(巻二十三)明らかに一語の力きりぎりす(辻田克己)
10月19日土曜日
“きりぎりす”はイソップで損な役回りになったせいか、その背景を受けて句に詠まれることがある。
あたしの好きなキリギリスの句
世渡りが下手とのうわさきりぎりす(山本直一)
しばらくは風を疑ふきりぎりす(橋間石)
キリギリスとコオロギの区別がつきませんな。
うかうかと生て霜夜の蟋蟀(二柳)
虫の写真はございませんが、昨日都営住宅脇の歩道を一生懸命に車道に向かう毛虫を一撮いたした。
こんなところを這っていれば早晩ペシャンコにされるだろうから草むらに戻してやろうかとも考えた。だが、こ奴もあまり長生きをしたくないのかもしれない。余計なお世話は止めて写真だけにしておきました。
自死という選択もあり青樹海(田中悦子)
亀有駅前の広場で、第一回の亀有まつりが行われているので見に行ってみました。屋台とステージでのパフォーマンスは類似イベントと変わりませんが、この祭りは駅前のバス乗り場も乗り入れ禁止にしてパレードをやっていました。
香取神社のお祭りでもそこまではやらなかった。バス乗り場まで閉鎖するのはいかがなもんでしょうか?
おばさんたちの踊りパレードや小学生のブラスバンドが主役のようですから、ユウ・ロード(やや落ち目の商店街の通り)でおやりになればよろしいでしょ?
猫の写真グループに入り楽しんでおりましたが、着信が猫だらけになってきましたので、一部のグループについてはフォローを中止いたしました。
お散歩写真グループの方から“友達”のオッファーをいただきお受けいましました。友達が何千人という方からのはお断りしていますが、この方はそうではないようです。
あたしの顔友は四十人弱です。
「道草 - 吉田健一」中公文庫 汽車旅の酒 から
旅の話てあり、食べ物と酒のはなしですから、タイトルの通りです。道草とは汽車に乗るまでの時間潰しの一杯、乗り換えや途中下車駅での一杯。一杯の際の肴の話です。
《 この頃はこういう駅の中で店を出している蕎麦屋がもりやかけだけでなくて、天麩羅だとか何だとか、種ものを作るのが多くなった。天麩羅といっても、もう出来ているのを積んで置いて、それを蕎麦の上に載せるのに過ぎないが、長岡駅にそういう小店が一軒あり、もっと先の新津駅にもあって、乗り換えの汽車が来るのを待っていたりしている時、よく一つ食べて見たいと思う。それをまだやったことがないのは、東京駅の食堂でまだマカロニに肉の煮たのを掛けたのを注文したことがないのと同じで、眺めているうちに面倒臭くなって来るのである。併しかけに生玉子を入れたのは随分、方々で食べた。》
駅蕎麦のホームに届く葱の束(塩川祐子)