(巻二十九)冬ごもり厠の壁に処世訓(中神洋子)

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(巻二十九)冬ごもり厠の壁に処世訓(中神洋子)

5月21日金曜日

午前中、細君に同行し眼科に行く。術後二日が経つが細君が期待した早さでは快復していないらしい。その苛々が此方に振られるので困る。お医者さんの話では順調だそうだ。「今はこうだが、次はこうなり、そのうちにこうなり、......」と具体的な快復への道筋の説明を受けたとのことで少し落ち着いたように見受けられる。(“回復”と“快復”とでは意味がちがうらしいが、ここは快復でよいと思う。)

午後の散歩、というよりは駅前と生協での買い物を致した。

本日は三千六百歩で階段は1回でした。

本日の惚けは浴槽の水張りしたときに栓をするのを忘れた。3分間ほどして気がついたが蛇口から水を出しっ放しにしていた。勿体ねえ。

本日の所感は、以下の本を読み、《》のところに感じ入った。

「死を予感して(抜書) - 結城昌治」死もまた愉し から

来し方の見わたすかぎりおぼろかな(結城昌治)

《私は夏目漱石の研究家でも何でもありませんが、漱石のなかでは『吾輩は猫である』が一番の傑作だと思っています。最後は、来客が飲み残したビールを、猫が台所でぴちゃぴちゃ舐めているうちに酔っぱらって、水瓶に落ちてしまう。大きな水瓶で、いくら足掻いてもはい上がれない。当然、苦しいわけですけれど、そのうちに、瓶から出られないとわかっているのに、出ようとすりから苦しいんだと思いはじめる。もう、やめよう、勝手にするがいい、と抵抗をあきらめると、だんだん楽になってくる。「吾輩は死ぬ。死んで此太平を得る。太平は死ななければ得られぬ」......。念仏を唱えて「有難い々々々」で小説は終わっています。

願望みたいなものですが、私は死ぬときは、この猫みたいに死にたいと思っています。 あるところまできたら、悪あがきをしない。そうすれば、楽になるんじゃないか-。あまり偉そうなことを言える柄ではありませんけれど、死ぬことを見きわめて生きていれば、それができるような気がします。 》

願い事-叶えてください。 《「吾輩は死ぬ。死んで此太平を得る。太平は死ななければ得られぬ」......。》に共感でございます。

捨案山子安堵の顔をしてゐたり(山本けんえい)

楽になるためには苦しみを乗り越えなければならないらしいが、そこのところを何とかお願いします。