「『四畳半襖の下張』古典的名作の至芸 - 小野常徳」WANIBUNKO 発禁図書館 から

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「『四畳半襖の下張』古典的名作の至芸 - 小野常徳」WANIBUNKO 発禁図書館 から
 
この作品は金風山人なる男が古い待合いを買い、あれこれ部屋の手なおしなどをしているうちに四畳半のふすまの下張りに何やら一面にこまかく書きつらねたものがあるのを発見した。これを書き写したのがこの作品、という設定で書き出しが荷風調。
〈......思えば二十歳の頃、身は人情本の若旦那よろしくと、ひとりよがりして、十七、八の生娘などは面白からず、五つ六つ年上の、大年増泣かして見たしと願掛けまでせし頃は、四十の五十のという老年の遊ぶを見れば、あの爺、何というヒヒ[難漢字]ぞや、色恋も若気の過ちと思えば、追々自惚も強くなりて、馴染は馴染、色は色、浮気は浮気と、いろいろに段をつけ、見るもの皆一、二度ずつ手を出して見たく、心さらに落ちつく暇なく、衣裳持物にも、心をつくし、いかなる時も色気たっぷり、見得と意地とを忘れざる故、さほど浅ましき事はせずにすめども、やがて四十の声を聞くようになりては、そろそろ気短に我欲ようやくサカン[難漢字]になるほどに、見得も外聞も構わぬいやしき行ない、此の頃より平気でやり出すものぞかし。〉
作品の中身は、中年男がいまは自分の女房となっているお袖が、まだ芸者をやっていたころ、小柄で肉つきがよさそうなのに目をつけ、折りをねらっていやおうなしに泊まらせ、身も世もあらぬほどの絶頂感を味わわせた手練手管の自慢話である。
〈女はまず帯解いて長じゅばん一つ。伊達巻の端をきっと締め直して床に入りながら、この一夜のつとめ浮きたる家業の是非もなしといわんばかり。〉だが、客のほうとしては女が商売ぬきにして、真実身悶えして喜ばなければもうひとつおもしろくない。〈そこで初めのうちはこちらから手は出さず、至極さっぱりした客と見せかけ、なんともつかぬ話して、ちょっと片足をむこうへ入れ、起き直るようなふりをすれば、それと心得たる袖子、手軽く役をすまさん心にて、すぐに用意をするゆえ、おのれもこれが客のつとめサという顔付きにて、なすがままに、ただし口も吸わねば深く抱きもせず、静かに×き×ししつつ、肌ざわり、肉づき、万事手落ちなく瀬踏みする〉というわけで、客と芸者の掛け引きが虚々実々。
男はさらに〈酒を飲みすぎたせいか。これであんまり長くなるも気の毒なり。形を変えたら気も変わるべし〉などと独り言のようにいって、おのれまず入れたなりにて姿勢を変えると......さても女、早く埒[らち]を明けさせんと急[あせ]りて、腰をつかう事激しければ、此方[こなた]は時分を計り、何もかも夢の中の体[てい]に見せかけて、片手に夜具ハネ[難漢字]のけるは、後に至って相手を裸になし、×き×しを娯しまんとの用意なり。このところ暫くして、女もし此侭に大腰をつかい続ければ、いよいよほんとに気ざし出すと気付きて、やや少し調子をゆるめにかかるを窺い、此方は又もや二、三度夢中の体にて深く×るれば、女はこの度こそはと再び早合点して、もとの如く大腰になるを、三、四回×き×しに調子を合せし後、ぐっと一突深く×れて×くはずみに、わざとはずして見せれば、女は男の××指先にてもどさせる.....〉
芸者というものは、〈もともと死ぬほどいやな客なれば床へも来ぬわけなり。口説かれて是非なきようなふりするのは芸者のみえなり。初めてのおりに取り乱すまじく心掛けるも女の意地なれば、そのへんの呼吸よく飲み込んだお客が、神出鬼没臨機応変の術にかかりて知らず知らず興奮し出した時は、いくら我慢しようとしても、もう手おくれなり。〉かくて袖子もしだいにたかぶり、一方男は泰然自若として、
〈おもむろ女の伊達巻を解き捨て、緋ぢりめんの腰巻引きはだけて、雪のようなる裸身を打眺めつつ.......女は息引取るような声して泣きじゃくり、×きますからアレどうぞどうぞと哀訴するは、前後[あとさき]三個処の攻[せめ]道具、その一つだけでも勘弁してくれという心歟[か].......アレアレまた×くまた×くと二番つづきの×水どっと浴びせかけられ、これだけよがらせて遣ればもう思残りなしと、静かに×をやりたり。
この男、この床上手の女を女房にしてからも浮気のほうは休まず、神楽坂、富士見町、四谷、渋谷のあたりの芸者を相手に遊びまわる。
〈ついには一人の女ではもの足らず、二人三人裸にして、女のいやがること無理に楽しむなんぞ、われながら正気の沙汰といいがたし。〉
と自覚するほどの道楽をつくしたのであった。全文これ流れるような名調子。ポルノ時代の今日からみれば、それほどの中身ではないが、作品の文学性は抜群に高い。