1/3「ラビリンスの残る濹東の町-玉ノ井、鐘ヶ淵(墨田区) - 川本三郎」ちくま文庫 私の東京町歩き から

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1/3「ラビリンスの残る濹東の町-玉ノ井、鐘ヶ淵(墨田区) - 川本三郎ちくま文庫 私の東京町歩き から
 
浅草の松屋デパートから出る東武電車が好きで時々ぶらりと乗りに行く。曳舟、玉ノ井、鐘ヶ淵、堀切、牛田と東武電車の小さな駅とその周辺の町はどこもまだ昭和二十年ごろの雰囲気が残っていてあのあたりを歩いていると子ども時代に戻ったような錯覚にとらわれたりする。
浅草駅を出た電車がすぐに隅田川の鉄橋にさしかかる瞬間がいい。電車はまだ走り出したばかりなのでスピードが出ていない。ゆっくりと鉄橋を渡る。そのあいだ乗客は窓から隅田川の水の風景を楽しむことができる。
一月のなかば、冬とは思えない暖かな土曜の午後、ひとりでカメラをぶらさげて浅草に行った。松屋デパートの向かいに開店したばかりのラーメン屋で腹ごしらえをして東武電車に乗った。鬼怒川温泉や日光に行く特急には土曜日の昼下りなので団体客が多い。会社の新年会でこれから温泉に出かけていくのだろう。
温泉といえば福島県会津線の沿線は湯の花温泉木賊温泉二岐温泉と秘湯、名湯の宝庫である。ここは以前は交通の便が悪くてバスに二時間も三時間も乗らないと行けなかった。それが昨年の夏、第三セクター方式で野岩鉄道という新しい線が出来、東武線と会津線がつながった。これで奥会津に行くのが一気に楽になった。かつては“陸の孤島”といわれた秘湯、名湯が“浅草の奥座敷”と呼んでもいい近距離になった。私も野岩鉄道が出来てからすでに二度、二岐温泉湯の花温泉に出かけている。東武電車との縁はますます深くなったのである。
特急は大混雑していたが玉ノ井、鐘ヶ淵に行く普通はすいていた。浅草を出た東武電車はすぐにゆっくりと隅田川の鉄橋を渡る。その日の気分によって隅田川下流(電車の進行方向に向かって右)を見るが上流(左)を見るか違うのだがこの日は下流を見ることにした。ちょうど太陽が隅田川の真上にあり川の水がきらきらと光っている。快晴で吾妻橋、駒形橋、厩橋と先の方まで見える。川の上を最近よく下町の空で見かける飛行船がのんびりと浮かんでいる。川と飛行船の組合せはアンリ・ルソーの「マルヌ河畔」や「イヴリー河岸」といったベル・エポックの絵を思い出させてくれる。
隅田川を渡った東武電車は業平橋曳舟と墨東の小さな駅にとまっていく。そして三つ目が玉ノ井である。 - だが、実はこの玉ノ井駅が昨年十二月二十一日から駅名が東向島駅にかわってしまった。玉ノ井といえばいまさらいうまでもなく永井荷風の『濹東綺譚』の舞台になったところであり、大正の終わりから昭和三十三年三月三十一日、売春防止法実施の前日まで私娼街として有名だった“女の町”である。荷風の『濹東綺譚』だけでなく高見順の『いやな感じ』や太宰治の『人間失格』などの文学作品にも描かれている。マンガではなんといってもこの町に生まれ育った滝田ゆうの『寺島町綺譚』がある。
昭和十九年生まれの人間にはもちろん往時の玉ノ井のことはわかる筈はないが、それでも「玉ノ井」という名前には一種のノスタルジーを感じてしまう。東京の町のなかでも「かげり」のある町として特別の想いを抱いてしまう。
しかしそんな感慨はしょせんは外部の人間の感傷でしかない。実際にこの町に住んでいる人間はやはり「玉ノ井」という名前にこだわりを持たざるを得ないのだろう。すでに町名のほうは昭和四十年の表示変更で東向島に変っている。そして今度の駅名の変更である。「吉原」がそうだったように、やがて「玉ノ井」という名前も東京から消えてしまうのだろう。
玉ノ井駅、いや東向島駅は昭和四十二年に高架線になっている。画家の木村荘八が『濹東綺譚』の挿し絵で描いたような駅の風景はとうの昔になかなっている。この高架橋の下の空地には東武鉄道が近く鉄道博物館を作る計画があるという。
駅前に小さな商店街がある。東京のどこの町にでもあるふつうの町だ。前田豊著『玉ノ井という街があった』(立風書房、一九八六年)という本を見ると昭和に入って玉ノ井によく通ったという著者は、現在の玉ノ井の町はすっかり様子が変ってしまったと書いている。「一度でも昔の玉ノ井に足をふみ入れた経験を持つ者なら、これがあの街かと、ただ茫然とするほど街の様相は一変し、昔を想起するよすがは何物も残されていない」