「法の下の平等を勘違いしてはいけない - 北野武」幻冬舎文庫 全思考 から

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法の下の平等を勘違いしてはいけない - 北野武幻冬舎文庫 全思考 から

子供は素晴らしい、子供には無限の可能性がある。
今の大人は、そういうふざけたことを言う。
子供がみんな素晴らしいわけがないじゃないか。
残酷な言い方だが、馬鹿は馬鹿だ。足の遅いヤツは遅いし、野球がどんなに好きだって、下手なヤツはいくら練習しても下手なのだ。
そんなことはわかりきっているのに、本気で努力すれば誰でも一流になれる、なんてことを平気で言う。
そうじゃなくて、才能のある人間が、誰よりも努力をして、ゆうやく一流になれるかどうかという話だ。イチローと同じ練習をしたら、誰でもあんな風になれるのか。
戦後民主主義だかなんだかで、人間はみな平等ということになった。その平等は、あくまでも法の下の平等であって、金持ちも貧乏人も、同じ法律で裁かれて、同じ基本的人権を与えられますよというだけの話だ。実際には、その平等だってかなり怪しいものだが、とりあえずタテマエとしては、そういうことになった。
それで、勘違いしてしまった。人間はみな平等だ、と。
法の前では平等であっても、人間そのものが平等なわけはない。
顔だって、背の高さだって、頭の中身だって、百人いれば百通りだ。
そして世間を見渡せば、道端の雑草を喰って飢えをしのぐ年寄り夫婦がいたかと思えば、もう一方には自家用ジェットで外国まで飯を喰いにいく金持ちもいる。
どう考えたって、平等なんかじゃない。なのに、どういうわけかみんな平等だってことにしたくて、努力すればなんとかなる、なんてことを言いだした。
子供に「お前は馬鹿なんだから」と言うより、そっちの方がよっぽど残酷だ。

今の小学校の一クラスが何人かわからないけれど、20人か30人の子供の集団ひとつとってみても、子供の能力にははっきり差がある。だけど最近は、運動会の徒競走でも、ひとりひとりに順位をつけない学校が多いらしい。
クラスの全員が走るリレーをやらせて、みんなで協力してひとつのことを成し遂げましたとか、手をつないで仲良く一緒に走りましょうとか。
まるで、テレビのインチキ臭い学園ドラマだ。
受験にしても、社会に出てからの競争にも、将来は完全な勝ち抜き戦が待っているというのに、だ。
その中で戦っていかなきゃならないのに、誰にでも無限の可能性があるなんてことにしてしまったら、逆に、落ちていく人間に対しては愛情の欠片[かけら]もない。
ほんとうは勝負をさせるべきなのだ。負けて悔し涙を流す子供には「だけど、お前は算数の勉強はできるんだから」とか、フォローの仕方はあるだろう。
誰にでも無限の可能性があるという前提では、お前の努力が足りないという結論で終わってしまう。負けたのは、努力が足りなかっただけだ。そう子供に言い続けるのは、見込みのない漫才師志望の若者の耳元で、「頑張れば、いつかは売れるよ」と囁くようなものだ。愛情でもなんでもない。どんなに努力したって、できないヤツはできないのだ。
早い話が、芸能界を目指す人間が1000人いたとして、そのうち何人が飯を喰えるようになるか、せいぜい1人いるかどうかだ。あとの9 99人は諦めるのが前提なのだ。それでも、努力すれば夢がかなうと言えるのか。そんな馬鹿な話はない。
どうしてそういう無理をさせるのだろう。
なんでも努力のせいにして、人間には本来差があるという現実をうやむやにする。
おかげで今の子供は、その努力すらしないで、夢さえみていればいつかはかなうと思うようになった。
そんな状態で、いきなり社会にほっぽり出されるから、頭がおかしくなる。自分の思い通りにならないことを、何でもかんでも人のせいにする。親が悪いと言っては、バットで殴ったり、社会が悪いんだと言って、引き籠もったり、ワケのわからない新興宗教に夢中になったり。
ストーカーだってそうだ。努力すれば夢は何でもかなうなんて教えこまれてるから、いつまでも相手を追いかけ続ける。挙げ句の果てには、自分の気持ちがわからない相手が悪いと決めつけて殺してしまう。
高嶺の花なんて言葉が昔はあったけど、今はそんなことを誰も言わなくなってしまった。
要するに、引き籠もりもストーカーも、世の中には諦めなきゃいけないことがあるってことを知らないのだ。泣きさえすればミルクがもらえる赤ん坊の状態から、ぜんぜん成長していない。
それで慌てて、ウチの子供をどうしたらいいんでしょうなんて、テレビの電話相談なんかに泣きついてる暇があったら、お前なんなには無理だったんだよって、言ってやれよと思う。お前が間違っているだよ、と。
努力すればなんとかなるなんて、おためごかしを言ってないで、子供の頃からちゃんと叩き込んでおいてやった方がいい。人間は平等なんかじゃない。お前にはその才能がないんだと、親が言ってやるべきなのだ。いくら努力したって、駄目なものは駄目なんだと、教えてやらなきゃいけない。
そんなこと言ったら、子供が萎縮してしまうっていうなら、萎縮さえしなければ、運動神経の鈍いヤツが、オリンピックで金メダルを獲れるようになるのか。
自分の子供が、なんの武器も持っていないことを教えておくのは、ちっとも残酷じゃない。それじゃ辛いというなら。なんとか世の中を渡って行けるだけの武器を、子供が見つける手助けをしてやることだ。
それが見つからないのなら、せめて子供が世の中に出たときに、現実に打ちのめされて傷ついても、生き抜いていけるだけのタフな心を育ててやるしかない。
子供の心を傷つけることを恐れちゃいけない。傷ついて、へとへとになって、諦めればいいと俺は思う。欲しいものを手に入れるには、努力しなきゃいけない。だけど、どんなに努力しても駄目なら諦めるしかない。
それが現実なのだということを、子供のうちに骨の髄まで叩き込んでおくことだ。
それが、父親の役目だろう。