「聞き耳のマナー - 藤原正彦」中公文庫 楽しむマナー から

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講演などで地方へ行くことがある。大都市の場合は1人で日帰りだが、古い歴史のある所、風光明媚の地、そばに温泉のある所、などだと女房がついて来てそこに宿泊したりする。
ホテルに泊まると朝食はたいてい大食堂でのビュッフェだ。「健康のためなら死んでもいい」私は、野菜、果物、ヨーグルト、コーヒー、トマトジュースくらいしかとらないが、「おいしいもののためなら死んでもいい」女房は、その地方の特産をはじめ盛沢山にとる。コレステロールのたまりそうなベーコン、ハム、スクランブルエッグなどを平気でとり、肥満になりそうなポテトサラダや菓子パンをいくつもとったりする。これで健康で、太りもしないから不思議だ。つまらないことに気を使わず、食べたいものをバランスよくとって身体を動かしていればいいのだそうだ。
女房が時間をかけてたっぷり食べている間、私は周囲を観察することになる。男女2人で食べているのはほとんどが夫婦で、時々、恋人同士や愛人同士がいる。夫婦の場合、余り話そうとしないからすぐ分かる。先日私の3メートルほど横に座った70代らしき夫婦は、何と朝食の30分間、唯の一言も会話を交わさなかった。黙々と食べて黙々と引き揚げた。
夫婦の場合、たとえ会話を交わしても笑顔がないからすぐ分かる。冗談を言うのも笑うのも面倒なのだろう。恋人や愛人の場合は、一方のつまらない冗談を他方がさも面白そうに笑っているからすぐ分かる。年格好が似ていれば恋人で、離れていれば愛人とみなすことにしている。愛人には興味が湧く。というか異常な興味が湧く。
できたら4メートル以内に座り、私自身が待望の愛人を持った日に備え、注意深く観察し聞き耳を立てる。男の方は一様に、周囲の目を気にするのかうつむき加減でぼそぼそ話すのに、女の方はたいてい堂々としている。
最近の旅館は、食事場所が居室から離れていてふすまで区切られていることが多い。数年前に泊まった京都の宿では夕食の途中でふすまの向こうに人の入る気配がし、40代女性と60代男性と覚しき2人の声が聞こえてきた。夫婦でないと知ったのは、しばらくして女性が「私、先生と知り合って初めて女として生まれた幸せを知ったような気がします」と言ったからである。
これ以降、私と女房は声が出せなくなってしまった。大事な秘密を耳にしてしまった以上、 聞き耳を立てていることがバレたら大変と思ったのだ。高級旅館だったから、山海の珍味が由緒正しそうな食器に美しく盛られて次々に出て来たが、全神経が隣の会話に集中していて、何を食べているのか、美味いのかまずいのかも分からなかった。緊張の表情のまま、必要最小限のことを、時折身ぶり手ぶりを加えひそひそ声で話すだけだった。人生で最も疲れた食事だった。