「ミルクホール - 永忠順」日本の名随筆別巻3珈琲から

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「ミルクホール - 永忠順」日本の名随筆別巻3珈琲から

「ホールってえのは広間ということだ。だからアレをミルクホールなんていうのはおかしいよ」
中学二、三年のころであったか、英語の授業の時間に先生がそう言った。
あの時分は牛乳を飲ませる店があちこちにあって、それがみんなミルクホールと称していた。店の構えはどれを見ても同じようで、軒先に無地の白いのれんが下げてあり、それをくぐって曇りガラスの障子を引き開けると、中は多少のちがいはあるが、畳数にして六畳ほどの板張りの床になっていて、中央に白布をかけた大きなテーブルがあり、そのまわりに椅子が何脚が並べてある。
そしてどの店も、ほとんど例外なくテーブルの上に、太い一本足の下の拡がっているすわりのいい素通しのガラスの大きなつまみがついていた。そして、その中に菓子が入れてあるのだが、この菓子がまたどの店も同じで、厚さ二センチぐらいのようかんを、同じ厚さのカステラで両側から挟んで適当な三角形に切ったものと、もうひとつは、落花生をチョコレートで固めたものが、形は亀の子たわしより少し小さくで、上にちょいと点のように赤い飴(?)がついている。
牛乳を飲みながら、これを食べたい人は食べるのだが、どういうわけだか、この亀の子たわしの形の方だけをケーキといっていた。飲ませるものは牛乳だけだが、店の一面は新聞閲覧所でもあり、各種の新聞が揃っているうえに、必ず官報が置いてあった。弁護士試験かなにか受けたらしい人が浮かない顔で、牛乳を飲みながらページをめくって見たりしていた。
このミルクホールが牛乳だけでなく、コーヒー、紅茶、ココアなども飲ませるようになり、いうところの喫茶店に変貌していったのは、一般には大正末期頃からではなかったであろうか。その頃、浅草の六区にブラジルコーヒーと名のる店ができたが、これは二階建てのかなり広い店で、店内の所々にポットプラントなどが置いてあり、白い詰襟の服に黒いズボンをはいたボーイが何人かいて、一杯たしか五銭のコーヒーを飲ませた。
私の友達で、和歌山県の田舎から上京して早稲田大学の英文科にいたのが、驚いた驚いたというので、何をそう驚いたのかときいたら、彼のいわく、浅草へ遊びに行ってこのブラジルの二階に上がって、コーヒーを半分ほど飲んだところでボーイに便所はどこかときいた。この時分はまだトイレなどという言葉はなかったのである。

するとボーイが、階下をさして、号令でもかけるようなバカでかい声で、「ダウンステアッ」と言ったのだそうで、その友達があきれ返って、下なら下と言ったらいいではないか、ナニがダウンステアであるか、おかしな奴だと思いながら、いったん下に行ってまた席へもどったものの、あれで英語のつもりなのだろうがキザもいいところだ。ひとりで自分勝手にハイカラがって、いたずらに人をまごつかせるだけの話で、ああした手合いにもまことに困ったものであると、そんなことばかり考えながらつい我を忘れて、半分残ったコーヒーカップに砂糖を何杯となく入れてしまい、気がついたらコーヒーが砂糖でデレデレになっていて、まさかそれをしゃくって食べるわけにもいかず、しかたがないのでまた少し砂糖を入れて、それをスプンでピシャピシャ叩いていたら、今度はボーイがびっくりして、「いくらただだといっても、それはいけません、困ります」と言うので、一杯分の代金五銭を追加してやってきたと言った。これではどっちもどっちではないか。
今日の喫茶店瀟洒[しようしや]をきわめたものだし、お客さんも洗練されているが、ローマは一朝にして成らず、やはりここまでくるにはいろいろな変遷を経ているわけである。