「高瀬舟(抜書) - 森鴎外」中公文庫 教科書名短篇 から

f:id:nprtheeconomistworld:20200903084623j:plain


高瀬舟(抜書) - 森鴎外」中公文庫 教科書名短篇 から

しばらくして、庄兵衛はこらえきれなくなって呼びかけた。「喜助。お前何を思っているのか」
「はい」と言ってあたりを見廻した喜助は、何事をかお役人に見とがめられたのではないかと気づかうらしく、居ずまいを直して庄兵衛の気色を伺った。
庄兵衛は自分が突然問[とい]を発した動機を明かにして、役目を離れた応対を求める分疏[いいわけ]をしなくてはならぬように感じた。そこでこう言った。「いや。別にわけがあって聞いたのではない。実はな、おれはさっきからお前の島へ往[い]く心持ちが聞いてみたかったのだ。おれはこれまでこの舟で大勢の人を島へ送った。それは随分いろいろな身の上の人だったが、どれもどれも島へ往くのを悲しがって、見送りに来て、一しょに舟に乗る親類のものと、夜どおし泣くにきまっていた。それにお前の様子を見れば、どうも島へ往くのを苦にしてはいないようだ。一体お前はどう思っているのだい」
喜助はにっこり笑った。「ご親切をおっしゃって下すって、ありがとうございます。なるほど島へ往くということは、ほかの人には悲しいことでございましょう。その心持ちはわたくしにも思いやってみることが出来ます。しかしそれは世間で楽をしていた人だからでございます。京都は結構な土地ではございますが、その結構な土地で、これまでわたくしのいたして参ったような苦しみは、どこへ参ってもなかろうと存じます。お上のお慈悲で、命を助けて島へやって下さいます。島はよしやつらい所でも、鬼の栖[す]む所ではございますまい。わたくしはこれまで、どこといって自分のいていい所というものがございませんでした。こん度お上で島にいろとおっしゃって下さいます。そのいろとおっしゃる所に落ち着いていることが出来ますのが、まず何よりもありがたいことでございます。それにわたくしはこんなにかよわい体ではございますが、ついぞ病気をいたしたことはございませんから、島へ往ってから、どんなつらい為事[しごと]をしたって、体を痛めるようなことはあるまいと存じます。それからこん度島へおやり下さるにつきまして、二百文の鳥目[ちようもく]をいただきました。それをここに持っております」こう言いかけて、喜助は胸に手を当てた。遠島を仰せつけられたものには、鳥目二百銅をつかわすというのは、当時の掟であった。
喜助は語[ことば]を続[つ]いだ。「お恥ずかしいことを申し上げなくてはなりませぬが、わたくしは今日まで二百文というお足を、こうして懐に入れて持っていたことはございませぬ。どこかで為事に取りつきたいと思って、為事を尋ねて歩きまして、それが見つかり次第、骨を惜しまずに働きました。そしてもらった銭は、いつも右から左へ人手に渡さなくてはなりませなんだ。それも現金で物が買って食べられるときは、わたくしの工面がいいときで、大抵は借りたものを返して、またあとを借りたのでございます。それがお牢にはいってからは、為事をせずに食べさせていただきます。わたくしはそればかりでも、お上に対して済まないことをいたしているようでなりませぬ。それにお牢を出るときに、この二百文をいただきましたのでございます。こうして相変わらすお上の物を食べていていてみますれば、この二百文はわたくしが使わずに持っていることが出来ます。お足を自分の物にして持っているということは、わたくしにとっては、これがはじめでこざいます。島へ往ってみますまでは、どんな為事が出来るかわかりませんが、わたくしはこの二百文を島でする為事の本手[もとで]にしようと楽しんでおります」こう言って、喜助は口をつぐんだ。
庄兵衛は「うん、そうかい」とは言ったが、聞くことごとにあまり意表に出たので、これもしばらく何も言うことが出来ずに、考え込んで黙っていた。
