいでは平気でいるそうだ。とにかくこいつの形態はべラボーであり、やはりアタオコロイノナの息のかかった代物としか思えない。その真白な肉はイカカニとエビをつきまぜたような味がする。奇妙といえばミズウオという細長い魚は日向においておくと溶けて水になってしまう。よくマグロの胃の中からも出てくる。
獲物はすべて体重体長から雌雄、卵巣の成熟度、胃の内容物まで調べるのだが、メバチの胃の内容に「イカ、貝」というのが多いので私はふと思い当り、調べると果してカイダコ(アオイガイ)であった。この貝殻は雌の第一腕から分泌形成されるもので、海面に漂いながら彼女はこの中に卵を産みつける。貝類だかタコ類だか見当のつかない奴で、図鑑によって或いはタコのところ或いは貝のところに記載されている。
ある日、操業の最中、船の左舷百メートルほど先に一頭のクジラが現われた。クジラは少数ならどこの海にもいるのである。さすがに大きく、「神、巨[おお]いなる鯨を創りたまいき」などという言葉を憶いだすような貫禄である。ときどき低くピュッと潮を吹きながら、船なんか眼中になく悠々として泳ぎ去った。
食卓には毎日毎日マグロの刺身の大皿がでる。しまいには見るだけでうんざりしたが、それでも箸をつければ結構うまい。生の肉が一番飽きにくいもので、煮たり焼いたりしてはすぐ鼻についてしまう。なにしろ甲板で切身[フィレ]を作っているところへ行き、自分で出刃をふるって頭のうしろの肉とか極上のトロを一片失敬し、炊事場へ持って行けば夕食の席にそれを出してくれる。しかし獲りたてのものはいくらか固く、二日ほど置いたものが最もうまい。メカジキのトロなどは女の腿よりも白いとろけるような脂肪で、とても魚肉とは思えないほどだ。さらに船上でのマグロの処理の贅沢さは陸ではとても想像できない。二十人前くらいのサシミのとれる肉片が、惜しげもなくぽいぽいと海中に投げ捨てられる。そして毎夜食卓にはぶ厚いトロの山。これでは飽きるというよりも、これからのち金をはらって安っぽいサシミを食うなんてことは絞死刑よりつらく思われてくる。
ただひとつ残念なことに、船には本物のワサビがなかったことで、もしいくらかのワサビを入手できるのだったら、私は魂の二つや三つ平気で売りとばしてしまったろう。中世の末、インドの調味料がほしいばっかりに東洋航路がひらけていったのもまた宜[むべ]なるかなである。