(巻二十七)風車人の気配に廻りけり(屋山漫太郎)

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(巻二十七)風車人の気配に廻りけり(屋山漫太郎)

12月6日日曜日

晴れてはいましたがお陽様の力の弱い一日でした。それでも午後になると青空となり洗濯した毛布カバーも湿り気が取れた。

散歩:

先ず某商店で煙草を購う。店頭に灰皿が出してあり時々お世話になるのでなるべくそこにしている。日に二本吸うだけだから半月に一箱だが“男の気持”である。煙草をいただいたあと一服させていただいたが、さていつまで灰皿があるやら?

行年をふり返りいる煙草かな(森田桃村)

そこから、足を延ばして駅前まで行ってみた。無風で小春日和で人出は多い。公園で鳩に餌を与える老人が居た。

行く人の鳩蹴散らすや年の暮(笹尾清一路)

という句もあるが、そういう人ばかりではないようだ。

ヤマザキの「ずっしり餡パン(128円)を買って帰途に就いた。

本日は五千七百歩で階段は2回でした。

「犬棒辞典2」を載せたが、犬棒は英語で何と云うのかと思い、浚ってみた。

先ず、直訳として、

If a dog walks, it hits a stick.

があり、諺としての味を活かした訳には、

Every dog has his day.

The dog who walks finds the bone.

が良いものに遭うという理解での英訳として出ていた。

No matter what you attempt. tragedy may befall.

と云うのは悪いことに遭う方か。

そもそも「犬も歩けば棒にあたる」の棒は“幸運”か“災難”かと云うと、ちらっとネットを捲った限りでは「災難」説のようである。余計なことに首を突っ込んだり、でしゃばるとろくなことがない、というのが大方の解説であった。

朝日俳壇:

しばらくはながめてをりし焚火かな(縣展子)

*火の中に何を見ていたのだろう。

大根引く生きる意味など考へず(新藤共子)

*であるべきなのでしよう。

手焙[てあぶり]やあらかた尉[じよう]となる温[ぬく]み(上西左大信)

*尉が解らす調べました。「炭火の燃え終って白くなったもの」だそうです。勉強になりました。併せて「うづみ火や我かくれ家も雪の中(蕪村)」を思い出した。

西よりの貨物列車や秋の暮(宝塚市ー沖省三)

*長い貨物列車を眺めているのは飽きません。今はコンテナばかりですが、ときどきタンクが混ざっていたりすると嬉しくなる。

以上四句を書き留めました。

願い事ー叶えてください。未熟者が考えてもしょうがないのだが、未熟者ゆえに無になれない。灰になるまで無にはなれない。灰になろう。