「女・運 ー 池波正太郎」新潮文庫 男の作法 から

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「女・運 ー 池波正太郎新潮文庫 男の作法 から



女の強さというのは、たとえばうちの母みたいに離婚して、子ども二人抱えて、女一人でもって死にもの狂いになって働くというときは、強いわけですよ。他のことは何も考えないから。ああ、自分はこんなに働いたら病気になっちゃうんじゃないだろうとか、行く先どうなんだろうなんて、そんなことは考えない。二人の子どもと自分の親を面倒見ることだけでもう、夢中になっちゃうわけですね。
逆に、男が子ども残されたら、映画の『クレーマー・クレーマー』じゃないけど、どうしようもないよ。そういうところの強さというのは、実にもう全然違うわけですよ。それはやっぱり、肉体的なものなんだよ。根本的に肉体の力なんだ。昔からそうなんです。アダムとイブ以来、男と女が出来て以来、女の肉体のほうが強いわけなんだ。
女というものが本来、いかに強いかということについて、たとえて言えば、こういう話がある。
織田信長が安土の城にいたときに、ある日、馬に乗って、国友村という鉄砲鍛冶のいるところまで用事があって出かけた。自分が直接に何かしなければならない事情があったんでしょう。それで、みずから馬を飛ばしてバーッと行ったわけだよ。
その留守にだね、お城の侍女だの老女、そういう女たちが、こわい殿様がいない、信長はことにうるさいからね、うるさい殿様がいないすきに気晴らしをしようというんで、外へ出て、酒飲んでお花見かなんかやったんだよ。ところが予想外に早く、殿様が帰って来ちゃった。
で、どういうことになったかというと、そのとき信長は、侍女の責任者を何人かクビ切った。死刑にしたんだよ。だから、なんというむごい殿様だ、むごい大将だろうということをいまでも言うわね、人によっては。女ばかりじゃなく、男も言いますよ、そういうことを。叡山の焼討ちなんかでも、焼討ちして坊主みんな殺戮したでしょう。すぐ、残酷な男だというわけだよ。
だけど、これはやっぱり違うんだよ。女がいかに恐るべき生きものであるか、女というものがよっぽどしっかりしてくれないと、自分の国は守り切れないということら、男同様の責任を取らせたんだよ。信長の真意はそこにあったわけです。
つまり自分がよそへ行っていれば、それは場内に男もいるだろうけど、女はなおさら城を守らなきゃならない。いつ、だれが突然奇襲してくるかもわからないという戦国時代なんだから。殿様がいないんだから、なおさら気を引き締めて留守を守らなくてはいけない、というふうに女がなってくれなければ困るから、責任取らせてクビ切ったわけだよ。
女というものが責任を持ってくれなければ家は成り立たない。女がしっかりしてくれなければ大名の家も成り立たない。一国の政治も成り立たない。だからこそ責任取らせている。逆説的に言えば、それだけ女を重視しているということなんだ。少なくとも男と同等に買っているわけなんだよ。
その当時は、信長のみならずだれでもみんな、そのことをわかっているから、なんにも言わない。信長の処置を当然のこととして受けとめていた。それが、いまになってみると、残酷な大名だというふうになってくるわけだ。



事実、女が家の中をうまくおさめてくれない限り、男の仕事も伸びないし、むしろ駄目になってくるんです。
変な話だけれども、ぼくの知っている人にもいますがね、一人、名前は言えませんけどね。奥さんと長く連れ添って、子どもも何人かある人が、突然、バーだかクラブの女と一緒になっちゃって、とうとう離婚したわけですよ。その女をもらったことによって、男の運が下がってきちゃった。だから、こわいですよ。
その女をもらったがために、仕事の関係の人たちが寄りつかなくなっちゃうわけですよ。だから、
「男の運を落とすのは、女」
なんだよ。
また女の運を落とす男もいるわけだね。
だれでもそうなんだ。男の場合は、どこの家庭でもそうなんだ。男の運を落とすのは半分ぐらい、女に責任があるわけです。
つまり、ぼくの知っているこの人も、女房と別れるつもりはないんだよ。ただ、三十年も連れ添っている女房とはちょっと違った、別の若い、ちょっと知性的な感じの女がバーにいたということで、心を惹かれたわけでしょう。まあ、浮気というやつだ。
ところが、この浮気が結局、わかっちゃったわけだよね。そのときに夫婦喧嘩になるわけだよ。それはどこでもそうでしょう。その、
「夫婦喧嘩のはずみ.......」
というのが最も恐ろしいわけだ。奥さんがガーッとやっているうちに、男は、勝手にしろ!! と飛び出しちゃったわけだよ。そうしたら、こっちの女は、待ってましたとばかり、これをたちまち抱き取っちゃった。
男は身一つで飛び出してきたもんだから、金は持っていない。そうすれば、その女が全部自分で立て替えて、ホテルならホテル、どこかへ一年なり置くということになると、この女にはもう頭が上がらなくなると同時に、当然正式に女房と別れなきゃならない破目に追いこまれるわけだ。
こうなったらもう、浮気どころではなくなる。だから、男もそうだけれども、たとえば奥さんになった人に、その夫婦喧嘩のはずみというものをよほど考えてもらわないと、そういうことになるということですよ。
はずみでもって男が飛び出しちゃったら、男というのは意地を張って帰らなくなる場合がある。だけど根本は、男というのはいま言ったように、子どもまでいるんだから、別れるつもりはないんだ。
ところが、奥さんのほうにしてみれば、浮気とは見ない。いつ自分が追い出されて、その女を入れるかもしれない.......というのが女の気持ちなんだから。まあ、その気持ちはわからなきゃいけないんだ、ものの当然なんだからね。
だけど、その気持ちというものがお互いに夫婦でわからないから、結局はずみでもってこうなったら最後、もうあとへ戻らないというこよになる。だからね、男というものは、よほどの悪妻でない限り、何十年連れ添った女と離別してほ かの女と結婚するということはまず、あり得ないんだから、そこのところを妻たる者は考えていないと、カーッとなったときに、もののはずみで取り返しのつかぬことになる、と。
こういう話をね、新国劇のベテラン女優で香川桂子っているでしょう、それは自分より年下の亭主持っているんですよ。その香川に、こういうことが起きたらいけないと思って、一度だけ、ぼくが話をしたことがある。そしたら香川は、これはよく聞いておかなくては、と言っていたよ。なにもその亭主が浮気したからというんじゃないよ、これは。真面目に仲よくやってるからいいわけだけど、将来のことにおいて、夫と年齢(とし)が違うしということもあったから、言ったわけですよ。