(巻二十三)黄沙降る街に無影の詐欺師たち(馬場駿吉)

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10月21日月曜日

空模様のせいか、周期的なものか、重苦しい気分に落ち込んだなあ。

カステラにフォーク突き刺す秋思かな(土居小夜子)

少しでも気分を変えようと、

「酒場から喧嘩も人生論も消えた - 赤塚不二夫」文春文庫 89年版ベスト・エッセイ集 から

を読んでみたが、山本周五郎の『酒みずく』と同じように才能が枯渇した作家の酒と苦悩の話でありました。

《 というのも、自分ではっきりと面白いと言えるほどのナンセンス漫画がかけるのは、精々四十歳どまり。それを過ぎたら、加藤芳郎氏ほどの天才でなければ不可能なことだ。まして、ぼくのようにスタジオ・システムで大量生産してきた人間は、その反動も大きい。だから人気も一気におちこんでしまう。それにめげて、創作意欲を失ってしまう時期が、四十を過ぎるとたちまちやってきた。とっくに覚悟していたことだが、こればかりは、仕方がない。自分で受けとめるしか方法がないことなのだ。それが、わかっていたのなら、「ギャグ漫画家として長生きするライフスタイル」を考えておくべきであった、と言われそうだ。
そうすれば、収入を確実に維持しながら、大量生産時代に得た大金を財テクして、悠々と豊かに生きられた筈ではないかと。しかし、どんなに財政的に豊かであっても、作品がもう面白くかけないという、作家としてギリギリの悩みは解消できないのではないだろうか。》

才能があればあったで大変なんでしょうが、無い者には判らない。
才能ではないこと、例えば体力の枯渇とか気力の減退とかなら身に沁みて分かる。
それも体力よりは気力が危ないな。

この秋は何んで年よる雲に鳥(芭蕉)

とじ傘

今日も曳舟川沿いに駅前まで散歩した。途中、亀中の校庭から昼休みの賑やかな声がしたので覗いてみた。
つい覗いてはみましたが、あたしゃ中学時代によい思い出はございません。心持ち的には却って悪い方に作用したようです。

駅前のプロントで珈琲を啜る。
淡々と日々を送れていてこれですから、何かあれば脆いでしょうなあ。

お酒とっくり・おちょこ

帰途、コンビニに寄り寝酒とつまみを確保した。毎晩一缶と乾きもので癒しています。店に入って飲みたいという気力がない!
そして、今晩も机で頂いた。二缶空けて布団にもぐり込んだ。これが最高!職住近接、飲寢同室だい!

花丸

幸せを認識しよう!
成人女性が「水羊羹をたべちゃおう」と言って冷蔵庫に残っていた一個を出してきた。分けあっていただき、お茶をしました。これはとても幸せなことであります。