(巻三十一)お茶漬けの味の夫婦や冬ぬくし(細井新三郎)
11月2日火曜日
病室が東向きの3階で、少しは見晴らしがよい。朝陽(朝日とは書きたくない)が拝めるのではないかと陽の出(6時4分)を期待したが、曇りで叶わず。
7時前に看護師さんが来て血圧、体温、ほかのチェック。心電図の波形が教科書に載っているような良い波形だと誉められた。が、ということは父のように死に際がダラダラすることになるのかも知れない。嬉しくもあり嬉しくもなしだ。
尿の色を訊かれ、赤ワインからロゼ程度になったとお答した。
今日は一日中点滴が続くとのことでしたが、早速血を逆流させてしまい手間を取らせてしまった。点滴針か肘関節の内側辺りなので腕を曲げたままにしておくと点滴の流れが止まってしまうのだろう。
朝食はとても美味しかった(一撮)。これでパンがパリパリのトーストなら百点満点なのだが、病院の給食ではできないことだ。
10時までに採血とX線を終わる。
お一人増えてお一人退院らしい。3名同室は変わらず。
10時頃、コロナ対策協力病院の院長としてテレビ・新聞などにも取り上げられている院長先生の回診を頂く。細かいのは残っているが自然に排出されるだろうとのこと。X線写真をいただく。
レントゲンにボロボロの胸みられ夏(佐藤孝志)
と云う句があるが、臓器と季節を換えれば当てはまる。
何れにしても、病院というところはドラマのあるところだ。
ナースステーションのカウンターに車椅子の老女が停まっている。彼女の前に写真立てが置いてあった。どなたのお写真か?死んだじいさんの写真かな?と、ちらっと見るとそれは猫でありました。
判るような気もします。
昼食を頂く(一撮)。鮭旨し、和え物旨し、汁物旨しである。なぜこの病院の食事が美味しいのか分かった。味付けが我が家のより濃いのである。
ときどき看護師さんたちの「ここで頑張らないで、リハビリで頑張ってくださいよ!」という大きな声が聞こえてくる。老人たちが介助の手間を掛けまいとして一人でトイレに行ったり、食器を運ぼうと頑張ってしまうらしい。もし転んだりすれば骨折も有りうるので看護師さまたちも真剣なのである。
感謝しながら世話をして頂くのがよい患者なのだろう。
リハビリと云えば訓練士さんと云うのか正式名称は知らないが、この人達がまた立派なのである。勿論身体的なリハビリで適度適切な運動を指導するのだろうが、加えて脳トレのようなこともしてくれている。とにかく老人老女に話をさせて話を転がしていくのである。思い出話、自慢話、愚痴、弱音、何でもござれで八十代の話を20代が見事に転がしていくのである。
日没は4時45分だとのことなので半頃眺めに行ったが、西方には建物があり夕焼けは拝めず。残念を一撮。
顔本の訓を味わい沁みる訓は書き留めているが、
If you’re still searching for that one person that change your life, take a look in the mirror.
は面白く読んだ。勿論言わんとするところは分かるが、「いい人だって?てめえの面[つら]と相談しろい!」とも読めそうだ。
6時に夕食となる(一撮)。揚げ物とはこれまた嬉しい。エビの大小は言うまい。ただもう少しソースがかかっていてくれたらとは思う。和え物、吸い物と美味しい。ご飯も、それに懐かしいフリカケも堪能した。
〇・5リットル(130円)の麦茶を5本飲んだ。尿は正常な色に戻った。よかった、よかった。
願い事-生死直結で叶えてください。手間と好意と親切で延命させて頂いているので、ありがたく思っています。叶えていただけるのなら、この病院でいつか、あっさりと、逝かせていただきたいなあ。
☆There’s peace in letting go.
これも私の解釈では現世に拘らないとの解釈です。
一枚の落葉となりて昏睡す(野見山朱鳥)
コワクナイ、コワクナイ。