2/2「ネス湖の生一本、グレン・モーランジー - 景山民夫」新潮文庫 今宵もウイスキー から

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2/2「ネス湖の生一本、グレン・モーランジー - 景山民夫新潮文庫 今宵もウイスキー から

そこはバーというよりはパブに近い造りで、長いカウンターの途中に仕切りがあって、ホテルの宿泊客用と外来者用に区切られており、僕の入った泊り客用の方の広い窓からは湖面が見おろせるようになっていた。
そろそろ黄昏にさしかかる気配を見せるネス湖がよく見える角度でカウンターに陣取り、赤ら顔の四十がらみのバーテンダーに、精一杯キングズ・イングリッシュの発音で「本物のスコッチ・ウイスキーが飲みたいのだが」と注文した。彼は無表情に後ろの棚からシーバスリーガルの瓶を取って無言で僕に見せた。僕はかぶりを振って、もう一度「本物のスコッチが飲みたいのだ」と繰り返した。「そいつが本物じゃないという意味ではなくて、それなら日本でも飲めるということだがね」ともつけ加えた。バーテンダーは、ちょっと意外そうな顔をしたが、すぐにニヤッと一瞬だけの笑いを見せて、カウンターの内側にかかっていた鍵束を外すと、あいかわらず無言のまま背後の棚の下に切られている小さな扉の錠を外して背中をまるめて潜り込んで行った。のぞいてみると下り階段になっており、中は暗くてよく見えないが、丁度ワインセラーのような酒倉があるのだろうと想像できた。
彼はすぐに上がって来た。手に一本の瓶を持っており、それを僕の目の前に置いてから一歩退[さが]って腕組みをした。どうあっても無言で通すつもりかもしれない。大方、親戚がプリンス・オブ・ウェールズにでも乗っていたのだろう。
その瓶には山吹色のラベルが貼ってあり、なんだかガリ版刷りみたいな感じで工場の絵が印刷されていた。その上に赤い文字で「HIGHLAND MALT」という文字があって、一番上の名前は「グレン・モーランジー」と読めた。グレンは谷だから、たぶん地名がそのまま酒の名になっているのだろう。そういえばモルトウイスキーにはグレンという言葉の付いたものが多い。
とにかく初めてお目にかかる相手だから手の内が分らない。勝負してみるしかないので、バーテンダーにうなずいてみせた。彼は腕組みを解くと瓶の封を切り、ゴブレットに八分目ほどなみなみと注いで、今度は一歩退かずにその場でまた腕組みをした。
いくら他に客がいないとはいえ、なにも睨みつけるようにして人が酒を飲むのを見ていることはないだろうと思う。どうやらレパルスの方にも伯父さんあたりが乗り組んでいたらしい。視線は無視することに決めグラスを手にした。香りをみるのはやめにして、そのまま口に運ぶ。
ハイランドモルトにしては丸味がある。ホワイトホースにチラッとこの味が含まれていたような気がする。がもちろんそういったブレンドウイスキーよりストレートに味が頭の芯に伝わってくる。美味いのである。
「大変美味である」といったら初めてバーテンダーが口をきいてくれた。
「ここいらの酒だからな」
チェイサーに水を貰って飲み続けることにした。チェイサーの方も氷は無しだが、夏とはいえジャケットを羽織る気候だし、おそらく井戸水とみえて充分に冷たい。なるほど、ウイスキーに氷をぶちこんで飲むのはインドに駐在した英軍兵士あたりが始めた習慣かもしれない。バーテンダーも偶然に同じことを考えたらしく質問してきた。
中越しに聞こえてくる彼らの会話は、ゲール語のアクセントが強く聴きとりにくかったが、こんな内容だった。
「先週の土曜の夕方にな、クラッヒナハリイのマクネルの爺さまが畑の帰りにドロムナドロヒトんとこの岸辺であいつ[モンスター]を見ただってよ」
「ほう、そりゃ運が良かったね」
彼らは“ネッシー”とは呼ばずに“モンスター”と呼ぶ。ゲール語で“バイステ”という時もあった。ネッシーという呼び名は、ロンドンの新聞社あたりがつけたものなのだろう。そして、地元の彼らにとってはそれはセンセーショナルに新聞にとり上げられるような特別な存在ではなくて、誰でもが知っている、そこにいるものなのである。
四杯目をあけたところで、ホテルの主人がレストランがしまるから食事をしてくれと呼びに来た。
壁土のようなスープと羊の肉を焼いたものが唯一のメニューだった。
食事のあと、バーには戻らずに、ちょっと湖を眺めてから部屋に上がることにした。黄昏はあいかわらず、続いていた。
翌朝、5時半に目を覚まして、双眼鏡と16ミリカメラと望遠レンズを着けたスチールカメラをかかえて表に出たら、昨夜のバーテンダーが、もう起きて表を掃除していた。
僕の手にしている物を見て、何をしに出かけるかに気付いたらしく、昨夜と同じ調子で「フン」と鼻を鳴らして横をむいた。
丸々一日を湖岸で過ごし、夕方にホテルに帰って、そのままの足でバーに入ったら、バーテンダーが注文もきかずに、僕の前にグレン・モーランジーを瓶ごと置いた。あい変らず、ほとんど口もきかなかった。
そして、その習慣は、その後の七回のネス湖行きの時も、ずっと変らなかった。
「日本ではウイスキーはどうやって飲んでいるんだ?」
よっぽど、小さな陶器の瓶に移しかえて熱湯で温めてチビチビと飲むと答えてやろうかと思ったがやめにして、ほとんどが氷を入れて水で割ると答えたら「フン!」といって横をむいてしまった。睨みつけられているよりはましだ。
窓の外に目をやると黄昏が本格的になっていて、空の真ん中のあたりがマーマレード色をしていた。湖面には動くものは何も見えない。
三杯目のお代りを頼んだ時にさっきから空の色が変っていないことに気付いた。白夜なのだ。
隣の外来者用の方のパブにドヤドヤと人が入ってきた気配が仕切り越しに伝わってきて、バーテンダーがあっちとこっちを行ったり来たりすることになった。四杯目は向こう側で飲むことに決めて、一旦金を払い、ホテルの玄関を出てグルッと建物をまわって扉を開いたら、地元の農夫といった服装の男たちが六人いた。
みんなビールの1パイトのマグを手にしている。最初は見慣れぬ東洋人の出現にビックリしたようだが「今晩は」といったら、もうそれだけで充分だった。挨拶を返してくれて、あとは余計な注意は払わず、自分たちの世間噺に戻っていった。