3/3「ラビリンスの残る墨東の町-玉ノ井、鐘ヶ淵(墨田区) - 川本三郎」ちくま文庫 私の東京町歩き から

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3/3「ラビリンスの残る墨東の町-玉ノ井、鐘ヶ淵(墨田区) - 川本三郎ちくま文庫 私の東京町歩き から
 
いろは通りを北に歩いていくとやがて鐘ヶ淵の駅から伸びてきた商店街にぶつかる。鐘ヶ淵通りである。この商店街など三つ続けて五ッ角である。なかには六ッ角まである。四ッ角というのはあたりまえすぎて面白くないが五ッ角は不定形、不規則でいったいどうしてこんなものが出来たのだろうと想像力をかきたてられる。
鐘ヶ淵界隈も好きな町で玉ノ井まできたときはたいてい足を伸ばす。ここも小さな商店が多い「個人の町」だ。路地もいっぱいある。路地が集って出来た町だといってもいい。路地には町工場がたくさんある。土曜日の午後だというのに路地のあちこちからプレス機械のガタン、ガタンという音が聞えてくる。このあたりはまだ週休二日制と関係がないようだ。
路地が子どもたちの絶好の遊び場所になっているのは昔も今も変らない。この界隈の路地を歩いていると子どもたちが野球をやっていたり、ローラースケートをやっているのによく出会う。路地はどこも狭くて自動車が入ってこれないから子どもたちの天国である。
鐘ヶ淵の商店街は玉ノ井のいろは通りの商店街よりやや大きい。といってもデパートも大型スーパーもない。たいていは二階建ての個人商店である。こういう町が歩いていていちばん落着く。
商店街をまっすぐ西に歩くとやがて東武電車の踏切りにぶつかる。左が玉ノ井、いや東向島で右手すぐのところが鐘ヶ淵駅である。東武電車の高架は玉ノ井までで終っている。この踏切りが鐘ヶ淵の町(町名は墨田)を東と西にわけている。東の方がにぎやかで西に行くと少し寂しくなる。踏切りから歩いて十分も行くと隅田川にぶつかる。隅田川沿いにはまるで城壁のように背の高い団地が続いていて東側の路地の町とは様相を一変する。こちらは車の通りの激しい墨堤通りもあり散歩にはあまり向いていない。団地が続く姿も散歩者には殺風景だ。ただ今回はじめてこの団地のなかを歩いてみて榎本武揚銅像があったのを知ったのは発見だった。榎本武揚は晩年、現役を引退してからこのあたりに住み、隅田川の堤を散歩するのを楽しみにしていたと碑にあった。
そこからまた鐘ヶ淵の駅のほうに戻った。踏切りに近くに小さなガラス工場があった。「高級化粧ガラス容器製造」と看板にあり門の脇に埃をかぶったショウケースのなかに玩具のような商品が並べてある。香水や化粧水のガラス容器である。
それでこの町が鐘ヶ淵紡績、いまのカネボウの発祥の地であることを思い出した。この工場はカネボウが化粧品を作るようになってから出来たものなのかもしれない。もっとも本家のカネボウの工場は昭和四十四年に小田原に移転してしまっている。工場の跡地には倉庫が建っているだけである。
昼から歩き続けていたのでひと休みすることにした。夕暮れ時、そろそろ酒が恋しい。踏切りの脇に小さな縄のれんの焼鳥屋があった。そこに入った。カウンターだけの店だ。いつも一人で酒を飲むことが多いのでこういうカウンターの店が気に入っている。客は中年の男性が四、五人いるだけだったがそれで店のなかはもういっぱいという感じだった。ビールを頼んだら隣りの陽気な客が「よっ、ビールか。景気がいいね。競馬で儲けたの」といった。一瞬何のことかわからなかった。すぐにここではビールは高級品なのだとわかった。彼が飲んでいるチューハイは一杯二百二十円なのにビールは大びんが一本四百六十円。倍はする。それで彼は私を「金持ち」と冷やかしたのである。こういう雰囲気は嫌ではない。青山あたりのカタカナ職業の人間が集まるおしゃれなバーよりずっと気分が落着く。
肴にゴボウの煮つけとあまり家の近所の飲み屋には見かけないイナゴ煮をもらった。それで千円とちょっとだった。なんだかすごく贅沢したようないい気分になった。
その店を出て帰ろうと思ったが気分がよくなったのでもう少し歩くことにした。こんどは町ではなく荒川に出ようと思った。川を見たくなった。この界隈は地図を見るとすぐにわかるが荒川(荒川放水路)と隅田川に挟まれた三角地帯の頂点の部分にあたる。左に行くと隅田川、右に行くと荒川である。
焼鳥屋をでて川の方向の見当をつけて路地から路地へと歩いた。路地のどの家でも夕食の支度をしている。父親が勤めから帰ってくる。老人が銭湯から帰ってくる。一瞬、子どものころの“わが町”に
戻ったような気になる。
路地から路地へ十分ほど歩いただろうか。急に目の前に高い堤防があらわれた。それを一気にかけあがると目の前が急に開けた。荒川だ。隅田川が町のなかを流れる運河のようになっているのに比べ荒川はもともとは人工の放水路なのにいまや自然の大河のようにゆったりと悠然と流れている。遠くの高速道路の光がきらきらと夏の蛍のように光って見える。東京にもまだこんな広々とした風景があるのかと驚くようなパノラマだ。しかも河原には人っ子一人いない。
星がいっぱいの空が急に自分一人のものに感じられた。
(一九八八・三『東京人』)