庄兵衛はかれこれ初老に手の届く年になっていて、もう女房に子供を四人生ませている。それに老母が生きているので、家は七人暮しである。平生[へいぜい]人には吝嗇[りんしよく]と言われるほどの、倹約な生活をしていて、衣類は自分が役目のために着るもののほか、寝巻きしかこしらえぬくらいにしている。しかし不幸なことには、妻をいい身代[しんだい]の商人の家から迎えた。そこで女房は夫のもらう扶持米で暮しを立てて行こうとする善意はあるが、裕[ゆた]かな家にかわいがられて育った癖があるので、夫が満足するほど手元を引き締めて暮して行くことが出来ない。ややもさはすれば月末になって勘定が足りなくなる。すると女房が内証で里から金を持って来て帳尻を合わせる。それは夫が借財というものを毛虫のように嫌うからである。そういうことは所詮夫に知れずにはいない。庄兵衛は五節句だと言っては、里方から物をもらい、子供の七五三の祝だと言っては、里方から子供の衣類をもらうのでさえ、心苦しく思っているのだから、暮しの穴を填[う]めてもらったのに気がついては、いい顔はしない。格別平和を破るようなことのない羽田の家に、折り折り波風が起るのは、これが原因である。
庄兵衛は今喜助の話を聞いて、喜助の身をわが身の上に引き比べてみた。喜助は為事をして給料を取っても、右から左へ人手に渡してなくしてしまうと言った。いかにも哀れな、気の毒な境界[きょうがい]である。しかし一転して我が身の上を顧みれば、彼と我との間に、はたしてどれほどの差があるか。自分も上からもらう扶持米を、右から左へ人手に渡して暮しているに過ぎぬではないか。彼と我との相違は、いわば十露盤[そろばん]の桁が違っているだけで、喜助のありがたがる二百文に相当する貯蓄だに、こっちにはないのである。
さて桁を違えて考えてみれば、鳥目二百文をでも、喜助がそれを貯蓄とみて喜んでいるのに無理はない。その心持ちはこっちから察してやることが出来る。しかしいかに桁を違えて考えてみても、不思議なのは喜助の欲のないこと、足ることを知っていることである。
喜助は世間で為事を見つけるのに苦しんだ。それを見つけさえすれば、骨を惜しまずに働いて、ようよう口を糊[のり]することの出来るだけで満足した。そこで牢に入ってからは、今まで得がたかった食が、ほとんど天から授けられるように、働かずに得られるのに驚いて、生まれてから知らぬ満足を覚えたのである。
庄兵衛はいかに桁が違[たが]えて考えてみても、ここに彼と我との間に、大いなる懸隔のあることを知った。自分の扶持米で立てて行く暮しは、折り折り足らぬことがあるにしても、大抵出納[すいとう]が合っている。手一ぱいの生活である。しかるにそこに満足を覚えることはほとんどない。常に幸いとも不幸とも感ぜずに過ごしている。しかし心の奥には、こうして暮していて、ふいとお役が御免になったらどうしよう、大病にでもなったらどうしようという疑懼[ぎく]がひそんでいて、折り折り妻が里から金を取り出して来て穴填[あなう]めをしたことなどがわかると、この疑懼が意識の閾[しきい]の上に頭をもたげて来るのである。
一体この懸隔はどうして生じて来るのだろう。ただ上辺だけを見て、それは喜助には身に係累がないのに、こっちにはあるからだと言ってしまえばそれまでである。しかしそれはうそ[難漢字]である。よしや自分が一人者であったとしても、どうも喜助のような心持ちにはなれそうにない。この根底はもっと深いところにあるようだと、庄兵衛は思った。
庄兵衛はただ漠然と、人の一生というようなことを思ってみた。人は身に病があると、この病がなかったらと思う。その日その日の食がないと、食って行かれたらと思う。万一の時に備える蓄えがないと、少しでも蓄えがあったらと思う。蓄えがあっても、またその蓄えがもっと多かったらと思う。かくのごとくに先から先へと考えてみれば、人はどこまで往って踏み止まることが出来るものやらわからない。それを今目の前で踏み止まって見せてくれるのがこの喜助だと、庄兵衛は気がついた。
庄兵衛は今さらのように驚異の目をみはって喜助を見た。このとき庄兵衛は空を仰いでいる喜助の頭から毫光[ごうこう]がさすように思った。