「眠れない夜のために 『ポケットに名言を』から『パンセ』へ - 田中秀臣」苦楽堂編 次の本へ から

f:id:nprtheeconomistworld:20211211105906j:plain

 

眠れない夜のために 『ポケットに名言を』から『パンセ』へ - 田中秀臣」苦楽堂編 次の本へ から

高校時代、寺山修司の『ポケットに名言を』を愛読した。いまでも角川文庫の一冊として店頭に並んでいる。一九七七年に文庫化されているからすでに四〇年近く版を重ねている。昔といまの違いは、カバーはマンガ家林静一のイラストだったものが、人気モデルの華恵の写真に代わったことだ(最近、またカバーが代わったらしいが)。
僕は長い間、この本の存在を忘れていた。思い出したきっかけは東日本大震災だった。特に強い余震が収まらなかった二〇一一年の春、中学生の娘が、とても地震に怯えていた。真夜中に強い揺れがあって目をさますことがあった。そのときに寝つけないので、何か本を読んでくれといわれた。まさか小さい子供でもあるまいし、と思われる方もいるだろう。いや、その時の日本は何か終末観めいたものがあったことを思い出してほしい。僕だってとても怖かったのだ。
しかし何を読むか。長い小説よりも詩かなにか短いものは?娘の本棚を見るとかなりの量の文庫がある。娘とはいえ、どんな本が他人の書棚にあるかは、やはり興味深い。わりと読書家な彼女のラインナップは多彩だ。中原中也太宰治源氏物語などの古典的な著作、そしてライトノベル、またアガサ・クリスティといったミステリー。村上春樹小川洋子辻仁成らの現代の小説家。そして最近購入した感じで並んでいる二冊の本があった。華恵の表紙の寺山修司の文庫。『寺山修司少女詩集』(角川文庫)と『ポケットに名言を』だった。僕は迷わず後者を棚から拝借し、それを持って娘のところに戻った。
彼女はちょっと落ち着いていたが、居間のソファで膝を抱えて、深夜のNHKテレビの画像をみていた。画面には福島市内の映像が映し出されていた。こういうときに僕の声はとても便利にできている。朗読用の色気のある声といっていいのだろうか。それに明るいイントネーションとちょっとしゃれっ気を含ませる話し方もできる。寺山の本は、彼がみてきた映画、読んできた古典から名文句を抜き書きしたものだ。しかもどれもがみな皮肉たっぷりだ。
「男はどんな女とでも幸福にいけるものです。かの女を愛さないかぎりは」(オスカー・ワイルド『獄中記』)
娘の顔の緊張が緩む。
さてこの真夜中の読み聞かせから、(娘ではなく)僕自身が寝る前に、短い警句からなる本を愛読するようになった。小説だと続きが気になり睡眠不足になる。評論だと頭が働きすぎる。まるで「羊が一匹、羊が二匹......」と唱えるかのような本がふさわしい。寺山の次に読んだのは、パスカルの『パンセ』(中公文庫)。翻訳で六〇〇頁を超える大冊だ。
「われわれの尊敬のすべては、考えることのなかにある」
「すべての人が手段についてだけ熟考して、目的地についてそうしないのは、嘆かわしいことである」
このような警句集は他にもある。ラ・ラシュフコーの箴言集、モンテーニュの『エセー』、カミュの手帖など。人生がその睡眠によって終わるにしても、いい伴侶となるに違いない。