(巻二十四)百歩ほど移る辞令や花の雨(矢野玲奈)

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12月10日火曜日

成人女性が半日がかりで美容室に行くのであたしも駅構内のQBに行った。
QBはお一人様10分でどんどんと刈っていく店だから刈る人と刈られる人との会話はほとんどないのが普通である。
あたしも黙って刈ってもらったが、お隣では能弁な爺さんがおばさんの理容師さんと浮き世の批判でございました。おばさんの馴染みの客のようでおばさんもノリがよく、二人の話題は世の中が悪くなったと嘆き、年寄りはひっそりと“逃げるが勝ち”で世事から離れて生きていくしかないなで意見が一致しておりました。同感ですが、問題は逃げ切れるかどうかです。

成り行きに任す暮らしの返り花(鯨井孝一)

昼飯代はサンドウィッチなり弁当を買ってうちに帰って食べれば食費として支給されるけれど外で食べたらあたしのお小遣いからとの内部規定でございますよ。
たまには外で食べようと蕎麦屋で鍋焼きうどんにして一本つけた。
蕎麦屋の親父さんが身のこなしといい顔の張りといい、何か急に老け込んだなと思う。

鍋焼ときめて暖簾をくぐり入る(泊雲)

朝の食卓にこの記事を読んでおけというように新聞が置いてあった。
厚労省が医療費削減で始めたらしい「人生会議」についての説明記事である。「人生会議」とはAdvance Care Planningのことらしい。事前治療計画でもやはり解りにくいが、要はどこまで金を掛けるかの事前取り決めを患者側と医療機関とすることらしい。
長く生きてさえいれば素晴らしいという考え方が変わるはよい。
医療費を負担する家族や遺産を少しでも多く欲しがる輩に早く死を迫られる懸念もあろうがそれは尊厳死にどうしても付きまとう問題だな。
あたしは医療
計画で延命は望みませんが、心身の苦痛の緩和を強く希望します。早く言えば死に直面することからの精神的な苦痛から逃避したいので思考とか感情も身体的な苦痛と同様に除去して頂きたい。手っ取り早く言えば先ずは生ける屍して頂き、次いで屍にして頂き、前倒しで葬ってくださいということです。

緑なす松や金欲し命欲し(石橋秀野)

本

参考随筆

「放っといて協会 - 別役実」文春文庫 92年版ベスト・エッセイ集 から

《特にこの医療費の点は、「人の死を前にしてそんなことは問題にすべきではない」という、ヒューマニズムの側から暗黙の圧力が作用しているから、なかなかやっかいである。たとえば医学というものは、確かに医学ではあるものの医療機関における経済活動の一種であるから、患者から多くの医療費を「まきあげる」のを旨としており、従って死ぬとわかっている患者の死を出来るだけ引き延ばして医療措置を施し、医療費を増加させる行為は、極めて目的に叶ったものと言えるが、一方患者とその親族の側は、これに経済理論だけで対抗することは出来ない。そうしようとすると、前述した「ヒューマニズムの立場」を暗に持ち出され、「患者の生命に対する思いやりがない」だの「ケチ」だのと言われかねないのだ。
もちろん、医学それ自体が口に出してそう言うわけではない。こちらが、医学の経済活動に対して経済論理で立ち向おうとすると、医学の力で身をかわし、ヒューマニズムとしての医学に、その表情を変えてしまうのだ。すると、その意を体したこちらの周辺の人々が、我々をそうした目で見るというわけである。こうした医学の、巧妙な戦術の前で、これまで患者たちは、手もなく敗北させられ、泣く泣く無駄な医療費を払わされてきた。「尊厳死協会」が出来るまでは、である。》

どうしても生きていたいわけでもないところに金の心配をしながら延命してもなあ。
この辺は山田風太郎氏も書いていた。

やはり

年の瀬や出来ぬ覚悟をする覚悟(潤)

である。