(巻二十四)木枯の吹き残したる星座かな(七井二郎)

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(巻二十四)木枯の吹き残したる星座かな(七井二郎)

2月5日水曜日

今日はあたしのチノパンを洗った。日射しは強く、午後3時に取り込んだが充分に乾いてくれた。
洗濯物を取り込むときに引戸を開けたままにしておいたら羽音の大きな蜂だか虻だかが迷い込んだ。

戸を引けばすなはち待ちもののごと
すべり入り来る光といふは(宮柊二)

虫も入りたくて入ったわけではないので一周りして退出したが、こういうことにやたらと神経質な細君は早速“洗濯物取り込み時の引戸の取扱規則”を制定しガミガミと説教された。人生の最終盤、これからは辛い余生が待っているにちがいない。

立春に虻追う部屋の温[ぬる]さかな(駄楽)

とじ傘
南コースで生協のイートインでコチコチ読書を致す。隣りではご同輩が焼そばを食しながらiPhoneで株式の日足グラフを睨んでいた。チラッと覗いたがやや右肩上がりに見えた。そう言えば金は今朝四十四円下げていた。悪い材料が一応出尽くしたということか?
嗚呼、まだまだ解脱できてねえ~なあ。


最寄りの生協に移動して米を二キロ買う。佐渡コシヒカリ無洗米で、この生協では“上”の部類に入る銘柄である。昨日納豆を買ったのだが、やや品薄でいつものおかめ納豆がなかった。マスクではないが疑心暗鬼になりチェックしておいたが、今日は棚にいっぱい並んでいた。ではあるが、大半を生協印の納豆が占拠している。品質に変わりはないのだろうが“おかめ”や“てんぐ”が淘汰されてしまうのは忍びない。
それに、生協の納豆は4個パックが主流のようだが、賞味期間によっては4個をもて余すことになるのだ。あたしは賞味期間なんぞに惑わされないが、これまた細君がうるさいのである。

黴なんぞ一吹きで済む世代なり(原田達夫)

本

「『四畳半襖の下張』古典的名作の至芸 - 小野常徳」WANIBUNKO 発禁図書館 から

《大いなる好色修業

この作品は金風山人なる男が古い待合いを買い、あれこれ部屋の手なおしなどをしているうちに四畳半のふすまの下張りに何やら一面にこまかく書きつらねたものがあるのを発見した。これを書き写したのがこの作品、という設定で書き出しが荷風調。
〈......思えば二十歳の頃、身は人情本の若旦那よろしくと、ひとりよがりして、十七、八の生娘などは面白からず、五つ六つ年上の、大年増泣かして見たしと願掛けまでせし頃は、四十の五十のという老年の遊ぶを見れば、あの爺、何というヒヒ[難漢字]ぞや、色恋も若気の過ちと思えば、追々自惚も強くなりて、馴染は馴染、色は色、浮気は浮気と、いろいろに段をつけ、見るもの皆一、二度ずつ手を出して見たく、心さらに落ちつく暇なく、衣裳持物にも、心をつくし、いかなる時も色気たっぷり、見得と意地とを忘れざる故、さほど浅ましき事はせずにすめども、やがて四十の声を聞くようになりては、そろそろ気短に我欲ようやくサカン[難漢字]になるほどに、見得も外聞も構わぬいやしき行ない、此の頃より平気でやり出すものぞかし。〉》

本物を読んでいるのではないから、よくは分からない。
しかし、艶本は心を軽くしてくれる。落ち込んだときには猥褻な物を読むに限ると発見した。

肉マンを二つ列べて四月馬鹿(駄楽)

一説に依れば荷風は六十五歳あたりで枯れたとされている!

荷風六十五歳。二十八歳ちがうお歌は三十七歳か。荷風の性は昭和十五年頃には枯渇したはずだから、男女のいとなみはないはずである。お歌は食糧事情逼迫して独り暮しの荷風が定めし困窮しているだろうと、鯵の干物などを持参している。』(ボケ老人の孤独な散歩-新藤兼人-128頁)

行年に見残す夢もなかりけり(荷風)

まだまだ俗物で覚りには程遠く、実際に死が訪れたらみっともなく取り乱すと思います。ですが、それでも諦めることにつとめますのでよろしくお願いいたします。