1/2「常磐線(陸羽浜街道) - 田山花袋」河出文庫 むかしの汽車旅 から

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1/2「常磐線(陸羽浜街道) - 田山花袋河出文庫 むかしの汽車旅 から

常磐線の鉄路は上野駅の一つ先の日暮里駅から右に岐[わか]れる線路である。下総、常陸[ひたち]を経由して、磐城から陸前へとやって来る線路である。所謂、浜街道を通って来るもので、中央幹線の副線路を成している。
此間は概して陸羽浜街道の線に添っている。
水戸までは、東京近郊の汽車線を書く時に詳しく書くつもりである。しかし、水戸以北はここで書こうと思っている。
今では、中央幹線の平凡なのに倦きて、この常磐線を利用して、その汽車で仙台に行く人は少くない。上野からの哩数が二二五哩六鎖である。中央幹線の二一七哩二鎖に比べると、少し遠いが、汽車賃は三等で数えて、わずかにこっちの方が六銭高いばかりである。
水戸から下総というあたりまでは、海を右に予想しながら、海が見えないというような線路である。浜街道を行くと、石神[いわがみ]の少し上の、石無阪というところで始めて海が見える。
「ああ海が-」
誰でもこう言って足をとどめないものはないようなところである。松がある。古い大きな橋がある。その間から海が見える。弓弦を張ったような海が展開される。河原子[かわらご]などという海水浴場のある海岸である。
常陸の海岸は沙浜が多い。大洗、湊、河原子-それからずうっと沙浜がつづいている。それが磐城の海岸まで同じ特相を成している。この海岸では、秋の末に松魚[かつお]が沢山捕れる。何[ど]んなきたない小さな家で午飯[ひるめし]を食っても、松魚の刺身が膳に上るという風である。
海は東にひらいているから、朝日の海から登るさまを見るのは、奇観である。夕日には海は深い紫色[ししよく]に染って、何とも云われないさびしい色を着けるのが例である。
助川というところに海水浴場がある。松原が多くって、一寸風景の好いところである。一時は相模海岸の大磯などと同じように思われそうになったところである。
川尻というあたりから海が見える。川尻の漁村にあるところはいかにも好い景色である。常陸の方の海岸が長く長く見えて、前にはしょうがい[難漢字]が海中に突出している。波が高く白く揚る。
高萩という町がある。そこには停車場がある。その町には柳の並木がある。私の通る時分にはまだ汽車がなかった。私は東京から土浦、水戸、その次の夜は高萩にとまった。一日十五里は何[ど]うしても歩いている。それが三日つづいているので、足はもうかなり参っている。旅籠屋[はたごや]の階子を上るにも閉口する始末であった。
磯原には天妃山という島がある。
この近所は、海のながめの好いところで、そして物価が安い。漁村らしい趣を見るのにも、相模あたりの海岸よりは、余程すぐれている海水浴場である。
そこから少し行ったところに夫婦島というのがある。
関本という停車場がある。
常陸と磐城の境に近いところである。大津、平潟-東海道の海岸には一寸[ちょって]見られないような好い景色のところである。平潟は、太平洋では、昔からかなりきこえた港である。しかし、行って見ると、いかにも規模の小さい港である。女郎屋が海岸に並んでいて白粉[おしろい]をぬった女郎がさびしせうに海を見ていたりするようなところだ。
平潟からトンネルを出たところが小さい景色が好い。例の源義家の勿来の関はその山の中にある。勿来には停車場がある。
関の址には碑が立っている。桜などが栽えてある。そこから海がひろく見渡される。