「酒を呑む場所 - 椎名誠」文春文庫 92年版ベスト・エッセイ集 から

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「酒を呑む場所 - 椎名誠」文春文庫 92年版ベスト・エッセイ集 から

これまであっちこっち旅行をして港のあるような海辺の町へ行くと、駅の近くのおでんやなどを気まぐれにのぞいてみたりしたものだが、演歌などでよく聞くそういう店にいるという、年の頃は三十二、三の、少々はすっぱながら目もとあくまですずしく、鬢[びん]のほつれ毛かきあげながらおでんの味つけただものでなく、二年前に離婚したけれど近頃すこし夜の一人寝がつらいというような、サケはぬるめのカンが好きで、うたうは土佐のヨサコイ節というような女 - とただの一度も会ったことがない。
すこしいい女だなと思うと、じきに店の奥からハラマキステテコのアブラメ男が腹をかきかき出てきたり、おでんの味はとびきりうまいが、ガラス引きかじりカメレオン声の世間話がざっと五、六時間はとまらず一気に夜半をつばはきちらしてかけぬけていくような三十二、三の女たったりして、うたで聞くような港の近くのいい女、というのにはなかなか出会えない。演歌に出てくるような酒場の女はオオカミやニホンカワウソと同じようにもう絶滅してしまったのかもしれない。
だったら居酒屋なんていうのは結局どこへ行っても同じようなものだし、港でもガード下でもハンペンの味にたいした差があるわけでもなし、ということになってしまったからなのか、この五、六年酒を呑む店といったらいくらもない。
まず新宿のなじみの居酒屋一、二店。たまに西口の寿司屋。もっとたまに銀座のひらひらドレスのお姉ちゃんのいる店一店。以上三、四店でケリがついてしまう。
サケが好きなわりには考えてみるとつまらない人生になったなあ、と思う。
三十代の頃はもっと進取の意欲に燃えていてけっこう積極的に新しい店というものに興味をもった。そこがうまいものをくわせてくれて、気分よく呑めて、ネエちゃんもかんじがよかったりしたらかようことも多かった。
近頃はこのような「発見-開拓-定着」というものにまるで意欲がない。理由はただもう単純にメンドーくせえやあ、というやつだ。
それからまた自分とその仲間の連中がうろついている新宿からわざわざヨソの街に出ばっていく、ということがわずらわしくなってしまった。東京の街がどんどん変っていってしまうし、下町と新宿以外はオレなどだんだん気おくれして歩けなくなってしまっている、という事情もある。
東京で知っている街は生まれたところに近いという関係もあってまず渋谷、そして学生時代下宿していた江戸川区小岩のごしゃごしゃ地帯、サラリーマンとして永いことかよっていた新橋、銀座、そして現在の棲息地新宿、とけっこうあちこちわたり歩いた。
けれど渋谷なんてまるっきりもうガキンチョの街になってしまったから正しいおじさんとしては気持悪くて二キロ以内には近づけない。原宿はもっと幼児化しているし、青山、六本木というのはそのスケコマシ状況がつくづく恥ずかしいし.....。
学生の頃、仲間たちと六本木のニコラスというイタリアンレストランで深夜の皿洗いのアルバイトをしていた。その頃ニコラスはもっとも六本木らしいしゃれた店といわれていて、客もそんなふうなのが多かった。二十代の青年の目から見る当時の六本木というのはじつにいたるところあやしくも魅力的な大人どもの夜の街、というふうにうつっていた。けれどいまはそこもなんとなく全体にホンコン化しているものな。外国の真似そのもののイルミネーションや店造作と、店の白シャツあんちゃんたちの無表情にカマキリ化した目がじつにホンコンの人々とよく似ているのだ。日本の国際化というのは実はああいうのを言うのではあるまいか、とつくづく思う。
だからそんなヨソの街へ行っておどおどするより何事もホンネ丸出しの新宿がいいのだ。よく食べよく騒ぎスケベで猥雑で喧嘩っぱやくて夜ふかしでのんだくれで生まれつきのガラの悪さを隠そうとしない - というところなどじつにまったくオレのようでわかり易くてよろしいのだ。
このあいたマンガ家の東海林さだおさんと西荻窪の呑み屋で酒呑みつつ、最近どこで呑んでいるかという話になった。西荻窪のその店は東海林さんとぼくの対談のために出版社がしつらえてくれた店で、スタートからなんだかギンギンに力[りき]の入った懐石料理ふうのものが登場し、二人ともいささかぐったりしていたのだ。で、いつものなじみの店がなつかしくなって、
「近頃どんなところで呑んでますか?」
とぼくが聞いたわけである。東海林さんは、
「そうだねえ、新宿に二、三店、西荻に一店、あとはときたま銀座のひらひらドレスのお姉ちゃんのいる店に行くぐらいだねぇ。もう新しい店を捜す気力もないし、このあとの人生はこの四、五店でやりくりしていくことになるようだわ。そうして死んでくんだわ」
なんて言った。ぼくの状態とあまりにも似ているのでそれもおかしかったけれど、最後にいう「この四、五店で死んでくんだ」というのが妙にリアルでやるせなくてそしてひっそりおかしかった。
そうか、本当に考えてみると自分もあの三、四店の酒の場をうろうろして、それで結局いつか死んでくんだ - の人生なのかもしれないな、と思った。
この頃はぼくはさらに心境が変化していって、仕事を早くすませて家に帰り、妻のつくってくれた料理でゆっくりビールなど呑むのが一番ゆったりとして安心し、気分よく酔えるようになっている。ヒトはこれをいわゆる世間でゆく聞く常套句そのままに「もうトシだしなあ.....」と言うが、本当にそうなのかもしれない。ただし問題は相変らず旅行や、外で夜中までの仕事が多く、そんなふうなシチュエーションをなかなか設定できないことである。