(巻二十八)不祝儀の袋書きをり祭笛(水谷芳子)

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(巻二十八)不祝儀の袋書きをり祭笛(水谷芳子)

1月6日水曜日

午前、細君は新しいガラホへの切り換えでオペレーターさんと電話している。オペレーターさんも大変だ。

飼い馴らす携帯電話露の夜(鈴木明)

散歩:

コンビニから生協というコースを歩いた。午後2時の生協はガラガラでこの時間がよいかもしれない。品物も欠品はないし、レジのおばさんたちも暇そうにしているから、小遣いで買う菓子や酒やつまみの別打ちが頼みやすそうだ。

ちよしたの鰯の缶詰独酌す(高澤良一)

本日は三千九百歩で階段は2回でした。

読書:

『 「単身者の文学 - 川本三郎岩波現代文庫 荷風と東京(上)』を読み終えた。荷風の日記『断腸亭日乗』を踏まえての評論であった。そこで加藤秀俊氏の以下の評論を思い出して読みはじめた。

『「日記 - 加藤秀俊」中公文庫 暮しの思想 から』

その評論の中盤まで来て、以下の文章に出遭った。

《 はなしはべつだん歴史的考察にかぎらない。こんにちのわれわれの生活のなかでも、日記への衝動がつねに変化の感覚と関係しあっていることを、われわれじしんがよく知っている。多くのひとは、少年時代から青年時代にかけて日記をつける。それは、青春が変化と可能性にみちているからだ。今日は昨日とちがう、そして明日は今日とちがうだろう、と青年たちは考える。かれらにとって、日々の成長を実感によってとらえることのできる性質のものなのだ。かれらは、日記をつくる衝動をおさえることができない。しかし、青年時代がおわり、ある程度まで人生のゆれはばがせばまってくると、ひとは日記をつけなくなる。単調な生活のくりかえし。そこでは、変化への期待もなくなるし、むしろ変化を避けようとするメカニズムさえはたらく。それを、生活の「安定」ということばで、われわれは呼ぶ。そして安定期にはいった人間は、もはや一日一日を「特殊」とは思わない。日記を書く習慣はそのときではったりと絶えてしまう。 》

確かに何にも書くことがない日が多い。今の不安定な世の中ではありがたいことだが、いつまでこのようにしていられるのだろうか?

酒クラヒ寝ルと記せる初日記(谷口智行)

マスク、インスタント麺・飯、トレペーの買い増しを考えているようだ。デマでも何でも無くなれば困ると申しておる。

願い事-叶えてください。少しでも安定しているうちに、チョン。