2/2「常磐線(陸羽浜街道) - 田山花袋」河出文庫 むかしの汽車旅 から

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2/2「常磐線(陸羽浜街道) - 田山花袋河出文庫 むかしの汽車旅 から

湯本の温泉のあるところは、磐城炭[たん]の沢山に出るところである。湯元という温泉場は、平凡なしょうがい[難漢字]の中にあるような地で、他に見るに値いするようなところはない。
平町は浜街道の中では水戸以北の賑やかな町である。町に入ろうとするところに長い陸橋があるねを私は覚えている。町は瀟洒な、好い感じのするところだが、海には二三里離れていて丘陵の中にあるような感じのする町である。
町の西に赤井岳という山がある。山の上に寺がある。
その寺から見ると海が見える。たしか、盆の十六夜か何かだと思う。竜灯の海から上るのを見に、遠近[おちこち]から其処[そこ]に人が沢山に上って行くという行事がある。
「何だろうね、あれは」
「君は見たかえ」
「見たことが一度ある」
「筑紫の不知火のようなもんかね」
「それともちがうようだね」
こんなことを私は言った。
赤井岳という山は一寸面白い山だ。平町に入ろうとする橋の上から左の方に丸くなって見える。私は平町に一夜泊った。旅宿の前に城址があって、其れが公園になっていたと覚えている。
平の次は四つ倉、久の浜だ。
四つ倉を通り越すと、久しく見えなかった海が見える。久の浜の海岸を通るあたりは殊に好い景色であったと覚えている。何とかいう薬師堂がそこらの海岸にあった筈だ。
広野、木戸、竜出-これ等の停車場は、皆なしようがい[難漢字]の中にあって、海は見えない。小さなトンネルがところどころにある。私は此間を徒歩[かち]で歩いて行ったが、小さな峠の多いのに殆ど閉口して了ったところである。何にもめずらしい見るものがなくなって、小さい山と、小さい村と、まずい飯とただそれだけである。
富岡という町に私は泊った。
そこで過した一夜は、かなり深く私の頭に印象されている。もう二十年の年月を経ているけれど、そのさまははっきりと頭に残っている。何でも、町の中頃で、料理店を兼ねたような家であった。たしか柳が中庭にあったと覚えている。
そこで、腹を痛くして、二日ほど泊った。あの位困ったことはなかった。宿の上さんが心配そうな顔をして私のねているのを見ていた顔が今でも眼について忘れられない。そこには、何でも内芸者か何かいて、夜はおそくまで客が来て三味線を引いた。
浪江の東にある請戸という港は、昔はかなり栄えたところであった。銚子から湊、湊から平潟、平潟から請戸という順であった。相馬地方の物資は皆な其処[そこ]から舟で江戸に積み出された。磐城という国は、米は非常に質が悪い国だが、それでも面積がひろいので、量はわり合に沢山出来た。その米が皆なここから積み出された。
景色も中々好い。平滑な沙浜ではあるが、漁師のいるところとしては、生々[いきいき]としたカラァを持っていた。浪江から、小高、小高から原の町という順になっている。

小高から原の町、鹿島あたりにかけて、相馬の馬追祭というのがある。その本社は磐城太田駅から十四五町ほど隔[へだた]ったところにある。原の町は一に間形の宿と言っている。大原街道がこれから西に分れて行っている。羽二重だの、莚[むしろ]だのが出来る。馬市も名高いものである。
中村町は相馬候の治所で、今でも城址が残っている。浜街道中では、平町と相伯仲[あいはくちゆう]した繁華を有していて、人口は七千以上ある。名産に相馬焼という陶器がある。それには屹度[きつと]馬の絵が書いてある。城址の中には中村神社と相馬神社とがある。相馬神社は、野馬追祭の最後の祠でその祭礼の時は小高から此処まで昔の扮装[いでたち]をした鎧武者やら、騎馬武者やらがぞろぞろやって来るのである。
中村を流れている宇多川の河口に、松川浦というところがある。浜街道では、名高い景色の好いところである。松島などと比べて説く人もある。しかし、規模がいかにしても小さい。島などもあるが、松島ほど多くない。けれど、鵜尾岬の一端から全景を見た景色と、夕顔観音あたりから眺めた風景とは、容易に他に見ることの出来ないような柔かさと美しさとを持っている。舟を浮べて遊ぶにはいいところである。
原釜海水浴はその東南に当っている。松川浦の砂嘴のある尾浜から二十町位しか隔っていない。中村町から真直に行けば一里半位である。常陸の助川以北稀に見るすぐれた海水浴場である。旅籠屋などにも綺麗な設備が整った家がある。
中村から北に向うと、右は海岸平野で、遠くに海のあるのを予想したようなところである。右には羽黒山天明山、地蔵森などという二三百米の丘陵を隔てて、宮城の角田地方に背中合せをしている。新地、坂本、吉田などという停車場がある。
亘理という町は、一寸[ちよつと]賑かな好いところた。此処等[ここら]に来ると、左の丘陵からは余程低くなって了って、大きな道路が其中[そのうた]を横貫して、伊具郡に入って行っていたりする。亘理から東に一里ほど行くと、荒浜町がある。そこは阿武隈川の河口で、砂嘴が長く海岸に発達している。鳥の海という海水浴場がある。
亘理の次は、岩沼停車場である。そこで、常磐線の線路は中央幹線と相連絡している。
中央幹線でやって来るよりも、この常磐線の方が一寸風景に富んだところがある。川尻、助川、平潟、請戸、松川などというあたりは、旅客の倦怠を防ぐだけのじゅうぶんの風景を持っている。